213 世界そのものからのカウンター?

「まず前提として、ロシアは次回WBW出場解禁のために国内の全プロ野球選手に対して国外機関によるドーピング検査を課したことをお伝えしておきます」

「つまり、今回紹介する彼らは公的にクリーンな状態ってことだよぉ」

「ロシアがドーピング検査を行ったみたいなニュースは少し前に見かけた気がするけど……公的にクリーンな状態なんてホントなのかしらね」


 佐藤さんと藻峰さんの前置きに対し、疑念の色濃い声色と共に呟く美海ちゃん。

 信用を失うのは一瞬。取り戻すのは一生。

 1度でもやらかしてしまった人間は、たとえ本当に改心していたとしても世間から厳しい目を向けられてしまうものだ。

 しかし、少なくとも彼女らが告げたその部分に関しては確かな話ではある。


「ロシア自身に強く乞われたのが切っかけではありますが、検査自体は世界アンチドーピング機構主導で行ったことですから、間違いはないと思いますよ」


 美海ちゃんが目にしたニュースも、しっかりとソースを辿っていけば情報源はロシアではなく世界アンチドーピング機構に突き当たる。

 かの機関によるプレスリリースにて、ロシアの全プロ野球選手に対してドーピング検査を実施したことが公的に発信されているのだ。


「……そうなの?」


 ちょっとした驚きを声と表情に滲ませながら尋ねる美海ちゃん。

 まあ、彼女はこの数ヶ月、新球習得に忙しかったからな。

 精々見出しを流し見たぐらいで、詳しく情報収集などしていなかったのだろう。

 と言うか、そこは彼女の役目ではない。ましてや――。


「一連の流れの中で何人かの選手が陽性となって追放処分を受けてもいるので、疑いを向けてしまうのも理解できます」

「自分で切っかけを作って自国の選手を追放なんてさせる訳ないわよね……」


 まあ、自作自演のトカゲの尻尾切りと見なすこともできなくはないけどな。

 ロシアにとってWBW出場解禁が急務なのは否定しようのない事実だし。

 疑い出したらキリがないけれども。


「少なくとも今現在ロシア国内のプロリーグに出場している選手については、現行のドーピングに対する疑いは晴れたと言っていいと思います」

「……そう。詳しく聞かずに穿った目で見るべきじゃないわね。反省」


 美海ちゃんの認識としてはそれぐらいでいいと思う。

 禁止薬物によるドーピングが行われていないのは確かだし、前回問題になった腸内細菌ドーピングについても真っ白。

 それは間違いないのだから。

 しかし、【マニュアル操作】が見せるステータスは異常な数値を示している。

 そのせいで俺は疑いにキリをつけることができない。

 正に穿った目で見ている真っ最中だ。


「紹介する選手の1人目はファリド・ファジェーエヴィチ・マヤコフスキー投手です。その最たる特徴は世界記録タイとなる球速です」

「……175km/hの直球を実際に投げたってことか? そんな話、聞いたことないぞ。タイ記録にせよ、本当ならニュースにぐらいなってると思うが」


 ピッチャーの情報だからか、今度は正樹が疑いを口にする。

 最高球速175km/h。

 それはWBWアメリカ代表のサイクロン・D・ファクト選手とジャイアント・R・クレジット選手が記録した恐るべき数値だ。

 佐藤さんはファリド選手もまた、それを達成したということだが……。


「ホントの話なんですか?」


 兄の疑問を受け、弟の昇二もまた訝しげに問う。

 レジェンドの魂を得た大リーガーと同等なんて異常極まりない……などという認識は、転生者でなければ持ち得ないもの。

 それでもアメリカ代表はモノが違うという認識は誰もが持っている。

 故にアメリカ以外の国から3人目の達成者が出てくるなど完全に予想外のこと。

 受け入れがたく思うのも無理もないだろう。


「気持ちは分かるよ! シュシュも最初に見た時はそう思ったし。けど――」

「これは、紛うことなき事実です。小さくですが、報道もされています」

「……それは知らなかったな。記事は残っているのか?」

「はい。コチラです」


 スライドに埋め込まれていたリンクからネットニュースを表示させる佐藤さん。

 しかし、世界記録を出したにしては記事が異様に短かった。

 アクセス数もこの手の記事にしては異常に少ない。


「これは、情報源として信頼していいのか?」

「閲覧こそされていませんが、記録自体は公式戦で出たものです。ファリド選手がスピードガンで175km/hを計測した球を投げたことは事実でしょう」


 佐藤さんはそこで1度区切ってから補足の言葉を続けた。


「ドーピング問題があった手前、無条件で正式な記録とは認めにくい。何より、あくまでもタイ記録。そういったことから各国の報道機関はアリバイ作り的な消極的報道に留め、結果として情報の海の中に埋もれてしまっていたのでしょう」

