193 ファン感謝祭午後の部開始
昼に設けられたイベント空白時間。
俺達は余り腹が膨れない程度に昼食を取り、午後のイベントの準備に入った。
「じゃあ、あーちゃん。また後で」
「ん」
コクリと素直に頷いた彼女と別れ、まず待合室となっている会議室へと向かう。
中に入ると大分垢抜けた感じの男性が2人、俺を待ち構えていた。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「…………誰かにメイクをして貰うなんて初めてなので、緊張しちゃいますね」
「大丈夫ですよ。安心してお任せ下さい」
彼らの正体は、午後の大事なイベントのために衣装の用意とメイクを特別にお願いしたスタイリストとメイクアップアーティストだ。
あーちゃんの方も今頃、同じように女性スタッフに着飾られていることだろう。
「すぐに午後のイベントが始まりますし、早速始めましょう」
「お願いします。……あ、ちょっと動画を流していいですか?」
「はい。構いませんよ」
2人に許可を貰ってスマホを取り出す。
それから俺は動画配信サイトのアプリを立ち上げ、村山マダーレッドサフフラワーズの公式チャンネルから配信中のライブ映像を選択して画面に映し出した。
そのままスマホケースを利用して机に立てるように置き、まずは着替え。
そうしてメイクとヘアセットをして貰いながら生中継を視聴する。
『ファンの皆様との交流という側面が強かった午前の部が終わり、午後の部では選手達が様々な企画にチャレンジするバラエティ色強めのイベントが多くなります』
スマホから聞こえてきたのは、広報担当で本日実況の関川さんの低音イケボ。
相変わらず【1/fゆらぎボイス】が利いたいい声だ。
【滑舌がいい】のおかげで非常に聞き取りやすくもある。
そんな彼の声を褒め称えるようなコメントが大量に流れていくが、とりあえず午前の部に関する感想を意識してコメント欄からピックアップしていく。
・しかし、100マイル&ナックル体験コーナーは凄かったな
・ってか、こんなとこで全力投球30球も投げて秀治郎選手は大丈夫なのか?
さすがに嫌だぞ。ファン感の影響で怪我なんかしたら
・全力投球とは限らなくないか? 手を抜いてた可能性だってあるだろ?
・いやいや、投げた30球全部キッチリ161km/h以上だったんだけど?
・手を抜いて全球100マイルとか、マジで言ってる?
・それはそれで、と言うか、そっちの方がおかしいやろ
・ファン感で全力投球も異常者だし、手を抜いてこれだったらもう化物だわ
いずれにしてもヤバい奴扱いされているのを見て、思わず苦笑してしまう。
キリのよさを重視して100マイルとしたけど、少しやり過ぎたかもしれない。
現状の俺のステータスは当然ながらカンスト。
【体格補正】で5%のマイナスがあるので最高球速は厳密には161.5km/hなのだが、四捨五入してMax162km/hということになる。
つまりスピードガンの表示で162km/hと出ていれば、ステータス上のフルスペックを発揮していることになる訳だ。
161km/hという計測結果も、正確には161.4km/hというところ。
スキルバフで最高球速付近が出やすいにしても、全力投球なのは間違いない。
それを30球連発。
公式戦でも中々お目にかかれないだろう。
ましてやファン感謝祭の一イベントだ。
俺は【生得スキル】【怪我しない】の存在を自覚しているから軽々しくこういうことができるが、そうでもなければ狂気の沙汰だ。
常に全力と言えば聞こえはいいが、実態は考えなしか破滅主義者でしかない。
確かに異常者としか言いようがないな。うん。
・浜中選手のナックルも凄い曲がってたな
・あの番組の時と比べてみたけど、あからさまに違ってたわ
・ホントにドームと屋外の差って凄いんだな
・いやいや、あそこまでだとホントに他に細工があったんじゃね?
・ササヤイターとかまとめサイトでちょっと話題になってた奴か
・何の話?
・打球速度の件も含めて、ボールとか道具に仕かけがあったんじゃないかって
・いやあ、さすがにそれはないんじゃないか? 何のメリットがあるってんだよ
美海ちゃんに関する部分には、あの番組の小細工に関するコメントがチラホラ。
今回のこれは仕込みではない。
アカウント名を見る限り、球団関係者ではない普通の視聴者によるものだ。
あの煽り動画後の裏工作が実を結んでいる証拠と言ってもいいかもしれない。
まあ、恐らく。
今のところは精々、村山マダーレッドサフフラワーズのファンの中でじわじわと広まっている程度のものだろうけれども。
また来年、同じ番組が放送される頃には知る人ぞ知る疑惑になっているはずだ。
何せ、その頃には美海ちゃんと倉本さんは来季のペナントレースで大暴れして前評判を完全に覆しているだろうからな。
番組内容に違和感を持ったとしても何らおかしな話ではない。
『午後の部が開始されるまで、今しばらくお待ち下さい』
ここで関川さんは定型文を告げて小休止に入る。
画面はグラウンドを見下ろす定点カメラのような映像が映し出されていた。
音は会場の喧騒のみが聞こえてくる。
・ところで、午後の部って何をするんだ?
