第12話 追放聖女を襲うもの
「はぁ…………」
お茶の入ったカップに手を添えながら、リンは大きなため息を吐いた。
「なんだい、そんな大きなため息を吐いて。辛気臭いねぇ」
「あっ! その、ごめんなさい……」
対面に座っていた明るい茶色の髪を詰めた、恰幅のいい初老の女性――この家の主であるエルメスは、しゅんと縮こまったリンに笑いかけた。
「あーもう、その辛気臭いのやめな! ほら、あんたみたいな美人は笑顔のほうがいいよ!」
「あっ、えっと、すみません」
さらに縮こまってしまうリンを見て、なんでこの子は、と肩をすくめるエルメス。
「それで? あいつに何されたんだい。手でも出されたかい?」
「なっ、ハジメはそんな酷いことをする人じゃないですッ!!」
バンッと机を叩いて立ち上がるリンの勢いに押されつつ、でもねぇ、とエルメスはわざとらしくいやらしい表情を作って言う。
「いつも『こういうことをしてもらいました』『こういうものが好きみたい』なんて報告するあんたがそんな調子なら、普通じゃないことが起こったって考えるのが普通だろう?」
「うっ、それは……」
図らずしもハジメの評価を落としてしまったと
「それに、あんたたちだとろくに解決しなさそうだしね。ほらほら、さっさと話な」
「……えっと、少し前なんですけど――」
口調こそ荒いが真剣に向き合ってくれているエルメスを見て、リンは時折つっかえながらここ数日のハジメの様子を語っていく。
ハジメが何かを考え込むようになったこと。何故か余所余所しい振る舞いを始めたこと。普段なら一緒に森を歩いたりしていたのに、自分を置いてどこかに行くことが増えたこと。
「……そりゃまた突然だね」
「はい。私なにかしたんじゃないかって凄く不安で」
「……あんた、その前に何かあったりしたかい?」
「なにか? ……あっ」
エルメスに言われて、リンはハジメが持ってきたハンカチのことを思い出した。
あの青色のハンカチは、リンが妹の為に用意したものだ。自分で名前を刺繍したからよく覚えている。
だが、そのことを直接ハジメに伝えたことはない。
エルメスに妹とハジメが接触したことを伝えるが、それがハジメの態度とどんな関係があるというのだろうか?
「多分、あいつはあんたのことを家に帰そうとしてるんじゃないかい?」
「えっ、どうしてですか!?」
リンの説明を聞いて目を瞑って少し考え込んだエルメスにそう言われ、リンはなんでそんな話になるんだと驚いた。
ハジメと妹がどんな会話をしたのかは分からないが、少なくとも自分との繋がりを確信するようなことはなかったはずだ。
困惑するリンを見て、エルメスは呆れたように言う。
「あいつだって馬鹿じゃない。妹さんの態度やあんたの態度を見て関係を悟ったんじゃないか? それで、あんたを家に帰そうって思ってるんじゃないかい」
「そんな、家に帰すなんて……」
家に帰す、と言われてリンはグラリと視界が傾いた気がした。
まともに口すら聞いてくれない両親や使用人。冷たく罵る婚約者。温かみのない一人だけの離れ。
思い出すだけで全身が冷え込んでいく。
「あんたはそれが嫌なのかい?」
「…………はい」
エルメスに問いかけられて、リンは青白い顔のまま頷いた。
妹たちの安否は気になるし、お世話になった人に話したいこともある。でもそれは、今の生活を失ってまで欲しいものではない。
そんな酷く怯えた様子のリンを見て、エルメスは諭すように言った。
「それじゃあ、きちんと話し合わないといけないね」
「話し合うって言われても……」
ハジメはこっちの言葉がわからないのだ。話し合いようがない。
「何言ってんだい。あんたが言ったんだろう『魔法の言葉で話せます』って」
「それはっ、そうですけど……でもハジメが」
「それこそ何を言ってんのさ! あいつは苦手だからやらないだけで、できない、とは一言も言ってないじゃない。魔法の言葉で話せるってのはあれだろう? こないだあいつが『綺麗だ』って言ってたやつだろう?」
「そ、それは、はい……」
「なんだ、やっぱり話せるんじゃないか」
でも、だって、と口の中でモゴモゴと言い訳を重ねるリンに、優しくエルメスが語りかける。
「リン、あんたたちはまず話し合う必要があるね」
「話し合い、ですか?」
「そうさ。あんたたちはお互いに言葉が分からないってのに甘えすぎなんだよ」
二人の関係が良好だというのは日々の様子を聞いていれば分かる。
それでもこうしてギクシャクしてしまうのは、二人が意思疎通を行うことを怠ってしまっているからだ。
気づけば、リンは机に身を乗り出すように前のめりになっていた。
「日常生活を送るのに言葉がわからないのは問題ない。それは凄いことだと思う。でもね、だからって自分の想いを伝えないってのは変だと思わないかい?」
「自分の想いを……」
「そうだよ。あんた、自分は此処に居たいってキチンと伝えたのかい?」
「それは……その、いえ」
「だろうね。で、あいつもあいつであんたのことを色々考えてるってことを教えてないってきた」
キチンと伝える手段があるのにそれをしないってのは怠慢だよ、とエルメスに咎められ、リンは頬がカッと熱くなる。
今までとは違う様子で小さくなったリンを見て微笑みながら、エルメスは立ち上がった。
「だから、あんたは家に帰ったらあいつときちんと話すこと、いいね?」
「はい。……あの?」