「もしかしたら意図的にトップページに出てこないようにしていたのかもだねぇ」


 ドーピング問題の余波と、あくまでもタイ記録であるが故に。

 ファリド選手の存在はまだ世界的には知られていないということのようだ。

 しかし、それは俺から言わせると正確ではない。

 そもそもファリド選手は本気で投げていないからだ。

 彼の最終ステータスを鑑みると175km/hは序の口でしかない。

 何故なら【体格補正】が異常値を示しているからだ。

 先程名前を挙げたサイクロン・D・ファクト選手とジャイアント・R・クレジット選手の【体格補正】による補正値は+3%。

【Pitching Speed】の基礎ステータス値170にそれが加わって175だ。

 これによって175km/hの世界記録を成し遂げている。


 ファリド選手もまた現時点で【Pitching Speed】が170のカンスト。

 そこだけを切り取れば同等だ。

 しかし、彼の【体格補正】の補正値には+30%という異常値が記されている。

 つまり理論上、最高球速は221km/hになるはずなのだ。

 もはやゲームでもバグ技を使ってようやく至ることができるような境地。

 完全に常識的な人間から逸脱してしまっている数字だ。

 それを彼は175km/hに抑えて投げているのだ。

 と言うより。

 Max221km/hなどという規格外の球を実際に投げることは不可能だ。

 何故なら、そんな出力に人体が耐えられるはずがないからだ。

 正直、175km/hの時点で危険極まりない。

 180km/hが人間の身体構造的な限界だと言っている研究者もいるからな。

 人間の形をしている限り、フルスペックを発揮する前に怪我をすることだろう。


 しかし、何故。どのようにして。

 彼らは完全に制御できもしないようなスペックをその身に宿しているのか。

 その理由はおおよそ分かっている。


「って言うか、マッチョ過ぎない? この選手達」

「ファリド選手を含め、今回紹介するロシアの選手は総じてミオスタチン関連筋肉肥大症と診断されていますからね。程度の差はありますが」

「何、それ? 病気?」

「筋肉量を抑制する遺伝子であるミオスタチンの機能が欠損していることで、筋肉が異常発達してしまう疾患です」


 正直なところ、やらかしたな、と俺は見た瞬間に思った。

 重度のものは前世でも100人程度しか確認されていないと聞く症例。

 軽度であっても、決してありふれたものではない。

 それが同時期に1つの国に何人も現れるというのは偶然とは思えない。

 周りに転生者のようなイレギュラーも見当たらない。


 となれば、考えられることは1つ。

 いわゆる遺伝子ドーピング。

 遺伝子操作によって意図的にミオスタチンを抑制し、筋肉の発達を促す。

 そのような処置を生まれながらに受けている可能性が高い。


「筋トレにはいいかもだけど……それって、大丈夫なの?」

「デメリットはあります。カロリーの消費が激しく、成人男性の数倍のカロリーを摂取する必要があることです。そのため、彼らは試合中にも食事を取っています」


 問題は他にもある。

 症状が重いと心臓への負荷が強く、むしろ運動に支障が出る場合もあると聞く。

 とは言え、その辺りはうまくバランスを取っているはずだ。

 だからこそ運用を始めたのだろうから。

 そこに至るまでに、どれだけの失敗を積み重ねてきたのかは分からないが。


 勿論、ミオスタチン関連筋肉肥大症が全てではないだろう。

【体格補正】+30%という異常値を成し遂げるには、それだけでは足りない。

 あくまでも一部分に過ぎないはずだ。

