158 挑発と反撃

「よろしくお願いします」


 今日最初の打席なので審判とキャッチャーに頭を下げてから、右の打席に入る。

 岩中選手はスリークォーター気味の右投げ。

 一般的に右投手には左打者が、左投手には右打者が有利になると言われている。

 しかし、岩中選手は左右で被打率の違いは然程ない。

 どちらでもいいのなら、それこそ左打席でも別に構わないのだが……。


 視線を外野の左側に向ける。

 今日は期待の大卒ドラ1、山崎選手がレフトを守っている。

 今回の練習試合の目的には、彼に俺を強く意識して貰うことも含まれている。

 そのために打者としてどうすればいいかと言えば、単純な話だ。

 引っ張って強烈な打球をレフトに飛ばす。

 そのために俺は敢えて右打席を選んだのだ。


「ふー……」


 バッターボックスの中で軽くバットを振ってから、ゆったりと構えを取る。


 岩中選手は全てにおいて高水準の投手だが、何か1つだけ特徴をピックアップするとすればやはりコントロールに優れている点だろう。

 通算与四球率が2を切っていることからも分かる。

 特に決め球の低めへのコントロールは一級品。

 時にゴロで、時に三振で。

 状況に応じた形でアウトを取りに行くことができる素晴らしいピッチャーだ。


 それだけに方針は固め易い。

 好球必打。これに尽きる。

 ……まあ、打てるかどうかはまた別の問題だけれども。


 とにかく。

 後からもっといい球が来るんじゃないか、とか考えるべきじゃない。

 四球を期待するのもやめておいた方がいい。

 しっかりとボール球を見極めさえすれば、2回はストライクゾーンに来るのだ。

 そう信頼して、ファーストストライクとセカンドストライクを狙っていく。

 岩中選手が相手なら、そうするのがベストだろう。


 一応、待球で球数を投げさせるという考え方もなくはないが……。

 そうした雰囲気を感じ取るとガンガン攻めてくるだろうし、このレベルになってしまうとファウルで粘るのも中々難易度が高いからな。

 打ち崩してマウンドから引きずり下ろすつもりなら、これしかない。


「プレイ!」


 審判のコールを受け、岩中選手が速やかに振りかぶる。

 その瞬間に俺は【離見の見】を発動させ、超集中状態に入った。

 勿論、後々のことを考えると、こればかりに頼るのは余り好ましくない。

 レジェンドの魂を持つアメリカ代表の化物達にも通用するとは限らないからな。

 普段は素の状態で鍛えておいた方がいい。


 しかし、肝心要の時まで封じておく訳にはいかない。

 この場においては、WBW日本代表の戦力増強のために使用すべきと判断した。

 1部リーグのエースピッチャーの球を、山崎選手の方向へと確実に弾き飛ばさなければならない。


「……スライダー」


 スローモーションの世界の中。

 リリースの瞬間の握りを見て小さく呟く。

 投じられたボールはアウトコースから変化を始めた。

 ストライクゾーンからボールゾーンへと逃げていく。

 そう判断し、バットを動かさずにそのまま見送る。


「ボール!」


 ボール1個分外れて1ボールノーストライク。

 キャッチャーからの返球を受けた岩中選手は、表情を変えることなくサインに頷いて再び投球モーションに入る。

 次の球は――。


「ストレート……」


 コースはインコース高め。

 内にボール1個外れている。

 だが、高さはストライクゾーンの高めいっぱいというところ。

 ……ボール球ではあるけれども、十分打つことができるコースだな。


 ――カキンッ!!


