228 何かと入り用

 父さんが脳卒中で倒れた当初。

 母さんは元々の仕事に加え、お見舞いにリハビリの手伝いにと大忙しだった。

 身を切るようにして、本当に頑張ってくれていた。

 しかし、それでも。

 家計を維持していくには明らかに不足がある状態だった。

 俺が高校を中退して村山マダーレッドサフフラワーズに入らなければ、どこかで母さんが潰れて親子3人路頭に迷うことになっていたに違いない。


 もしも俺が転生者でなければ。

 たとえ転生者であったとしても、あーちゃんと出会わなければ。

 そして鈴木家との信頼関係を構築することができていなければ。

 何か1つ違えば、最悪の未来もあったかもしれない。

 だが、幸いにもそうはならずに済んだ。

 本当に、人の縁というものが身に染みる。


 何にしても。

 そうした積み重ねの結果として今は家計に余裕があり、母さんも父さんと共に大きな問題なく過ごすことができていた。

 あーちゃんのサプライズに積極的に参加していたことからも分かるだろう。


「母さん、何か不自由はない?」

「大丈夫ですよ。お父さんと少し遠出をしてみたり、加奈さんと一緒に料理のお勉強をしたり。むしろ昔よりも充実しているぐらいです」


 これは少し前にした母さんとした会話だ。

 一切の翳りがない微笑みを向けられて少しだけ照れ臭かった。

 今生は親孝行ができている。そんな安堵感もあった。


「欲しいものとかは?」

「……そうですね。あるとすれば、早く孫の顔が見たい、ぐらいでしょうか」


 冗談っぽく告げる母さんだったが、19年以上息子をやっている俺にはそれが実際には本心であることがよく分かった。


「えっと、あ、はは」


 なので、そうやって誤魔化すように笑うしかなかった。

 現状、あーちゃんは替えが利かない貴重な戦力なのだ。

 どういった形であれ、今の段階で離脱されてしまうのは非常に困る。

 少なくとも次回のWBWまでは。

 彼女自身もそれを理解してくれている。

 まあ、子供は野球チームが作れるぐらい欲しいと常々言ってはいるけれども。

 この時も、俺のことをツンツン指で突いて何やらアピールしていたけれども。

 ……っと、また話が逸れてしまった。


 とにもかくにも現在。

 かつての微妙な貧しさとは打って変わり、野村家の家計は大分余裕がある。

 3部リーグのプロ野球選手となった時点で既に、俺の給料だけで家族3人を十二分に賄うことができるぐらいだった。

 2部リーグの頃にはあーちゃんと結婚し、彼女と共働き状態。

 更に今となっては1部リーグのプロ野球選手にまでなった。

 まだ1年目なので最低保証年俸ではあるものの、それでも日本の平均所得から考えると桁違いに裕福な暮らしができるだけの月収を得ることができている。

 勿論、プロ野球選手そのものは安定した職業とは言えないが……。

 俺に限って言えば【怪我しない】上に【衰え知らず】なので、怪我や衰えで短命選手になってしまうような心配はない。

 スキャンダルには気をつけなければならない、という程度のものだ。

 余程のことがない限り、家計については盤石と認識していいだろう。


 とは言え、だ。

 気軽にポンポンと大きな買い物ができるかと言うと、まだまだ微妙なところ。

 いや、小市民感覚が抜けていないから腰が引けているというのもあるけれども。

 それ以上に真っ先に手に入れなければならないものがあり、それは1部リーグの最低保証年俸でも躊躇われる程の高額だったからというのが大きかった。

 それも含めて、諸々「契約更改以降になるだろうな」と思っていた。

 だが、ここで。

 埼玉セルヴァグレーツの本拠地であるムーンストーンドームの「当たったら1億円」の看板にホームランをぶち当てて手に入れた1億円が活きることとなった。

 正直ちょっと狙いはしたものの、あれに関しては本当に運がよかった。

 それはともかくとして。

 現在、この1億円を元手に「真っ先に手に入れなければならないもの」についてあれやこれやとお義父さんにお願いをしており――。


「お義父さん、色々ありがとうございます」

「これぐらい何の問題もないよ。いくらでも頼って欲しい」

「それで、どうですか?」


 俺は今正に、その進捗を彼に確認しているところだった。

 今シーズンも既に折り返し。

 7月も中旬となり、鈴木家のリビングも徐々にクーラーが稼働し始めている。

 今日は本拠地に帰ってくるタイミングでの移動日ということもあって少し余裕があったので、お義父さんに時間を作って貰ったのだった。


「希望の土地を押さえることはできたよ。後は建築士と詳細を詰めるだけだ。健也さんと美千代さんの都合がつくタイミングでまた話をしよう」


 お義父さんが口にしたそれは、俺が思い描いている「真っ先に手に入れなければならないもの」の極々一部分だ。

 土地を購入し、そこにとある設備を作る。

 その設備こそが正に今後の必需品だった。


「運動場つき一戸建て。理想の二世帯住宅。とてもとても大きな買い物」

「ああ。それだけに、手付金やら諸経費やら何かと入り用だったからな。あそこで予想外の大きな収入があって本当によかった」


 おかげで計画の1つを大幅に前倒しにすることができた。


「最新式のピッチングマシンも超高価」

「普通に4桁万円になっちゃったからなあ」


