171 お試しインターンシップ始動

 8月初めの月曜日。

 既に2部リーグ後期日程は開幕しており、6試合を消化していた。

 村山マダーレッドサフフラワーズは現在5勝1敗で首位タイ。

 今のところ1部リーグ昇格への懸念点は何1つとしてない。

 チームメイト全員に可能な限り出場機会を設けて成長を促しながら、2部リーグの総合優勝決定戦に駒を進めることができるはずだ。

 そして、そこで勝利すれば1部リーグとの入れ替え戦。

 明彦氏の夢を叶え、幼い頃に彼と交わした約束を果たすまで後少しだ。


 それをより盤石なものとするために。

 そして何よりも、その先の先まで見据えた布石の1つとして。

 村山マダーレッドサフフラワーズは、新たな取り組みを開始する運びとなった。

 何の話かと言えば、以前から検討していたインターンシップのことだ。

 目的はチーム独自のスコアラー部隊の構築と運用方法の確立。

 割と脳筋気味なこの世界の野球界の体質になるべく毒されていない人材が欲しいので、無垢な大学生に唾をつけて1から体制を作ろうという訳だ。


 ただ、そういった理由もあって今回は限定的で試験的なものに留まっている。

 学生を受け入れる側も受け入れる側でノウハウが全くないからな。

 球団のオーナー企業である食品加工会社も毎年インターンシップを行ってはいるそうだけど、こちらは内容がプロ野球球団特有のもの。まるで毛色が異なる。

 1度で済むとも限らないので、次回以降のための土台作りという側面も強い。

 まず実際にやってみて問題点を洗い出し、適宜修正していく予定だ。


 であれば、もっと早くにスタートさせてくれてもよかったんじゃないか。

 そういった思いもゼロではないけれども……。


 村山マダーレッドサフフラワーズがプロ野球球団になってまだ半年と少し。

 まず、その期間における経営目標の達成率をしっかりと確認して。

 晴れて2部リーグに上がったことで見込める収益の増加を考慮に入れて。

 インターンシップを行った場合に発生する様々な経費と費用対効果を算出して。

 それらに基づいて作成した稟議書を回して決裁して貰って。

 ようやくこの段階に至ったのだ。


 そう考えると、十分フットワークが軽い方だと言っていいと思う。

 企業で新しいことを始めるのは、根回しだの何だのと結構大変だからな。

 超ワンマン経営者の鶴の一声で始まる事業でもない限りは。


 何にせよ、そうした経緯があっての8月始動だが……。

 タイミングがいいと捉えることもできる。

 8月から9月は大学生の夏休み期間ということもあり、人を集めやすいからだ。


 もっとも、今回は大学を通して募集した訳じゃないけどな。

 伝手を使って直接声をかけた完全なる身内採用だ。


「おはよーございまーす!」

「「「おはようございます」」」


 あーちゃんを伴って球団の事務所の応接室に入る。

 すると、すぐに明るく元気のいい声と他の3人分の声に挨拶された。

 全員顔見知りだ。

 溌溂とした子は山大総合野球研究会の藻峰珠々さん。

 それと大島仁愛さん、石嶺豪さん、佐藤御華さんだ。

 他に2人の姿もある。


「……お、おはよう、ございます」

「おはようございます。野村君」


 遅れてオドオドしながら挨拶したのは五月雨月雲さん。

 最後は何やら社会人っぽく澄ましている我らが陸玖ちゃん先輩。

 この度は、彼女達6人をインターンシップで受け入れることとなっていた。


「おはようございます」「ます」


 そんな面々に、あーちゃんと並んで挨拶を返す。

 今日は移動日(2部リーグも基本デーゲームなので実際に移動したのは昨日)で明日はホームゲームなので、皆の様子を見に来たのだ。


「雇用契約の話、問題なかったですか?」

「はい。大丈夫です。給料が出ることに驚いたぐらいで……」


 大島さんがどこか恐縮したように言う。


「労働を伴ったインターンシップだと、参加者は労働者扱いになって労働基準法や最低賃金法がガッツリ適用されますからね」


 イコール各都道府県で定められた最低賃金以上の給与が出るということだ。

 何なら有給休暇だって取得できる。

 その辺りの説明を、さっきまでこの応接室で受けていたはずだ。


「あ、俺達には砕けた口調でいいので、この前の食事会と同じく接して下さい」

「……うん。分かった」


 少し緊張を解いて表情を和らげる大島さん。

 それから彼女はちょっと申し訳なさそうに口を開いた。