・予定表を全く見てない人がいますね……
・動画の最初にあるから、巻き戻し再生で見てくるといい
・ちな公式サイトにもスケジュール表があるぞ
『まず12時30分からは来季本格始動する村山マダーレッドサフフラワーズ公式チアリーディングチーム、サフフラワーガールズのパフォーマンスが行われます』
と、コメントに反応するように午後最初のイベントについて関川さんが告げた。
台本にはないであろう対応だが、今回は前回とは違ってライブ配信。
臨機応変な対応が求められる。
その辺のアドリブ力についても関川さんは特に問題なさそうだ。
こういうのは、苦手な人はとことん苦手だからな。
普通にこなしてくれる上に有用な【生得スキル】持ち。
かけ値なしに優秀な人材と言っていい。
その関川さんがウチの中途採用に応募してくれたことに感謝を抱きながら。
またコメント欄に視線を向ける。
流れてくる内容は、チアリーディングチームの話題に移っていた。
・チアリーダーのお披露目かあ
・1部リーグに昇格するとなったら、こういうのも必要だろうからな
・応援パフォーマンス以外にも、色々な社会貢献活動も担うものだしな
・けど、こんな急によく立ち上げられたな
・半年以上前から準備はしてたらしい。1部リーグ昇格を見越して
・まあ、山形マンダリンダックスと入れ替わった時点で県内唯一のプロ球団だ
1部じゃなかったとしてもチアリーディングチームを持ってて悪いことはない
続いて、関川さんは次の紹介に入った。
俺とあーちゃんにとって非常に大事なイベントだ。
『13時からは野村秀治郎選手と茜選手の結婚式を開催します。また13時30分より球場外周特設会場にて、お2人と事前応募の当選者との記念撮影を行います。
14時以降はウエディング仕様の等身大パネルが同会場に設置される予定です』
ウエディング仕様の等身大パネルというのは、白いタキシードを着た状態の俺とウエディングドレス姿のあーちゃんが笑顔で並んでいる姿を写したもの。
つい今し方、その格好になったところだ。
・ホントにやるんだな、結婚式
・そう言えば、限定配布グッズって何だったん?
・いや、まだ分からん
・15時以降にチケットの半券を球場外周のテントに持ってくと貰えるらしい
・ネタバレ配慮か……って考えると、それもネタバレ感があるな
・つまり、新郎衣装と花嫁衣裳の何かってことか
『グラウンドでは13時30分から選手によるホームラン競争。
14時からは選手による借り物競争が行われます。
アプリで順位を予想して見事的中すると、抽選でプレゼントが当たります。
奮ってご参加下さい。
14時30分からはお色直しをした野村秀治郎、茜夫妻を審査員に迎え、選手による結婚ソング縛りでのカラオケ大会が行われます』
・結婚式からのホームラン競争に借り物競争、どんな情緒で見てればええんや
・笑って見守ってればいいんじゃない? こういうのは楽しんだもん勝ちよ
・ってか、披露宴的なものまで組み込まれてたのか……
・結婚ソング縛りのカラオケ大会はさすがに草
・いやこれ罰ゲームでは? 独身選手が歌うにせよ、既婚の選手が歌うにせよ
・いずれにしても、選手の普段見られないような表情が見られそうだな
・それこそがファン感謝祭の醍醐味って奴よ
『そして15時からはドラフト新入団選手発表会が開催されます。
既に午前の部で登場している方もいらっしゃいますが、ここで正式なユニフォーム姿のお披露目と背番号の発表を行います。
また、改めて来季に向けての決意の程を語っていただく予定です』
・浜中選手とか、午前中から普通に参加して投げてたもんな
捕ってたのも倉本選手だったし
・そもそも、全員と正式契約したことはホームページで既に発表済みだからな
・新情報と言えば背番号ぐらいか
・言っても、新興球団だから背番号に歴史なんて皆無だけどな
重みがあるものでもなし、大々的に発表する程のものじゃない
・歴史の1ページ目ってことでもあるから、俺は楽しみだけどな
・まっさらな状態から歴史を作っていくのを見守る
新興球団ならではの楽しみ方じゃないか
そうやって配信を眺めている内に、時計の針は12時30分を示す。
午後の部が開始される。
『グラウンドでは、サフフラワーガールズによるチアダンスが行われています。
来シーズン、本拠地での公式戦においては試合開始前、3回終了後、7回裏の攻撃前、そして勝利後に更に洗練されたパフォーマンスをお届けいたします』
まずは関川さんの解説通り。
スマホの画面には村山マダーレッドサフフラワーズ公式チアリーディングチームとして誕生したサフフラワーガールズによるチアダンスが披露されていた。
このファン感謝祭が初めての実践だ。
なので、当然と言えば当然のことではあるものの、他球団のパフォーマンスと比べてしまうとまだまだ粗さが見て取れる。
しかし、栄えある1部リーグのプロ野球球団の顔として時には活動しなければならない自覚はしっかりと持っているようで、誰もが懸命だ。
見ているだけで元気になれる気がする。
たとえ技術的にはまだ発展途上だとしても、チアリーダーとしての心構え、いわゆるチアスピリットは十分なようだ。
ちなみに。
いずれはチアダンスに留まらず、チアリーディングに不可欠なスタンツ(組体操的な技)を取り入れたパフォーマンスにまで発展させる予定だとか。
チアリーディングチームを名乗ったからには、ということらしい。
サフフラワーガールズの今後にも期待したい。
「秀治郎選手、そろそろ待機をお願いします」
「あ、はい」
そんな彼女達のパフォーマンスを見守っていると、スタッフが俺を呼びに来た。
既に衣装もメイクもヘアセットもバッチリだ。
白いタキシードは、正直こそばゆいけれども。
「お2人共、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
「秀治郎選手の結婚式を担当させていただいたこと、自慢になります」
スタイリストとメイクアップアーティストの男性2人に改めて頭を下げ、それから一先ず待機場所であるベンチ裏に向かう。
その間にサフフラワーガールズのパフォーマンスは終了していた。
グラウンドからチアリーダー達が笑顔で手を振りながら駆け足ではけていき、その代わりに球団スタッフが出てきて大急ぎで会場を整えている。
俺とあーちゃんの結婚式のために。
……もう間もなくだ。
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