話は終わりだと言うように席を立ったエルメスが、部屋の奥から大きな鏡や大きな道具箱を引っ張り出してきたことにリンが首を傾げていると、道具箱からいくつか鋏を取り出したエルメスが自分の前に置いた椅子を指さした。
「そうと決まればほら、こっちに来な」
「えっ、と? あの?」
「ちょっと化粧をするんだよ。男ってのは綺麗な女性のお願いを断れないからね!」
「ええ!?」
ほら、立った立ったと急かされて席を立たされ、鏡の前に座るリン。
「そうだねぇ……今度は髪を結ってみるか。前とはまた違う印象になるだろうしね」
「あの、いいですよ私なんて」
「だーめ。あんたみたいな美人を放っておくなんて、あたしの目が黒い内は許さないよっ」
腕によりをかけて美人にするからね、と腕を捲くるエルメスの背中を見て、リンは不思議とくすぐったい気持ちになってしまう。
そんな二人の和やかな雰囲気は
「動くなッ!!」
突然扉を蹴り破られたことで霧散した。
二人が自体を把握する前に、蹴り破られた扉を踏み越えて数人の武装した男たちが入ってくる。
紋章の入った鎧や外套を纏った男たち。その紋章にリンは見覚えがあった。
「俺たちはエーゲルード王立騎士隊だ! この村には魔族と共謀して国家転覆を狙う魔女が居ると報告を受けた!」
それは王立騎士隊。
リンのことを背中から襲った者たちの証だった。
「王立騎士隊だかなんだか知らないが、人ン家に何してくれてんだい!」
ブルブルと震えだしたリンの姿を見て、さっと彼女を庇うように前に出たエルメスが先頭に立つ髭を生やした騎士に食って掛かる。
「言ったはずだ。国家転覆を狙う魔女がいると」
「はあ? この村にそんな奴はいないよ!」
「リンドヴルム・ウル・ドラコメイン」
自分の名前を呼ばれ、リンの身体が跳ねた
。
「貴様には魔族を国に導こうとした国家転覆罪の容疑がかけられている」
「待ちな! そいつはリンドヴルムなんて――ぁ?」
「あっ」
髭の生えた騎士の間に割って入ろうとしたエルメスが倒れた。
糸が切れたように倒れるエルメスの身体から血が溢れ出す。
「おばさんッ!!」
「――ぁ、ぅ……」
『眠れし母なる地よ。その御心を我が手に宿せ……ッ』
椅子を蹴飛ばしてエルメスに駆け寄ったリンが彼女の傷を見る。
脇腹にぽっかりと空いた傷は刃物が突き刺さった痕だ。
傷が内臓まで到達していたら助からない。急いで治癒魔法を発動したリンは顔を上げて髭の生えた騎士を睨み付ける。
「睨むのはいいが、よーく耳を澄ませてみたらどうだ?」
血の付いた剣を嫌そうな顔で拭いながらそう言われ、リンは黙って外に意識を向けた。
「な、なんだお前ら!?」
「やめてなにするの!?」
聞こえてくる村人たちの悲鳴と何かが壊れる音。
まさか、この人たちは。信じられないとリンが髭を生やした騎士を見ると、彼の虫でも見ているような無機質な目と視線がぶつかった。
「わ、私が貴方たちに着いていけば、村の人達に手は出さないでくれますか?」
「ふむ……それは部下たちの機嫌次第だが譲歩しよう」
リンはエルメスの傷が塞がったのを確認すると立ち上がり、乱暴に背中を押されながら家を出る。
道中、武器を向けられ殴られる村人たちから顔を背けながら騎士たちに誘導されたリンは、手枷と足枷、そして首輪をつけられて馬車に押し込まれた。
馬車の中には数名の騎士が控えていて、パンを齧っていた一人の騎士が入ってきたリンを見てにちゃりと笑みを浮かべた。
「へぇ……大した女じゃねぇか。ちょっとくらい楽しんでもいいっすか?」
「魔物を孕ませるつもりか?」
「へっ、ちげーねぇ。このパンと同じで食えたもんじゃねえや」
残ったパンを窓から捨てて下品に笑う騎士たち。
「お前たち、無駄話はそこまでだ」
「ッ!? へいっ!」
髭の生えた騎士に睨まれ押し黙る騎士たち。
馬車の中が嫌な緊張感に包まれる中、両脇を騎士に固められ顔を伏せたリンに髭の生えた騎士が声をかける。
「ああ、魔女よ一つ報告がある。村人が魔族を匿っている可能性があるため、村を焼くことにした」
「それはどういう……」
彼の言っている事が理解できず、思わず聞き返してしまうリン。
「だから、言ったままだ。村人が魔族を匿っているか村人の中に魔族が混じっている可能性があるから、村人を殺す」
「は……?」
「もし魔族の行方に覚えがあるなら今のうちに言って欲しい。国への反逆を望まないなら可能なはずだ」
なんでもないように言われ、リンは内臓がぐるぐると捻りきれるような痛みを覚える。
――彼は何を言っている? 魔族の可能性があるから焼く? 殺す? 彼を差し出せば助けてもらえる? でもそれは本当に? これ以上彼に迷惑をかける訳には。
頭が割れるように痛む。勝手に視界が歪みだす。そんな中でリンは永遠とも思えるほど考えて考えて、
「……ま、魔族は…………。魔族は、今日の夕方、日が落ちる直前にこの村にやってきます。黒い鎧と大きな剣で武装していて、魔法を使います。彼は、この村の正門から必ず来ます。だからどうか村の人達には手を出さないで……ッ」
絞り出すようなか細い声を聞き、髭の生えた騎士は目を細めるが何も言わずに扉を閉める。
――ああ、ごめんなさい。私のせいで、こんな私が幸せだったから、ごめんなさい。ごめんなさい。
ガタガタと軋みを上げて動き出す馬車の中で、リンはただ項垂れて心の中で謝罪を繰り返すのであった。
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