 今正に隣であーちゃんが口にした通り、必需品の肝になっているものがそれだ。

 一般販売もされている超ハイエンド機に、もはや原型を留めていないレベルで魔改造を加えた仕様で発注したピッチングマシン。

 原型の時点で最新のAI技術が制御プログラムに活用しており、うまく学習させれば実在のピッチャーも完全再現可能と謳われていた。

 メーカーによると、ミリ単位で変化球の調整もできるそうだ。


 それを、最高球速250km/hのモンスターマシンにして貰った。


 もはや非常識としか言いようがない数字だ。

 しかし、前世のとあるバッティングセンターでは実際にピッチングマシンを改造してそれぐらいの球速を出していたそうだ。

 そして、それを実際に打つ猛者もいたらしい。

 まあ、それは余談だが……。

 原型の超ハイエンド機の時点で数百万円程度だったところに更に機能を色々と追加した結果、1つ桁が増えてしまった。

 超高級車レベルの大きな買い物だ。

 それを可能にしてくれた看板ホームランの賞金は本当にありがたかった。


「しかし、あれ程までの性能が本当に必要なのかい? WBWアメリカ代表の投手が記録した世界最高球速でも175km/hだってのに」

「そうですね。けど、それ以上のものに慣れておいて損はないでしょう」

「まあ、それはそうだろうけどね」

「万が一、アメリカ代表を遥かに超えた能力の持ち主が現れたら困りますし」

「……いやあ、さすがにそんなことは、ないんじゃないかな」


 苦笑気味に言うお義父さん。

 恐らく世界中のほとんどの人間が同じように思っていることだろう。

 しかし、俺を含めた【マニュアル操作】を持つ転生者は感づいているはずだ。

 遺伝子ドーピングを受けたであろうロシアの超人選手達の存在に。

 その中でも特にファリド・ファジェーエヴィチ・マヤコフスキー投手。

 ステータスを確認した限り、彼は理論上221km/hまで出すことができる。

 もしも【体格補正】を更に上げる調整が施された選手が生まれでもしたら、それ以上の球速で投げ込んでくる可能性もある。

 勿論、それに体が耐えられるかどうかは全く別の話だが……。

 WBWでロシア代表と当たった時には、それぐらいの球が来るという最悪を想定しておいた方がいいだろう。

 その辺の話は、何にしても理由づけとして口にはできないけれども。


「いずれにせよ、打倒アメリカ代表のために必要なことです」

「しゅー君はしゅー君と戦えない。それが最大のネック。掲示板で書かれてた」

「それは……残念ながらその通りだね」


 交流戦でピッチャー磐城君やピッチャー大松君と戦えるかと思ったが、球団の勝利優先の方針によってローテーションを変えて回避されてしまった。

 それを否定する気はないけれども、大リーガー級の選手と公式戦の場で真剣勝負をする経験を積みたい俺にとっては少し困った話だ。

 WBWを考えると、四球攻めと然程変わらない。


 もっとも。

 糧にできそうな投手が元々彼ら2人しかいない上にそれぞれ別々のリーグにいるのだから、対戦機会なんてそもそも限られている訳だけれども……。

 ないよりはあった方がいいのは間違いないからな。

 ただ、それだけでは不十分なのは目に見えている。

 そこで考えたのが、もう頭が悪いぐらいの性能まで魔改造したピッチングマシンで打撃練習を行って感覚を掴むことだった。


 しかし、ただスペックを上げればいいという話には当然ならない。

 250km/hの球が人に当たれば大怪我では済まないからな。

【怪我しない】俺なら問題ないが、ポーズだけでも安全に配慮する必要がある。

 ましてや誰かに使わせるのなら言わずもがなだ。

 あーちゃん達も使おうとする可能性は十分あるからな。

 なのでピッチングマシンそのものに安全装置をつけ加えたり、防護ネットやフェンスで物理的に囲ったりといったことも必要不可欠。

 加えて、あーちゃんや両親と住むための家も併設するつもりでいる。

 それを考えると1億円では足りないだろう。


 なので、先に述べた通り「当たれば1億円」で得た1億円はあくまでも元手。

 大手を振って計画をスタートさせるためのものに留まる。

 最終的な支払いは諸々の完成後。

 来シーズン以降、大幅増確実な年俸からの支払いになるだろう。


 とは言え、小市民的には捕らぬ狸の皮算用は忌避感がある。

 手元には可能な限り現ナマを置いておきたいところだ。


「……そう言えば、そろそろオールスターゲームだね。村山マダーレッドサフフラワーズからもファン投票で何人も選出されて、俺も鼻が高いよ」

「ん。ぶい」


 話題を変えたお義父さんに対し、あーちゃんがVサインで応じる。

「何人も」の中には当然、俺と彼女も入っている。

 突出した活躍を見せているから当たり前と言えば当たり前だ。

 監督推薦も含めて、美海ちゃん、昇二、倉本さんも出場予定だ。


 そのオールスターゲーム。

 前世でもそうだったが、活躍に応じて色々と賞があって賞金が出る。

 ちょっと金の亡者感が出てしまうが、物事は何をするにも金がかかる。

 ここらでまた一稼ぎしたいところだ。

 勿論、同じくファン投票圧倒的1位で選出されている磐城君や大松君、山崎選手との対戦も楽しみだけどな。

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