198 トレース磐城君
――ガシャン! テン……テン、テン。コロコロコロ。
俺の投じたボールがキャッチャースボックスの位置に固定されたネットにぶち当たり、衝撃を吸収されて僅かにバウンドしてからグラウンドに転がる。
それから少し遅れて。
『ストライクワンッ!』
審判アプリの電子的なコールがシンとした球場に響いた。
アプリが搭載されたタブレット端末は、ネットの裏の奥側に設置されている。
1球目は綺麗なスピンの利いたストレート。
山崎選手はインコース高めのそれを、スイングすることなく見送っていた。
「…………162km/hだ」
と、スピードガンを構えていた安藤選手が驚きを滲ませながら告げる。
その言葉を受け、直球の威力に息を呑んでいた人々からどよめきが起こった。
俺と山崎選手の対戦を周りで見学していた合同自主トレの参加選手達。
それと、球場に集まっていた記者とカメラマン達からもだ。
このエキシビションマッチはいいネタになると判断されたのだろう。
全てのカメラがこちらに向けられている。
「秀治郎選手。俺達としてはありがたいが、こんな春季キャンプも始まっていないような時期に本気の投球をして大丈夫なのか?」
「ええ。問題ないですよ」
マウンド付近に纏めて置かれたボールを手に取りながら、軽い口調で答える。
俺には【生得スキル】【怪我しない】があるからな。
どんな状態で投げようともの怪我をするようなことは決してない。
もっとも、彼らはそんなことは知らない。
この場で非常識な行動を取っているのは間違いなくこちらの方だ。
不審に思われないためにも、その非常識に僅かなりとも理屈をつけて少しでも常識的なものに近づけなければならない。
それは彼らを丸め込む側である俺の仕事だ。
「事前の打ち合わせ通り、この模擬戦は50球までの予定ですし」
「いや、そうは言ってももう少し加減はするものと……」
「大丈夫ですよ。これでも俺は、村山マダーレッドサフフラワーズの投手コーチも兼任していますからね。ちゃんと問題のない範囲でやってます」
「本当か?」
「勿論。こんなことで嘘はつきません。野球人生にも関わる話ですからね」
心配そうな安藤選手の問いに俺はキッパリと断言し、自分の主張を押し通した。
気弱な様子を見せては相手の不安を煽ってしまうからな。
堂々とした姿を見せなければ、相手を説得することなどできはしない。
ちょっと怪しげな論なら尚更のことだ。
「そ、そうか」
そんな俺の言動に、安藤選手は逆に気圧されてしまったようだった。
うまく誤魔化すことができたと見ていいだろう。
「コチラとしても1部リーグの選手と対戦できるいい機会ですし、球団からもある程度は自由にやっていいと言われてます」
「それなら、いいんだが……」
「いずれにしても全ての責任はコチラにあるので、心配無用ですよ」
とは言え、よい子は安易に真似をしてはいけない。
無茶な投球は大怪我の元だ。
俺だって最低限の投球練習をしておいたからな。
ちゃんと全員の目に入るように目立つところで。
【怪我しない】なしでガチ投球するなら、ちゃんと肩慣らしをしてからにしよう。
……っと、思考が横道に逸れてしまったな。
山崎選手がバッターボックスで待っている。
とにもかくにも、この模擬戦を続けよう。
「では、2球目。行きますね」
左バッターボックスの山崎選手と向き直り、ボールを軽く掲げながら告げる。
それに対して彼が頷いて構えたのを確認してから、俺は投球動作に入った。
2球目の球種はカットボール。
外角低めのボールゾーンからストライクゾーンに入るバックドアだ。
山崎選手はスイングを始動するが……。
――ガシャン!
『ストライクツーッ!』
途中でボール球と判断したのか、彼は途中でバットをとめて見送った。
しかし、審判アプリが告げたように判定はストライク。
ノーボール2ストライクと山崎選手は僅か2球で追い込まれてしまった。
「ふー……っ」
彼はそこで深く息を吐き、一層集中力を高めて早々に構えを取る。
今は一々言葉を投げかけるべきじゃないな。
俺はそのまま新しいボールを手に取り、3球目の投球に入る。
今度はインローへのワンシーム。
2球目バックドアからの今度はフロントドア……ではない。
内角低めのストライクゾーンから少し沈んでボール球になる軌道だ。
――カツン!