「正直、今回のインターンシップにも適用されるとは思ってなかったんだよね」

「労働基準法が、ですか?」

「そう」

「目的が目的だからねぇ」


 俺の問いかけに応じた大島さんを補足するように、横から藻峰さんが言う。

 それに続いて佐藤さんが口を開いた。


「改めて確認するけど、私は基本的にいわゆるスカウティング……偵察と分析を行って試合に活かせるデータを作るのが主な目的ってことで間違いないのよね?」

「はい。佐藤さんについてはその通りです」


 彼女の他に陸玖ちゃん先輩と五月雨さん、藻峰さんにもそれをして貰う予定だ。

 残る大島さんと石嶺さんについては、グッズや球場限定のお弁当といった方面のマーケティングを担って貰う予定でいる。

 陸玖ちゃん先輩や五月雨さんの引率という側面もあるが、それは内緒だ。

 威圧感満点の石嶺さんにはボディガード的な役割もあったりする。


「……皆、普段サークルでやってることと似てるから、その延長のような感覚が強いのよ。半ば趣味みたいなものだし」


 だから給料が出ることに戸惑いがある、と。

 成程。


「ですが、間違いなく大事な仕事なので対価は受け取って貰わないと困ります。金銭が発生するということは、責任が発生するということでもありますから」

「そう、ね。趣味みたいな内容だから多少適当だったり、間違いがあったりしてもいい。なんて訳にはいかないってことよね」


 表情を引き締め直した佐藤さんに頷き、その通りと肯定する。

 ロハでやってくれなんて言うのは、出来に責任を負わなくていいと言っているのと同じようなものだ。


「現地偵察のための移動費や滞在費も支給なのよね?」

「はい。あくまでも常識的な金額でって前置きがつきますけど、そうなります」


 新幹線に乗る時にわざわざグリーン車を使ったり。

 飛行機に乗る時にわざわざファーストクラスに乗ったり。

 意味もなくホテルのスイートルームに泊まったり、といった普通の会社でも明らかにおかしいことさえしなければ、社内の出張規定に従った扱いになる。

 なので、県外に行ったら出張手当も当然つく。


「仕事の内容についても少し聞いてもいいかしら」

「勿論。どうぞ」

「ありがと。なら、早速。私達だけだと日本プロ野球全体を網羅できないと思うんだけど、まず優先的に調査したいチームとか方針はあるの?」

「一先ず、私営1部リーグ東地区の下位チームを集中的にお願いしたいですね」

「……入れ替え戦を見据えてってことね」

「そうなります。それである程度ノウハウを蓄積することができたら、もっと人員を増やして対象範囲をどんどん広げていくような感じですね」

「最終的には海外も?」


 俺の言葉を受け、藻峰さんが期待するように問う。


「そのつもりです」

「ホント? それは楽しみだなぁ」

「まあ、そこまで行けるかは今回のインターンシップの成果次第ですね」

「そっかぁ。じゃあ、頑張らないとだね!」


 目を輝かせた藻峰さんは、一層やる気を奮い立たせるようにグッと力を込める。

 モチベーションが高いのは本当にありがたい。

 アメリカの野球を丸裸にしたいと言っていたからな。

 是非ともその記憶力で力を貸して欲しいところだ。


 ……今すぐの質問はこれぐらいっぽいかな。


「他にも疑問が出てきたら遠慮しないで聞いて下さいね。何分、こちらも初めてのことなので色々と至らない点があると思いますから」


 そうして俺が一旦、話を纏めに入った丁度そのタイミングで。


 ――ピロンッ!

 ――ピロンッ!


 俺のポケットとあーちゃんの方から同時に通知音が鳴った。

 それを受けて、彼女はスマホを取り出して内容を確認し始める。

 時計を見ると午前の10時。と言うことは……。


「もしかして決まった?」

「ん」


 俺の問いかけに、あーちゃんは微かに頷いて答える。

 なら、結果がどうなったか確かめないといけないな。


「どうしたの?」

「ああ、えっと。今日は夏の甲子園の組み合わせ抽選会だったので」

「あ、そう言えば! どうなったの?」


 ハッとして勢いよく尋ねてくる陸玖ちゃん先輩。

 そんな彼女の見慣れた様子に思わず苦笑する。

 そうしながら俺は、自分のスマホを取り出して全国高校生硬式野球選手権大会を特集しているスポーツサイトへ向かったのだった。

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