 オープンステップから、腕を畳んで腰の回転でバットを振り抜く。

 打球が伸び易いボールの7mm下を正確に打てば、綺麗にスピンがかかってレフトの山崎選手の遥か頭上を超えていく。

 スタンドに一直線。

 追いかけても無駄だと一目で分かる軌道だ。

 それ故に、山崎選手はただ打球の行方を見送るのみだった。


「……ふぅ」


【離見の見】を解除し、ジョギングするように走り出す。

 少し遅れてボールがスタンドに届く。

 審判が右手を上げて時計回りに何回か回す。

 先制のホームラン。

 一先ずスコアは1-0となった。


 しかし、これで岩中選手が崩れるかと言えば、そんなことはあり得ない。

 ソロホームランは割と切り替え易いということもあるが、この程度のことを一々引きずるようならエースピッチャーになどなれはしないだろう。


 それを証明するように。

 結局、その後の岩中選手は村山マダーレッドサフフラワーズの5、6、7番を容易く打ち取り、3アウトチェンジ。

 どうやら事前に聞いていた通り、これで今日はお役御免になるようだ。

 監督と2、3言葉を交わした後でベンチの奥に入っていく。


 岩中選手の本日の成績は、2回を投げて1失点。

 被安打1、被本塁打1、自責点1、四死球なし。

 俺以外は完璧に抑えた形だ。

 その俺にしても【離見の見】を使わなければどうなるかは分からない。

 情報が不足していて配球が悪かったというのもある。

 カーソルの移動が制限されてしまうゲームとは違い、ボール1個外したぐらいなら十分に芯で捉えることができる。

 ステータスの暴力でホームランにすることも不可能ではない。

 あのコースをスタンドに叩き込むことができると分かった以上、次はもっと大きく外すか、あそこにストレートを投げ込んでくることはなくなるだろう。


「さて。次は川谷さんの番ですよ」

「おう!」


 2回の裏の守備。村山マダーレッドサフフラワーズも投手交代。

 次は背番号11の川谷有選手。

 陽気で人当たりのいい右ピッチャーだ。

 ストレートはMax143km/hで平均139km/h。

 スタミナとコントロールはそこそこ。

 持ち球はカットボール、スライダー、カーブ、フォーク、シンカー、シュート。

 球種は割と多彩だが、甘く見積もって決め球にできるのはスライダーだけ。

 1部リーグで登板するには、総合的なレベルアップが必要なのは明らかだ。


「腕が鳴るな」


 しかし、4番打者からの打順に全く怯んでいない。

 力量不足を理解できていない訳ではない。

 単純に状況を楽しむことができる性格なだけだ。

 精神面は一流投手と言っても過言ではない。

 後は実力さえ伴えば、いいピッチャーになってくれると期待している。


 そんな川谷さんの投球練習が終わり、右の打席にバッターを迎える。


「さっきのホームラン、凄かったな」

「ありがとうございます、安藤選手」

「俺も狙っていくからな」

「そうはさせませんよ」


 気さくに話しかけてくれた彼の名は安藤譲治。

 ここ数年4番打者を務めている宮城オーラムアステリオスの主砲だ。

 守備はセンターかDH、極稀にファースト。

 本塁打王を獲得したこともあるパワーヒッターだが、広い守備範囲でゴールデングラブ賞にも選ばれたことがある。

 打率はやや低いが、年間最多四球にも輝いたことのある選球眼で出塁率は高い。

 球団史上最高のセンターとも言われている。


「あ」


 ――カキンッ!


 ボール球で要求した初球のシンカーがストライクゾーンに来てしまい、コンパクトに振り抜いたバットに捉えられる。

 真芯を食った弾道は低く、レフトフェンス直撃。

 打球速度が速過ぎて、跳ね返ってきたボールをすぐに捕球できたため、バッターランナーの安藤選手は2塁でストップする。

 もう少し角度がついていたらホームランだった。

 ツーベースヒットで済んでよかったと考えるしかない。


 ……にしても、やはりコントロールがな。

 外す時はもっと明確に外さないと、ストライクゾーンに来てしまいかねない。

 それだけならまだしも、甘い球になったら目も当てられない。

 しかし、明らかなボール球は無駄球にしかならない。

 もどかしいところだ。


 ともあれ、ノーアウトランナー2塁の場面。

 ここで迎えるバッターは新人の山崎選手。

 プロ野球選手になってからの対外試合では初打席になる。


「……集中してますね」


 彼は俺の言葉を無視し、左打席で構えを取る。

 どうやら1打席目から声も届かないぐらい没入しているようだ。

 俺が彼の方向に特大のホームランをかっ飛ばしたせいだろう。

 ここは俺もリードに集中するとしよう。


 2塁の安藤選手が3盗してくる可能性は低い。

 ランナーはそこまで気にする必要はない。

 バッターオンリーで問題ない。


 しかし、新人選手であるだけに【戦績】は今一当てにならない。

 まずはセオリー通り、対角線と緩急を使っていくしかないだろう。

 と言う訳で、初球から出し惜しみはなし。

 決め球として使うことができる唯一の変化球であるスライダーを外角低めへ。


「ストライクワン!」


 ちょっと甘く来たが、見逃してくれたようだ。

 次は緩い球だ。

 カーブを内角低めに。

 ボール球になるように、明確に外した位置でミットを構える。


「ボール!」


 今度はワンバウンドする明らかなボール球になってしまった。

 これでは緩い球を意識づけすることができない。

 もう1球続けよう。


「ボールツー!」


 今度はストライクゾーンからボール2個分内側へ。

 山崎選手は振りに行って、途中でスイングをとめた。

 塁審に確認するまでもなく、しっかりとまっている。

 だが、遅い球の軌道が頭に残っているだろう。


 ならば次は外に速い球。

 ということで要求したのは、外角低めにストレート。

 川谷さんが頷き、セットポジションから4球目を投じる。


「ストライクツー!」


 これはいい球だった。

 ストライクゾーンギリギリいっぱい。

 山崎選手も手が出なかったようだ。


「ふー……」


 彼は1つ深く息を吐き、バットを構え直す。

 カウントは2ボール2ストライク。平行カウント。

 1塁は空いているし、フルカウントになっても構わない。

 同じコースから落とそう。


 ストレートに近い軌道で外角低めに投じられた球。

 それに反応して山崎選手はスイングを開始する。

 しかし、球種はフォーク。

 そこから落ち始める。

 よし。これは空振り三振――。


 ――カンッ!


 空を切るかと思われたバットは、しかし、先端でボールを捉える。

 山崎選手は咄嗟に左手を離し、右手でフォークの変化に対応していた。

 とは言え、スイングに力はなく、打球はポップフライとなる。


 2塁ランナーの安藤選手は走っている。

 3塁コーチャーが腕を大きく回す。


 両者の判断は正しく、打球はサードの頭を越えてレフト前に落ちた。

 安藤選手がホームに帰ってくる。

 本塁では刺せないと判断し、ボールはセカンドへ送られる。

 結果はタイムリーヒット。1-1の同点。


 山崎選手にうまく反撃されてしまったな。

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