今度は振りに行った山崎選手のバットは、変化を追い切ることができなかった。
シンカー気味に変化した球はバットの先に当たる。
芯から外れた打球はファーストへのボテボテの内野ゴロとなった。
誰が見ても凡打。
100人が100人、ピッチャーの勝利と判断するだろう結果だった。
「くっ!」
山崎選手は悔しげにバットを掲げ、ボールが当たった辺りを睨む。
あの煽り動画で言う94~95点の投手との対戦は、彼がまだWBW日本代表に選ばれたことがない以上、去年の練習試合での俺との1打席以外にはない。
そもそも経験が足りていないし、1月現在で86~87点というところの山崎選手ではまだまだ力不足だ。
しかし、力の差を自覚すればする程、彼は更なる成長を見せてくれるだろう。
山崎選手は、立ちはだかる壁を前に発奮して努力できるタイプの選手だからな。
……さて。
一勝負終わったところで一旦、磐城君の傾向について軽く話そう。
「データによると、少なくとも兵庫ブルーヴォルテックスユース時代の磐城君はストライク先行で投げ込んできていました」
【戦績】を参照しながら彼の傾向について告げる。
もっとも、これは俺や正樹、そして大松君についても同様だ。
余程のことがなければ日本国内の対戦相手は格下。
わざわざボール球を使うよりもストライクゾーンにガンガン投げた方が効率的。
球数を抑えて1人で1試合投げ切るにはその方がいい。
だから、自然とこの傾向が出る。
その上、全員ステータス的にもカンスト。
持ち球も似たり寄ったりになっている。
フォームも【成長タイプ:マニュアル】だと大体似通ってくるものだ。
ただ、俺も正樹も磐城君も大松君も当然ながら全く同じ人間ではない。
別々の存在であり、性格も大きく異なる。
そして性格が異なれば、好みの攻め方、球種というものも違ってくるものだ。
「磐城君は低めのムービングファスト系を好んで使いますね。勿論、今年からは兵庫ブルーヴォルテックスの正捕手の傾向も絡むので一概には言えませんけど」
彼は基本的に、三振よりも凡打の山を築くのを主眼に置いたスタイルだ。
可能な限り、肩に負担をかけない省エネピッチングを目指しているのだろう。
圧倒的なスペックの高さに反し、如何にも玄人が好みそうな渋さがある。
性格もそうだが、病院の息子だからというのもあるかもしれない。
対照的に。
若干目立ちたがり屋な嫌いがある大松君の場合は、速くて曲がりも大きい変化球を好んでいるのが練習を見ていてもよく分かった。
追い込む前からスプリットや高速スライダーで打者を空振らせたい感じだ。
ただ、高校時代は昇二がうまいことコントロールして、緩い球や小さな変化の球でストライクを取りに行く方向でリードしていた。
正樹については、怪我によってまた傾向も変わるだろうから省略しておく。
俺の場合は【戦績】を基に状況次第ってところだな。
「では、安藤選手もバッターボックスにどうぞ」
「……ああ。よろしく頼む」
「はい」
そんなやり取りをしたが、打席では未だに山崎選手がバットを睨んでいた。
先程の勝負結果を反芻しているのだろうが、今は後がつかえているので困る。
「山崎選手。よければ、後でまた勝負しましょうか」
俺がそう声をかけると、彼はハッとしたように顔を上げた。
「いいんですか?」
「はい。多分、問題ないと思いますよ」
「……であれば、もう1回。いえ、可能な限り対戦をお願いします!」
「さ、さすがにそれは他の方次第ですかね。50球までってことにしてますから」
別に無制限でもいいのだが、さすがにそれは非常識が過ぎて言い訳もできない。
不審に思われたりしないように、この球数制限については守る必要がある。
それでも合同自主トレーニングの参加者は何十人といる訳ではないので、1打席勝負を1サイクルした上でもう1度山崎選手とやるぐらいは大丈夫そうだが……。
何度もとなると怪しい。
誰かの番を飛ばす必要があるだろう。
山崎選手に1番経験して欲しいのは確かだが、さすがにそれは如何なものか。
そんな風に思いながら、その旨を告げると――。
「分かりました。皆さんから許可をいただきます」
彼はそう応じ、ようやくバッターボックスから出ていってくれた。
代わりに安藤選手が右打席に入り、ルーティーンらしき動作を始める。
その間に視界の端で山崎選手の動向をしばらく見守っていると、彼は早速他の選手に頭を下げて順番を譲って貰っているようだった。
磐城君と疑似的な対戦ができる機会であるだけに普通に断られるかと思って見ていたが、割と躊躇いなく受け入れている選手もいた。
あるいは、傍から見ていて磐城君のスペックに臆してしまったのかもしれない。
まあ、それはそれで都合がいいかもしれない。
取捨選択の基準にもなる。
「さあ、来い」
「ええ。行きます」
視線を戻して安藤選手と向き合う。
俺の行動で色々と動揺させてしまったが、バッターボックスに入るとスイッチが切り替わったように鋭い視線をコチラに向けてくる。
さすがは長年野球界のトップランナーとして活躍している選手と言うべきか。
こうして真正面から向かってきてくれるのは、俺にとってもいい経験になる。
俺は安藤選手との模擬戦に意識を集中し、誤差程度の違いしかない磐城君を真似たフォームからボールを投じた。
初球。インコース低めへの僅かにボール球になるワンシーム。
3塁線へのファウル。ノーボール1ストライク。
2球目。インコース高めのストレート。
見逃し。ノーボール2ストライク。
3球目。アウトコース低めへのバックドアとなるワンシーム。
1塁線へのファウル。ノーボール2ストライクのまま。
4球目。真ん中低めへのスプリット。
空振り三振。
「追い込んでからは当然三振を取りに来ることもありますね」
「……これは、相当キツイな」
安藤選手が俺の言葉を噛み締めるように呟く。
来シーズン。
同一リーグであるが故に、そんな磐城君と高頻度で対戦することになる。
それを思ってか、安藤選手は苦々しい表情を浮かべていた。
彼がそのまましばらく考え込んでいると――。
「安藤さん。代わって下さい」
山崎選手がいつの間にか近づいてきていて、そう促した。
視線はロックオンするように俺の方に向いている。
どうやら次の順番を誰かから譲って貰ったらしい。
「安藤さん」
「お、おう」
急かす山崎選手に戸惑いながら、バッターボックスから離れる安藤選手。
こんなにも負けず嫌い全開な彼を見るのは珍しいのだろう。
去年の練習試合で俺も片鱗は感じたが、それ以上だ。
「秀治郎選手。お願いします」
「は、はい。やりましょう」
自主トレーニングの場だからか、あの時よりも遠慮がないな。
いや、いいけどさ。
自分の実力を伸ばすための機会を得ることに貪欲なのはいいことだし。
むしろアメリカ代表に挑む仲間として相応しいと思う。
それに、切磋琢磨できる相手が増えるのは俺にとっても非常にメリットがある。
「行きますよ」
「ええ」
それから山崎選手とは都合6打席。
安藤選手とも追加で3打席。
キッチリ50球投げて、その日の合同自主トレーニングは終了したのだった。
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