試合経過05 初対戦(海峰永徳視点)
そうして5点差をつけられた状態で1回裏の攻撃が始まり、こちら側の先頭打者である中井和之が右のバッターボックスに入った。
マウンドには相手先発の野村秀治郎が右手にグローブをつけて立っている。
それを俺はベンチから静かに注視していた。
中井和之は両打ちで、野村秀治郎は両投げ。
そう書いてしまうと特別なものを感じさせる対決ではあるが、起用法的に当然ながら1試合の中で右と左で投げ分ける訳ではない。
この試合に登板しているのは、あくまでも1人の左投手だ。
だから今日の中井和之は右打ちを選んでいる。
感覚的なものとのことだが、やはり球の出所が見やすいらしい。
右対右、右対左、左対左、左対右を細かく分けた公式記録はないので比較することはできないが、少なくとも打率は対左投手の方が対右投手よりも高いようだ。
しかし――。
――パアンッ!!
「ストライクワンッ!」
キャッチャーの野村茜が構えたところにボールが綺麗に収まる。
初球。ど真ん中のボールだったが、中井和之は見送った。
先頭打者ということもあり、1球目を打つ気は元々なかったはずだ。
しかし、呆然と立ち尽くしてしまっている。
手が出なかったと見なされてもおかしくないような姿だった。
耳にはスタンドを埋め尽くした観客達のざわめきが届いている。
バックスクリーンを見れば、計測された球速が表示されていた。
その数値は170km/h。
野村秀治郎が記録した日本野球界最高球速が、初球から計測されていた。
だが、奴はそれを意に介した様子もなくキャッチャーからの返球を受けている。
そのまま鈴木茜とサインを交わした素振りもなく投球動作に入り――。
「ストライクツーッ!」
2球目。ボールゾーンから入ってくる外角低めの高速スライダー。
中井和之はこれもバットを振ることなく見逃す。
恐らく完全にボール球だと認識していたのだろう。
ベンチから見てもエグい変化量だったからな。
そう誤認するのも無理もない。
しかし、これでノーボール2ストライク。
早々に追い込まれてしまった。
それでも尚、淡々と野村秀治郎が振りかぶる。
最近では随分と減ったワインドアップのフォームから3球目が投じられる。
――パアンッ!!
「ストライクスリーッ!!」
「「「「「ああ……」」」」」
スタンドから落胆の声が聞こえてきた。
内角高めいっぱいの直球。球速は再び170km/h。
中井和之は完全に球威に圧倒されていた。
結局のところ1回もバットを振ることなく、3球三振に倒れてしまった。
遊び球は一切なし。
全てストライクゾーンでの勝負だった。
だが、野村秀治郎にその傾向があることは周知の事実だったはずだ。
どの番組の解説者も二言目にはそれを指摘している。
まあ、2球目までは許してもいい。
しかし、先頭打者であること。
ここ最近の野村秀治郎は小さく曲がる変化球を主体にしていたこと。
それらを考慮に入れても、最後まで振りに行かなかったのは理解できない。
「おい。振らないと当たんないだろ」
「……そんなことは分かってる」
苛立ったように返す中井和之に「なら振れよ」と内心思う。
しかし、思うだけに留めた。
バッキバキに見開かれた目で見据えられたからではない。
……最近、とみに球団の雰囲気が悪い。
軽く嘆息しながら視線をグラウンドに戻す。
まあ、今は周りの奴らのことなんてどうでもいい。
自分の打席までに少しでも球筋を見極め、結果に繋げなければ。
「ストライクワンッ!」
続く2番打者の辻木浩彦もまた初球を見逃す。
インコースに来た球に驚き、無様に尻もちをつきながら。
その球は右バッターがぶつけられると誤認してしまうような軌道から鋭く大きく変化し、内角高めギリギリいっぱいに決まったようだ。
球種は160km/h超えのシュート。
ボールにしろよと思うが、さすがに審判は小細工に応じてくれない。
正確なジャッジができなければ、簡単にその立場を追われてしまうからだ。
それだけに留まらず、不名誉と共に厳しい罰則が下される可能性もある。
かつて賄賂を貰って判定を甘くしたのがバレて追放処分を受けるに至った審判の名は、未だに槍玉に挙げられて徹底的に侮蔑されている。
審判員の研修にも毎度毎度登場しているぐらいらしい。
悪い意味で球史に名を刻まれている訳だ。
故に、いくら金を積んだところで彼らは動いてくれない。
試合で小細工をするつもりなら、必ず野球規則の範囲で行わなければならない。
そうでないと自分の身も危うい。そういう社会だ。
「ストライクツーッ!」
2球目は内角から外角低めいっぱいに逃げていくシンカー。
これも当たり前に160km/hを超えている。
辻木浩彦はへっぴり腰で追いかけるようにバットを振るが、空を切る。
しかも明らかな振り遅れ。酷いスイングだ。
内、外と来たら最後は――。
「ストライクスリーッ!」
先頭打者に続いて内角高めいっぱいのストレートで見逃しの三振。
