閑話13 ドキドキ(五月雨月雲視点)

「わ、わあ……」


 球場の敷地に足を踏み入れた瞬間、ボクは思わず後退りしてしまった。

 余りの人の多さに圧倒されて。


「だ、大丈夫だよ、月雲」


 震えた陸玖の声にそちらを見ると、彼女も彼女で大分及び腰。

 それを笑うことはできない。

 お互い人見知りで陰キャ寄り。

 そんなボク達にこの人混みはかなり厳しいシチュエーションだ。

 正直、もう帰りたくなってきている。

 けれども、折角チケットを貰ったのだからと自分に言い聞かせて踏みとどまる。

 まあ、そもそも山形市から高速バスで3時間もかけて岩手県の盛岡市までやって来た訳だから、物理的にも簡単に帰れるような状況じゃないんだけど。

 そう頭では分かっていても、次の一歩が中々踏み出せなかった。


「ほらほら、こんなとこで立ちどまってると邪魔になるから、早く行こう?」


 と、同行者の大島先輩がボク達の背中を軽く押して先に進むように促す。

 更に背後からヒシヒシと感じる圧に押され、ボクと陸玖はようやく歩き出した。

 その威圧感から分かる通り、大島先輩の彼氏である石嶺先輩も一緒に来ている。

 ボク達に配慮して視界にはなるべく入らないようにしてくれてるけど。

 そんな石嶺先輩のおかげで、ボク達は他の観客達から少し遠巻きにされていた。

 人見知りなボクと陸玖には少しばかり都合がいい状態ではあった。

 けど、正直なところ焼け石に水だった。


「こんなに、人がいるなんて……」

「そ、それは入れ替え戦だし、普通の試合とは全然違うよ」


 ボクの呟きに陸玖がビクビクしながら、この混み具合の理由を口にする。


 一応ボクも生の試合を観戦した経験はあった。

 勿論自発的に行った訳じゃなく、あくまで義務教育の社会科見学としてだけど。

 ただ、あの時の球場は山形きらきらスタジアム。

 そしてシーズン終盤の平日な上に3部リーグの消化試合。

 こんな満員御礼という状況じゃなかった。

 それにここ、盛岡きたきたボールパークの観客席は山形きらきらスタジアムよりも遥かに広くて収容人数が倍近いから、尚のこと観客の数も多くなる。

 このレベルは初体験以外の何ものでもなかった。


 ……けど、これが1部リーグの日本シリーズともなると球場自体ももっともっと大きくなって、この更に倍以上の観客動員数になるんだよね。

 もう、想像するだけで眩暈がしそうだ。


「ええと、内野席の入口はアッチだね」


 大島先輩の先導で球場に入り、恐る恐る進んでいく。

 そうして通路を抜けると、広いグラウンドが目に飛び込んできた。

 視界の大部分がそれに占領されたおかげで、ほんの少しだけ気が楽になる。


「ふう、ふう」

「もうちょっとだよ、月雲。頑張って」


 観客席の階段を降り、ようやくチケットに記載された座席に辿り着く。

 そこでボクはへたり込むようにしてシートに腰を下ろした。

 ここに来るまでで体力の8割方消耗してしまった気がする。


「大島先輩達が来てくれてよかったね」

「うん……」


 大島先輩達の分も野村選手がチケットを用意してくれた。

 けれども、彼女達は最初それを断ろうとしていたらしい。

 応援しに行くのなら自腹で。

 それが大島先輩達の拘りだったようだ。

 けど、ボクと陸玖が心配だから引率して欲しい、と言われて折れてくれたとか。


 ふ、ふふふ。野村選手、慧眼だったね。

 先輩達がいなかったら、とてもじゃないけどここまで辿り着けなかったよ……。


「それにしても、村山マダーレッドサフフラワーズの入れ替え戦の相手になるなんて、岩手サーモンプライヅは可哀想に」


 陸玖が心底同情するようにポツリと呟く。

 ビジター側の席だからいいようなものの、相手ファンを敵に回す発言だ。

 ちょっと焦って周りを見回してしまう。


「入れ替えが起こるとすれば、恐らくここだけだろうからね」


 そんなボクを余所に、大島先輩が同意するように頷く。

 試合開始まではまだ時間があるけど、既に若干興奮気味だ。


「とは言え、11位になることができていたら回避できた訳だからな。最下位になってしまった罰ゲームのようなものだ」


 石嶺先輩の言葉に内心同意する。

 正論だ。


「けど、入れ替え戦、かあ……」


 今日は7月最初の土曜日。

 2部リーグと3部リーグの入れ替え戦が各地の4球場で行われている。

 全てデーゲームだ。カンカン照りの天気なので、もう大分暑い。


 まあ、それはともかくとして。

 入れ替え戦の対戦カードを確認しよう。


 まずはボク達が観戦に来た盛岡きたきたボールパークで開催される試合。

 先攻は3部リーグ東地区首位となった村山マダーレッドサフフラワーズ。

 後攻はここを本拠地とする2部リーグ東地区最下位の岩手サーモンプライヅ。


 次に新潟県にあるソフニングスタジアム新潟で開催される試合。

 先攻は3部リーグ東地区2位の日立ホワイトローゼス。

 後攻は2部リーグ東地区11位の新潟クレステッドアイビス。


 それから大分県の大分ホームスタジアムで開催される試合。

