195 契約更改と本拠地球場の話

「しかし、秀治郎。本当にいいのか?」


 ファン感謝祭の数日後。

 村山マダーレッドサフフラワーズ球団事務所で行われている契約更改の場にて。

 金額を提示する側であるお義父さんが、逆に申し訳なさそうに問いかけてきた。

 当然ながら、来シーズンの俺の年俸についての話だ。

 生々しい話ではあるが、これもまたプロ野球を象徴するイベントの1つだろう。


 一般的に契約更改は、早い選手だと11月の上旬辺りにはスタートする。

 だが、村山マダーレッドサフフラワーズは初めてのファン感謝祭の準備で誰も彼も忙しかったこともあり、選手全員このタイミングでの交渉開始となっていた。

 そもそも人数が少ないので、そこまで期間が必要ないというのもある。

 実際のところ、今生において早期に契約更改に臨むことになるのは基本公営リーグの3部や2部の選手の場合がほとんどだ。

 ……まあ、これは余談だな。

 今はお義父さんの言葉に耳を傾けよう。


「野手としても投手としてもあれだけの活躍を見せ、投手に至っては左右でエース級。客観的に見ても3人分以上の価値があると思うんだけどな」

「けど、だからと言って3人分って訳にはいかないでしょう?」


 この世界の日本プロ野球1部リーグに所属するプロ野球選手の最低年俸は、野球協約によって3000万円と定められている。

 それに合わせて、新人選手の最高年俸もまた3000万円となっている。

 新たに1部リーグに昇格した村山マダーレッドサフフラワーズに所属する選手は全員ルーキー扱いになるので、一律3000万円からのスタートだ。

 なので、今回に限っては正直なところ交渉も何もない。


「俺も1部リーグのルーキーであることに変わりはないんですから、規定通りに上限額で問題ないですよ。と言うか、そうすることしかできないでしょう?」


 実質的に3人分以上働いていたとしても俺の体は1つしかない。

 選手としてのカウントも1人だ。

 ルールと照らし合わせる際にも1人の選手として扱うが妥当だろう。


「いや、やろうと思えば投手コーチの年俸の方で調整することもできるぞ? コーチや監督は、相場はあっても上限だの下限だのといった規定はないからな」

「制度的にできたって、それはそれでよろしくないでしょう。余計な反感を招くだけです。今のところは選手1人分プラス投手コーチの相場の最低限で十分ですよ」


 前世において1部リーグと同程度の立場となる1軍選手の最低年俸が1600万円なので、今生の3000万円と比較するとおおよそ倍ぐらい。

 コーチの年俸も前世と今生で同程度の倍率となり、前世の1000万円から3000万円という相場に対して今生は2000万から6000万というところ。

 つまり、来シーズンの俺の年俸は選手としての3000万円に兼任投手コーチとしての2000万円を加えた5000万円ということになる。


 しかも、前世とは違って今生のプロ野球選手は税的に馬鹿みたいに優遇されているので、高所得だからと税金で半分程度持ってかれるといったこともない。

 8割近い金額をそのまま懐に入れることができる。

 底辺労働者だった前世の俺からすると破格の待遇だ。

 来シーズン1年分だけで当時の手取り年収の20年分ぐらいになる。

 これだけあれば、家族と将来生まれてくる子供達を十分に養えるだろう。

 更に【生得スキル】【怪我しない】と【衰え知らず】のおかげで向こう20年、いや、それ以上の期間、この収入を最低ラインとして見込むことができる。

 加えて、財布を同じくするあーちゃんも当面は最低年俸以上稼ぐ訳で……。

 前世と差があり過ぎて、もう人生上がりと満足してしまいそうだ。


 しかし、俺がよくても野球界にとっていいとはならない。

 今生に限って言うなら国力という意味においても。

 成績に応じて適正な評価がなされなければ、色々と危ういことになる。

 実際、冷遇されたことに腹を立てて亡命した事例も外国ではあったらしいしな。

 そして、それだけに。


「来年の契約更改は大変なことになりますからね。その覚悟だけしといて下さい」

「勿論、分かってるさ」


 今回に関しては野球協約という言い訳ができるからまだいいとして、その次。

 想定通りに行けば、俺は歴史的な成績を残すことになる。

 その数字に見合った年俸となると、上り幅も過去類を見ないものになるだろう。

 いや、そうならなければならない。

 日本プロ野球の全ての選手達、そして、それを目指す全ての子供達のためにも。

 俺の年俸が成績に対して余りに低過ぎると、それを引き合いに出されて他の選手達が迷惑を被ることになってしまうからな。


 本音を言えば、身内の会社ということもあって手心を加えたい気持ちも強い。

 たとえ全員最低年俸でも3000万円×31人で9億3000万円だからな。

 ちなみに、今年は3部の最低年俸750万円×25人×前期0.5年分+2部の最低年俸1500万円×25人×後期0.5年分で約2億8125万円。

 1部リーグ昇格でいきなり6億5000万円支出が増える訳だ。

 そこに監督やコーチ、その他スタッフの分も加わる。

 下手をすると、人件費だけで経営が圧迫されかねない。


 いくら雑に経営しても何とかなる今生のプロ野球球団とは言え、新興球団の上に僅か1年で急激に1部昇格を果たした事例はない。