誰にでも予想できるような単調な配球だったにもかかわらず、日本最速のスピードボールに辻木浩彦は全く手が出なかったようだ。
野村秀治郎は完全に力で捻じ伏せに来ている。
格下を叩き潰そうとしているかのように。
『3番、ファースト、麗羅加太』
2アウトランナーなし。
その場面で3番打者の麗羅加太が、これも右のバッターボックスに入った。
ルーティーンの動作を行う様子をネクストバッターズサークルから眺める。
麗羅加太は俺に次いでパワーがある。
タイミングよく当てることさえできれば、スタンドまで弾き飛ばせるはずだ。
球速が速ければ速い程、少なくとも飛距離は出やすくなるからな。
コンタクト重視のスイングでも俺達なら十分柵越えできるはずだ。
「ストライクワンッ!」
しかし、麗羅加太もまた。
まるで機械のように精密にコントロールされた野村秀治郎の変化球によって、容易く空振りさせられてしまっていた。
ボールの軌道とスイングがかけ離れている。
球団に働きかけて浜中美海のナックル対策として選別したボールを今日もそのまま使用しているため、指先の投球感覚が異なっているはず。
にもかかわらず、完璧に制御している。
思えば、昨日の浜中美海の縦横のスライダーもおかしい程に精度が高かった。
両者共に、あの僅かな投球練習だけでアジャストしたと考えるしかないが……。
適応力まで類を見ないレベルだと言うのか。
「ストライクスリーッ!!」
そんなことを考えている間に、麗羅加太が空振り三振に倒れてしまう。
追い込んでからのフォークボールを振らされてしまった。
僅か9球。3者連続3球三振。
俺の前で3アウトチェンジとなった。
それを野村秀治郎は喜ぶでもなく、当たり前の顔でベンチに戻っていく。
この程度はまだ序の口だとでも言わんばかりに。
……癪に障る。
続く2回の表。村山マダーレッドサフフラワーズの攻撃。
9番からの打順だった。
再び打席が回った野村秀治郎を申告敬遠するも、3点追加されてしまった。
スコアは8-0となる。
『4番、指名打者、海峰永徳』
そうして攻守交替して2回の裏。
この回の先頭打者として俺の第1打席目が巡ってきた。
最近は毎度毎度、その試合の初打席はスイングのキレが悪いが……。
今日は最初からいつになく調子がいい。
練習通りという感じだった。
「来い」
気合いを入れ直すように口の中で呟き、右のバッターボックスで構えを取る。
初球はインコース低めいっぱいに抉り込んでくる高速スライダー。
比較的苦手で厳しいコースだが、この後で甘い球が来ることは期待できない。
思い切って振りに行く。
しかし、バットは空を切ってしまった。
タイミングが合わなかった。
「ちっ」
思わず舌打ちしてしまう。
四隅に来ることは予想できていた。
低めなのは即座に分かったので後は外と内のいずれかだったが、2択を外した。
のみならず、そもそも振り遅れだった。
変化球が思った以上に速い。
もっと始動を早くするべきか。
そんな俺の考えを読んだかの如く。
「ストライクツーッ!」
2球目はカーブ。
160km/hの高速スライダーよりは遅い。
遅いが、速い。速過ぎる。
表示された球速は、カーブにもかかわらず140km/hを超えていた。
20km/h差にタイミングを外され、しかし、タメを作って対応するには速過ぎて間に合わず、インコース低めに決まったのを見逃してしまった。
簡単に2球で追い込まれ、ノーボール2ストライク。
そして3球目。
「ストライクスリーッ!!」
170km/hのストレートが内角低めに決まる。
前の球から球速差30km/h。
徹底してインコースで勝負され、結果は見逃し三振。
手が出なかった。
「くそっ」
悪態をつきながらベンチに戻り、乱暴に腰を下ろした。
無言の中井和之がバキバキに目を見開いて俺を見ているが、スルーする。
野村秀治郎。
話半分で聞いていたが、自分の肌で感じたものまでは否定できない。
実際に相対すると、明らかに日本人離れした能力を持っていることが分かる。
この感覚は前々回のWBWでアメリカ代表の本職投手に抑え込まれた時に近い。
兵庫ブルーヴォルテックスの磐城巧や東京プレスギガンテスの大松勝次とも対戦したことがあるが、ここまでのものは感じなかった。
……コイツは本当に、打倒アメリカをなし得る逸材だとでも言うのか?
いや。
いや、まだだ。
まだ1打席目の勝負が終わったに過ぎない。
認めることなどできはしない。
1打席目よりも2打席目。2打席目よりも3打席目。
試合後半でこそ俺のスイングは鋭さを増す。
特に昨日の最終打席はいつになく振れていた。
野球人生最高の一打だった。
焼け石に水だのとほざく輩もいるが、そういった状況で水をかけることすらしない、できない選手こそクソだろう。
残り2打席か3打席か。
それは分からないが……。
必ず打って、俺の才能を示してみせる。
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