 先攻は3部リーグ東地区首位の大津ロードデンドロンズ。

 後攻は2部リーグ西地区最下位の大分スプリングプラムズ。


 最後に和歌山県の和歌山テンプルパーク球場で開催される試合。

 先攻は2部リーグ西地区2位呉アイアンクルーザーズ。

 後攻は2部リーグ西地区11位和歌山イノセントアイズバーヅ。

 以上。


 下馬評では4カード中3カードは2部リーグ有利とされている。

 2部リーグ側の主催でもあるし、防衛側に分があるのは当然のことではある。

 有能な選手は即上位リーグに移籍するから、リーグの壁は数字以上に分厚いし。

 前評判の段階で既に逆転現象が起きている残り1カードがおかしいのだ。

 そもそも入れ替えなんて普通は番狂わせ扱いなのだから。


「今日の先発は野村選手だから、まずはこれで1勝。最終戦までもつれたとしても野村選手がまた出てくるだろうから2勝は堅いものね」

「入れ替え戦は3勝先勝方式の5連戦だから、後はどこかで1勝すればいいだけですしね。野村君も初戦左投げならバッターとしては全試合出場するはずですし」


 大島先輩と陸玖の話を聞いているだけなら、村山マダーレッドサフフラワーズの昇格と岩手サーモンプライヅの降格は確実。

 だけど……。


「ただ、野村選手とまともに勝負するかは分からないがな」


 石嶺先輩の言う通り、シーズン中と同じように四球攻めを食らうかもしれない。

 そうなったら苦戦してしまう可能性は十分ある。


「それでも大丈夫です。野村君が勝ちに徹するなら」


 対する陸玖の言葉には強い確信が込められていた。

 根拠を口にしていないのに、ボクも「そうかも」と一瞬思ってしまうぐらいに。

 でも、勝負に絶対はない。

 少なくとも、不正解が蔓延る現在の野球では。


「シ、シーズン中は負けることもあったよね?」

「チームの成長のために、野村君は相当加減してたからね」

「そ、そうなの?」

「うん。いつも見てたから分かるよ」


 いつも……。

 何だか、ちょっと嫉妬しちゃうな。


「だから月雲も、折角だからしっかりと野村君のプレーを見ててね。多分、月雲の言う正解な選手に、この日本で最も近い存在だと思うから」

「う、うん」


 つっかえることなくキッパリ告げる陸玖に気圧されながら、コクコクと頷く。

 勿論、最初からそのつもりではあった。

 そのために頑張ってここまで来たんだから。


 県内で今1番話題になっている野村選手。それと鈴木選手。

 常識的に考えて正解に最も近いのは1部リーグの選手だろうと情報収集はその辺が主体だったので、選手としての2人のことは余り詳しくない。

 ニュースで見かけた時は大抵四球攻めをされているところだったし、毎試合きっちり追いかけていた訳でもなかったし。

 実態がどれ程のものかは分からない。

 今日この場で見極めたい。


『大変長らくお待たせいたしました。2部リーグ3部リーグ入れ替え戦、岩手サーモンプライヅ対村山マダーレッドサフフラワーズ。試合開始に先立ちまして両チームのスターティングオーダー、並びにアンパイアをお知らせいたします』


 やがて場内アナウンスが鳴り、しばらくすると試合が始まった。

 ビジターチームである村山マダーレッドサフフラワーズが先攻。

 先頭打者は鈴木茜選手。

 あの食事会の時は、野村選手のすぐ隣で黙々とお肉を食べていた記憶しかない。

 その彼女は淡々とフルカウントまで粘り、8球目にようやく振りに行く。


 ──カン!!


 打球はセカンドの頭上を越えるクリーンヒット。

 いとも簡単に打ったように見えてしまう。

 けれども、そのスイングは今まで情報収集してきた1部リーグの選手達よりも無駄がなく、洗練されているような気がした。

 少し鼓動が速くなる。


「さすが鈴木さんだね」


 当然と言った顔をしている陸玖とは、この気持ちを共有できそうもない。

 ちょっともどかしく思いながら、一先ずグラウンドに意識を戻す。

 続く2番打者と3番打者はヒットと四球で出塁してノーアウト満塁。

 そこで4番打者の野村選手に打席が回ってきた。

 彼はバッターボックスに入ってゆったりと構えを取る。


 な、何か凄い風格を感じる……。

 食事会で気安く話しかけてくれた彼と同じ人物とは思えない。


 相手ピッチャーがセットポジションから投球動作に入る。

 その初球だった。


 ――カキンッ!!


「あ……」


 それこそ当たり前のように。

 軽く振り抜かれたバットは、ボールを叩き潰すようにして弾き飛ばす。

 かと思えば。


 ――ガンッ!!


 打球は放物線を描くより早くスコアボードの最上部に直撃した。


「や、野球のボールって、あんなスピードで飛ぶものなんだ……」


 ドキドキ。


 物凄い音だった。

 それに呼応するように胸が更に高鳴る。


 正解に最も近い日本人選手。

 陸玖の過大評価じゃないと一振りで思い知らされた。

 もしかすると。

 彼を研究することこそが、ボクの目標を達成する最短の道なのかもしれない。

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