145 家族の時間と共感と

 あーちゃんとの短い東京観光を終え、滞在しているホテルに戻る。

 地区予選の時とは違い、今回はビジネスホテルではない。

 選手全員、シティホテルのまあまあなグレードの部屋を取って貰っている。

 都市対抗野球の本戦に臨むに当たって英気を養うため、だったんだろうな。

 まあ、士気云々で勝敗が左右されるぐらい相手チームと実力が伯仲してた訳じゃないので、メタな視点で見てしまうと費用対効果は皆無だけども。

 優勝したので、この辺りの経費は広告効果で十分ペイできるはずだ。


「茜、秀治郎」


 と、ロビーの端で俺達を待っていた明彦氏に呼ばれ、そちらに向かう。

 近くには彼の他に母さんと、杖を手に持って椅子に座る父さんの姿もあった。


「おじさん、ただいま戻りました」

「ただいま」

「おかえり。2人共」

「すみません。待たせてしまったようで」

「いや、まだ予約の時間には余裕があるし、俺達も今降りてきたところだ」

「そうですか。なら、よかったです」


 言いながらチラッと時計を見る。

 うん。確かに問題なさそうだな。


「じゃあ、行きますか?」

「ああ。そうしよう」

「父さん、母さんも」

「ああ」


 俺に呼びかけにそう応じ、父さんは立ち上がろうと足に力を込めた。

 その姿を全員で静かに見守る。

 母さんはいつでも補助できるように傍らに控えている。

 ゆっくりとした重い動きではあった。

 しかし、父さんはうまく右半身と杖を使って1人でしっかりと立ち上がる。


 脳卒中で倒れてしまい、病院に運ばれてから約1年。

 厳しいリハビリを懸命に続けてきたおかげで、父さんは誰かの助けなしに歩くことができるようになっていた。

 俺達の都市対抗野球本戦決勝を観戦に行かないと、と頑張ってくれたらしい。

 そして、俺の招待に応じて現地で晴れ舞台を見守ってくれた。

 あの約束がリハビリの原動力となってくれたのであれば嬉しく思う。


 勿論、完全に元通りとはいかなかった。

 まだ喋りもゆっくりだし、左半身には若干の麻痺が残っている。

 それを庇うように歩みは遅い。

 だから、移動は父さんのスピードが基準だ。

 慌てずゆったりと。気持ちの余裕を持って行けばいい。


 そうして皆でホテルを出て、入口前で待って貰っていたタクシーに乗り込む。

 3列シートの2列目に父さんと母さん。

 3列目に俺とあーちゃんと明彦氏という配置だ。


「タクシーにしては大きい」

「いわゆるジャンボタクシーだからな」


 ワゴンタイプなので、大人5人でも一緒に乗ることができる。

 加えて、杖歩行でも乗り降りが非常に楽なユニバーサルデザインカーでもある。

 明彦氏がわざわざ父さんのために予約してくれたのだ。


 尚、大人5人と言った通り加奈さんと暁はこの場にはいない。

 都市対抗野球の試合は9月の平日を含む日程。

 暁は既に夏休みも終わって平日は普通に学校に通っている。

 小学生の彼を家で1人にする訳にはいかない。

 と言うことで、2人は帯同していなかった。

 れっきとした仕事ではあるものの、観光までしてちょっと申し訳ない。

 お土産をたくさん買って帰らないといけないな。


「秀治郎、茜ちゃん。少し涼しくなってきたので、これを」

「あ、うん」


 前の席の母さんから薄手のジャケットを渡され、そのまま羽織る。

 あーちゃんの方はシックなカーディガンだ。


「しゅー君、どう?」

「ん? うん。似合ってるよ。大人っぽい」


 俺の素直な感想は【以心伝心】でも伝わり、彼女は満足そうな表情を見せる。

 その奥で苦笑いしている明彦氏には触れないでおく。


「ところで、明彦さん。その、大丈夫、なのですか?」


 父さんが前の席から僅かに振り返りながら恐縮したように尋ねる。


「結構、値の張るレストランと、聞いていますが……」


 タクシーが向かう先。

 目的地はそれなりに有名な洋食レストランだ。

 口コミサイトの評価も非常に高い。

 まあ、値が張るとは言っても都内であることを考えると割と常識的な価格なのだが、野村家の普段の食費と比較してしまうと手が届かないレベルではある。

 ちなみに、前世の俺も全く縁がないような店だ。


「大丈夫ですよ。優勝のお祝いですからね」

「……ありがとう、ございます」

「お礼なら秀治郎と茜に。頑張ったこの子達へのご褒美ですから。その2人がどうしても健也さんと美千代さんもと」

「そう、でしたか。……ありがとうな、秀治郎。茜ちゃんも」

「ん。リハビリを頑張ったお義父さんへのお祝いでもある」


 あーちゃんの返答に、父さんは少し驚いた表情になった。

 それから顔を隠すように前を向く。

 目元を指で軽く拭っている。

 父さん、病気をしてから少し涙脆くなった気がするな。


「いい子が秀治郎と一緒になってくれてよかったですね」

「……そうだな。本当に」


 しみじみと呟く両親。

 いや、まだ結婚はしていないんだけども。

 こちらの外堀もガッチガチだ。


 まあ、それはともかく。

 タクシーは少しして目的地である高層ビルの前に到着した。

