161 練習試合終了

「あーちゃん。何とか俺まで打席を回して欲しいんだけど……行ける?」


 ベンチの前で防具を外す手伝いをしながら彼女に尋ねる。

 この回の先頭打者は1番のあーちゃんで、俺は4番。

 当たり前だが、誰か1人でも塁に出てくれないと俺まで打席は回ってこない。


 こうして時折他力本願になってしまうのも、野球の面白くも厄介なところだな。

 で、俺からそんなお願いをされた彼女はと言えば……。


「ん。頑張る」


 グッと気合を入れるような動作を見せながら即答する。

 それから、バットを片手に小走りでバッターボックスへと向かっていった。

 俺に頼られたことが嬉しかったのか、どことなく足取りが軽い。

 我が婚約者ながら何とも愛らしい姿だ。


「……さて。相手もピッチャー交代か」


 9回表にマウンドに立ったのは、昨年クローザーを任されていた福藤和隆投手。

 先発ローテーション入り確実なピッチャーの4人が各2回ずつ投げてきたが、どうやら最終回は彼が投げることになっていたようだ。

 何度も繰り返してしまうが、1部リーグの上澄みと対戦できるのはありがたい。


 そんな福藤選手のスペックは以下の通り。

 Max153km/hの速球と切れ味鋭いスライダーとフォークで三振を取りに行くことができ、奪三振率が非常に優秀。与四球率も低い。

 如何にも抑えというタイプのピッチャーだ。

 ステータス上でも抑え適性が非常に高い。

 正に1部リーグの守護神の1人。

 そんな相手に、あーちゃんは待球を選択したようだった。


「ストライクワンッ!」


 じっくりと球の軌道を観察し、タイミングを見計らっている。

 岩中選手や岸永選手との対戦で学んだ身体感覚との微妙な誤差を、じっくり確実に修正しようとしているのだろう。


「ボールッ!」

「ストライクツーッ!」

「ファウルッ!」


 追い込まれてから臭いところに来たスライダーをカット打ちでファウル。

【直感】があれば尚更のこと、ファウルで逃げるのはヒットを打つよりも容易だ。


「ファウルッ!」


 シーズン中とは異なり、ちょっと微妙な落ち方をしたフォークもカット。

 ……どうやら福藤選手はまだ本調子じゃなさそうだな。

 まあ、まだ2月だしな。ここからだ。


 そして続く6球目。

 外角低めいっぱいにストレートが来る。

 あーちゃんは【直感】でそれを認識した上で、この球を叩くのが俺のオーダーを達成するのに最善だと判断したようだ。

 一切の迷いを見せずにスイングを始動する。


 ――カアンッ!