 まだ収支のバランスも完全には整っていないだろう。


 勿論、銀行は快く融資してくれるはずだ。

 この世界において、プロ野球球団は最高峰の信用性を持つのだから。

 しかし、諸々のタイミング次第では資金ショートが起きてしまい、どこぞのハイエナに球団を掠め取られる危険性も全くのゼロという訳ではない。

 しっかりと資金繰り計画を立て、盤石の経営をして貰わなければならない。


「……もしヤバそうなら、何でも協力しますからね?」


 とにもかくにも、この球団はこの形で存続してくれないと困る。

 心配し過ぎかもしれない。

 だが、俺にとってはここが地盤のようなもの。

 それが揺らげば、WBWでアメリカ代表に挑むための諸々が頓挫しかねない。

 だから、必要とあらば何でもやるつもりだ。

 テレビ出演だろうと、ドサ回りだろうと、トンデモグッズの販売だろうと。

 ピエロになったっていい。

 その意思を伝えるようにお義父さんを見詰めると、彼は微苦笑と共に口を開く。


「もう十分協力して貰っているさ。後は経営陣の仕事だ。さすがに何でもかんでも選手に負んぶに抱っこという訳にはいかない」

「けど、球場の建築計画も走り始めたんでしょう? 山形きらきらスタジアムの増築の方もファン感謝祭の後すぐに開始したみたいですし」

「まあ、それはな」


 俺の言葉に若干複雑そうな顔で頷くお義父さん。

 何故そんな話になっているかと言えば、村山マダーレッドサフフラワーズが1部リーグに昇格したことで収容人数の問題が改めて持ち上がったからだ。

 まあ、前々から予期されていた話ではあるけれども。

 山形きらきらスタジアムの収容人数は25000人。

 しかし、日本シリーズの試合を開催するには、規定によって最低でも30000人の収容人数が必要不可欠となる。

 そこで当面は山形きらきらスタジアムのスタンドを増築しながら使用し、同時並行的に屋根閉会式のドーム球場を新規に建設する。

 そのような運びとなったのだった。


 もっとも、今生における球場建設は公共事業。

 前世のように自前で球場を作る選択肢はそもそも取れず、主体は国や県だ。

 そのため、球団が建設費を用意するということはない。

 しかし、球場の使用料という形で球団にもある程度の負担を求められる。

 現に求められている。

 間違いなく、そこに増築費用や新設費用が乗っかってくることだろう。

 日本シリーズ対応の球場の相場が5億から8億というところなので、現状の1億強から少なくともその程度までは上がる可能性が高い。

 それでも前世では球場の使用料は2桁億円がザラだったから、かなり優遇されているのは間違いないのだが……。

 いずれにしても、これもまた経営を心配する理由の1つだった。


 ちなみに、半端な収容人数の球場を増築しながら使い続けるよりも古い球場に手を加えず新しい球場をとっとと作った方がいい、という意見も散見された。

 しかし、それは時間の制約があって不可能だった。

 1から球場を建設するとなると複数年工期が必要だ。

 前世の最新のドーム球場でも2年半はかかっていた。

 それに、新規球場となると費用の面でも簡単にスタートを切ることはできない。

 周辺の開発も同時に必要になってくるので、球場建設費のみの話でもない。

 そのため、村山マダーレッドサフフラワーズの1部リーグ昇格が完全に確定するまで始動することができなかった。

 つまり、完成は今から2年半以上先の話となる訳だ。

 その間、日本シリーズの本拠地戦ができないのは困る。

 何せ来年には日本一になるのだから。

 急場凌ぎとして、現行の山形きらきらスタジアムの増築は不可欠だ。


 逆に山形きらきらスタジアムの増築の話は、2部リーグへの昇格が決まった段階で既に発注に至っていたそうだ。

 元々3部リーグの山形マンダリンダックスの本拠地として使われていた球場。

 2部リーグ戦の時点で大幅な収容人数増を見込めるという判断だったようだ。

 実際、今シーズンの後半戦は満員御礼でチケットが取れない状況が続いていた。


 山形きらきらスタジアムの増築は合計3回。

 オフシーズンに行われる。

 初回の増築は来シーズン開幕までに完了の予定。

 それで一先ず日本シリーズの本拠地開催が可能になるとのことだ。


「とにかく。頼るべきところは頼れ。秀治郎はそんな余計なことまで考えず、野球で皆を引っ張っていってくれ。3人の約束を叶えるために。それが俺の望みだ」

「…………はい」


 目を閉じて、お義父さんの言葉を噛み締めるように頷く。

 この球団にはあーちゃんを含めた3人の、そして関係者全員の夢が乗っている。

 1人で全てやらなくてもいい。

 むしろ烏滸がましかったかもしれない。

 改めよう。

 餅は餅屋と言うし、やはり経営は経営者に任せるべきだ。

 そして俺は俺のやるべきことをやる。

 打倒アメリカ代表。そのためにできることを、可能な限り。


「任せて下さい。お義父さん」

「こらこら。ここでは球団社長だぞ」

「そうでした。鈴木球団社長」


 最後にちょっとわざとらしく言い合って、互いに笑い合う。

 そうして和やかな雰囲気の中。

 契約更改を終えて、俺は球団事務所を後にしたのだった。

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