 そこで降車し、エレベーターで目的のレストランがある階へと向かう。

 扉が開くと、如何にも洋風のオシャレで高級そうな内装が目に飛び込んでくる。

 父さんと母さんはまたちょっと尻込みしそうになっていた。


「ほら、入ろう?」


 そんな2人の背中を押してレストランの中へ。

 さすがにそこまで来ると両親も覚悟を決めたようだ。

 背筋を伸ばし、席に通される。


 予約はディナーのコース料理。

 メインディッシュは国産黒毛和牛の煮込みハンバーグだ。

 ステーキはちょっと重たいと言う両親に合わせ、全員同じ料理にして貰った。


「そう言えば、今日は正樹君に会ってきたんだろう?」


 と、前菜が来るまでの繋ぎのつもりか、明彦氏が話題を振ってくる。


「彼はどうだった?」

「はい。やっぱり精神的に参ってた感じでした。動かない腕がもどかしくて」


 俺が質問にそう答えると、父さんがさもありなんと頷く。


「自由に使えていたものが、使えなくなるのは、本当にキツイものだから、ね」


 実感のこもった言葉。

 怪我と病気。

 種類は違えど、そこは変わらないだろう。

 長いリハビリを要することも同じだ。

 それだけに――。


「正樹君には、頑張って復帰して、プロで活躍して欲しいな」


 父さんは正樹に強く共感しているようだ。

 彼がプロ野球選手になったら、1ファンとして熱心に応援してくれそうだ。

 と言うか、既にファンになっているかもしれない。


 ……共感、か。


(ああ、そうか)


 そんな父親の姿を見て、何となく理解したものがあった。

 俺は前世でスポーツ選手の怪我というものを強く強く忌避し、見ていられなくなり、いつしか目に入れないようにしていた。

 贔屓の選手には、ひたすら順調に成績を積み上げていって欲しかった。

 しかし、それはもしかすると、前世の俺やその身内が大きな病気や怪我を経験してこなかったからこその考えなのかもしれない。

 だからこそ俺は怪我に苦しむ選手を見ていて居た堪れなかったのだけれど……。


 重い病気や怪我と戦ったことのある者、あるいは現に戦っている者にとっては。

 スポーツ選手が怪我を乗り越えようとする姿、復帰して活躍する姿は希望そのもので、その背中に思いを託しながら自分自身の力に変えていたのかもしれない。


 そう考えると。

【怪我しない】と【衰え知らず】のコンボで機械的に成績を残していくであろう俺よりも、正樹にこそ真に熱狂的なファンはつきそうな感じもするな。


 そんな気づきを得たからか。

 逆に尚のこと認められないものもできてしまった。


「海峰永徳選手の発言は気にせずリハビリに励んで欲しいね」

「ええ。全くです」


 正樹との会話の中では触れなかったけれども。

 前回結構な物議を醸して大きな話題を呼んだからか、またぞろどこかのメディアが彼にコメントを貰いに行っていた。

 以下、その抜粋。


『この短期間に靱帯を2度目ですからね。

 しかも今回は靱帯損傷どころではなく、断裂からの再建手術と悪化している。

 可哀想ではありますけど、やはり彼には才能がないのではないでしょうか。

 怪我をするかしないかの見極め。ブレーキを踏むタイミング。

 こればかりは天性のものです。

 2度あることは3度ある。当然4度目、5度目もあり得ます。

 怪我だらけの人生を歩むぐらいであれば、自ら幕を引いた方が賢明でしょう』


 最後、善意を装っているのが何ともイラっと来る。

 勿論、怪我などないに越したことはないだろう。

 それでも、怪我をしたから才能がないと断じるのはやはり間違っているだろう。

 きっと、正樹がそれを彼に突きつけてくれるはずだ。


 ……まあ、ちょっと裏技染みている部分もあるにはあるけれども。

 スキルの保証があってもなくても事実は変わらない。

 怪我を乗り越えようという不屈の意思。

 それもまた、間違いなく1つの才能だ。


「お、来たね」


 そんなことを思っていると、早速料理が運ばれてくる。

 折角のディナーだ。

 嫌な奴のことは忘れて食事を堪能しよう。


「……舌が贅沢になってしまったら、どうしましょう」

「大丈夫だよ。来月には3部リーグに昇格してプロ野球選手になるんだから。少しぐらい贅沢になったってバチは当たらないって」


 困ったように頬に手を当てる母さんに、苦笑しながら言う。

 勿論、そうした贅沢に慣れてもいいし、慣れなくてもいい。

 選択の余裕を生むこと。

 それが俺にできる親孝行の1つだろう。


「ああ……うまいな」

「本当に。こんなに美味しいものは生まれて初めて食べました」


 料理を評価する語彙が少ないのはご愛敬。

 感動してくれていることは表情を見れば分かる。

 色々とセッティングをしてくれた明彦氏には大感謝だ。

 できれば、今後もこうして家族の時間を持っていきたい。


「――ごちそうさまでした」


 こうして都市対抗野球に伴って訪れた東京の最後の夜は過ぎていったのだった。

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