 これ以外にもいくつもの遺伝子操作が施されていると見て間違いない。

 あるいは。

 骨硬化症にならない範囲で適度に骨密度を上げているかもしれない。

 ヘモグロビン値を上げて、酸素供給能力を高めているのかもしれない。

 速筋と遅筋の働きに関わるα-アクチニン3遺伝子のバランスを、ポジション毎に最適な割合に調整しているのかもしれない。

 野球に寄与するあらゆる面において、人間という存在の遺伝子に組み込まれた設計上の上限値に少しでも近づくことができるようにデザインされたのだ。

 そう断定していいぐらい【体格補正】+30%というのは尋常ではない。


 それでも。

 人間は人間の全てを解き明かしている訳ではない。

 生物的な人間の枠組みを完全に逸脱することもできない。

 いや、仮にできたとしても、それはバレにくいドーピングとしての遺伝子ドーピングからも完全に外れた話になってしまう。

 肩が消耗品であることに変わりはない。

 靭帯を鋼にすることができる訳でもない。

 出力だけ上がっても強度が不足していれば自壊するだけだ。


 しかし、WBWの間だけ持てばいいと使い潰そうとしている可能性もある。

 対峙する側としては、基本的にはフルスペックの相手を想定しておくべきだ。

 ステータスカンストに+30%。

 即ち基礎ステータス1300に球速221km/h相当の選手。

 もし本当に100%の力を発揮して立ち塞がってくるというのなら、現アメリカ代表チームよりも脅威となるかもしれない。


「え、でも、これってアレじゃないの? 規制されないの?」


 と、昇二が暗に遺伝子ドーピングではないかと問いかける。

 しかし、そうだとしても法的に規制できるかは不透明だ。

 そもそも検査基準も何もないだろうしな。

 ファリド選手らについては遺伝子治療のような後天的な方法でもなさそうだし。

 処置前後での比較みたいなこともできない。

 できるのは血縁者との比較ぐらいだろうが、その遺伝情報は私人の個人情報だ。

 法整備をするにしても相当な時間がかかることが目に見えている。


「現時点では偶発的な疾患ということになっていますので……」

「心臓への負担とかでドクターストップはあり得るかもだけどねぇ」


 それもまた難しいだろう。

 遺伝子ドーピングとは何ら関係ない話だが、前世には心臓疾患を持ちながらプロ野球選手として活躍した選手が何人もいた。

 有名どころでは8時半の男などは正にそれだ。

 勿論、命の危険がない範囲での話ではあるものの、自らの意思に依らず疾患があるという理由でスポーツから排除することは許されまい。

 これもまた、議論が紛糾する部分であることは間違いない。


「いずれにしても、私達は彼らが次回のWBWロシア代表として出場する前提で考えておくべきでしょう」


 それは、まあ、その通り。

 どのような背景があるにせよ、不出場を期待して対策を疎かにしてはいけない。

 リスクは常に最悪を想定すべきだ。

 ロシアは最も警戒すべき国として注視していく必要がある。


「続いてアナトリー・マクシモヴィチ・スミルノフ選手。ポジションは捕手。彼は打撃力に優れたキャッチャーで、打撃成績は現時点で――」


 その後も【体格補正】値が異常なロシア人選手が紹介されていく。

 転生者とは関わりのないところから生まれた猛者達だ。


 しかし、そのように考えると。

 ある意味、野球狂神のバランス調整の悪さと転生者とかいうクソパッチによる修正に対する世界そのものからのカウンターのように思えてくるな。

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