 力まず、コースに逆らわず。

 彼女は150km/hの直球を狙い澄まして右方向に流し打ちした。

 打球はファーストの頭上を超え、ファールラインのギリギリ内側に落ちる。

 直球を芯に当てて綺麗に弾き飛ばしたことによって球足がいい具合に速く、ボールはライトの鉄川選手の脇を抜けて転がっていく。


 これは間違いなく長打になるな。


 あーちゃんも即座にそう判断したらしく、減速することなく1塁を回っていく。

 僅かに遅れて鉄川選手が捕球し、素早く2塁に送球する。


「セーフッ!」


 あーちゃんは無理をせず2塁ストップ。

 余裕のセーフだった。


 ノーアウトランナー2塁。

 これでダブルプレーの可能性は大幅に小さくなった。

 内野へのライナーなどでランナー飛び出しからのダブルプレーぐらいならあり得るが、それも【直感】を持つ彼女なら回避し易い。

 ほぼ間違いなく、俺まで打席が回ってくることだろう。


「うん。さすがあーちゃんだな」


 1部リーグのクローザー相手に確実に出塁してこいというのは大分酷な要求だ。

 そんな無茶振りはおいそれとはできない。

 村山マダーレッドサフフラワーズでそうしてもいいと思えるのは今は彼女だけ。

 それぐらい信頼できる選手がもう何人か是非とも欲しいところだ。


 そのあーちゃんは、2塁ベース上から俺に視線を向けている。

 微妙な変化だけど……あれは誉めて欲しそうな表情だな。うん。

 ベンチからそんな彼女に微笑みかけながら親指を立てる。

 すると、あーちゃんは嬉しそうに相好を崩した。


 さて、次は2番打者。

 可能なら、あーちゃんを本塁まで返して欲しいところだ。

 そうすれば、より確実に俺が打席に立てる。

 ……というのは、さすがに過ぎた要求だったようだ。


「ストライクスリーッ!」


 2番、3番と連続三振で2アウト。

 それぞれ2ストライクから福藤選手の決め球であるフォークとスライダーを投じられ、バットは掠りもせずに空を切ってしまった。

 とは言え、これはこれで別に構わない。

 ランナー2塁のままで出番が来た訳だから。


「……今日の最終打席だな」


 ネクストバッターズサークルから出て、気を引き締めながら右打席に入る。

 今日の俺のこれまでの成績は3打数3安打1本塁打。

 第1打席はレフト山崎選手の頭上を超えるソロホームラン。

 第2打席はレフト山崎選手の脇を抜けるスリーベースヒット。

 第3打席はレフト山崎選手の頭上を超えてフェンス直撃のツーベースヒット。

 ここでヒットを打てばサイクルヒットになる訳だが……。


「見に来てくれたお客さん達がここで一番盛り上がるのは、ヒットじゃないよな」


 公式戦だったらともかくとして。

 単なる練習試合では記録も何もない。

 狙うはホームラン唯1つ。


【離見の見】を発動し、全意識を集中させる。

 初球から狙えそうだったら狙っていく。

 福藤選手がセットポジションからクイック気味に足を上げた。

 リリースポイントを注視する。

 彼はボールを人差し指と中指で挟んでいた。

 フォークだ。

 ストライクゾーンの低めいっぱいから落ちていく。

 最初からフォークだと把握できていれば惑わされることはない。

 早い段階で構えを解く。


「ボールッ!」


 キャッチャーからボールが返球され、福藤選手が再びセットポジションを取る。

 2球目。今度の握りはスライダーだった。

 投じられたコースは外角低め。

 これもストライクゾーンからボールゾーンに逃げていく球になるな。

 振りには行かず、そのまま見逃す。


「ボールツーッ!」


 仕切り直し。キャッチャーのサインに福藤選手が首を何度も横に振る。

 ややしばらくして、ようやく彼は頷いた。

 3球目。再びフォークだ。

 最初から低めのボールゾーンに来て、そこから落ちてワンバウンドする。

 明らかなボール球。


「ボールスリーッ!」


 ミットからボールが零れるが、あーちゃんは即座にベースに戻った。

 彼女の【直感】の通り、キャッチャーはボールを見失わず即座に拾い上げる。

 一応2塁に送球するような素振りを見せるも、あーちゃんは既に2塁上。

 そこで微動だにせずキャッチャーの動作に冷めた目を向けているので、ちょっと滑稽なことになってしまっていた。


 にしても、まるで僅差の白熱した公式戦みたいな警戒っぷりだ。

 スコアは1-23と大差がついていて9回表ツーアウト。

 しかも練習試合だと言うのに。

 練習は本番のように、を実践しているに違いない。

 見習うべき部分もある。


 とは言え、大差の練習試合だからという側面もあるかもしれない。

 公式戦だったら申告敬遠されていた可能性もある。

 さすがにこの点差の練習試合でそれは体裁が悪い。

 ということで、厳しいところに来ている部分もあるだろう。

 いずれにしても、俺を真剣に抑えようと色々考えを巡らせて挑んでくれているのであれば、それもまたありがたいことだ。


 しかし、カウント3ボールノーストライクから続いた4球目。

 内角高めへのスライダーは、このコースからだとストライクゾーンに入らない。

 見逃せば確実にボールになる。

 無理に打ちに行っても、ちょっと遠いのでよくてヒットというところ。

 余程のことがない限り、フォアボールを選ぶべきではあるだろう。

 ただ、スポーツには興行の側面もあるし、四死球が不利になるケースもある。

 時と場合によっては――。


「ファウルッ!」


 こうして四球を拒否するかのようにカットしに行くのも1つの戦術だ。

 そもそも、今日は練習試合だしな。

 観客のためにエンターテインメントに徹するのも悪いことではないはずだ。


 そして5球目。

 3ボール1ストライクから宮城オーラムアステリオスバッテリーが選択したボールは、内角低めのストライクゾーンから落ちるフォークだった。

 またボール球。

 しかし、今日の福藤選手のフォークは落ちが中途半端。

 だから、オープンステップと共に腰を落として芯で捉える。


 ――カキンッ!!

 ガンッ!


 思い切り引っ張った打球は、低い弾道の弾丸ライナーで一瞬の内にレフト山崎選手の頭上を超えていき、レフトポールの根本にぶち当たった。

 最終回の2ランホームランに歓声が沸く。

 稀に見るような低い軌道を描いていたからな。

 俺も観客として目撃したら間違いなく興奮していた。

 遠いところ来てくれた観客が喜んでくれれば、四球拒否打法も本望だ。


 その効果は福藤選手にもあったらしい。

 僅かな動揺が球に表れ、コースが甘くなった。


 ――カアンッ!


 結果、続く打者が快音を響かせる。


 しかし、反撃はここまで。

 さすがに得点することまではできず……。

 プロ野球球団として初の対外試合は3-23で村山マダーレッドサフフラワーズの負けという形で終了したのだった。

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