130 虻川先生への挨拶と高校生活の終わり

 あーちゃんと共に部室棟を出た俺は、活気に溢れているグラウンドを見渡した。

 そうしながら虻川先生を探し、全体練習を眺めている姿を見つけて近づく。

 その隣に立ったところで、彼は俺を横目で確認してから苦笑気味に口を開いた。


「お前達が入学した頃の俺に、近い将来こうなると言っても信じないだろうな」

「……でしょうね」


 若干複雑そうな声で呟かれた言葉に同意を示す。

 当時の状況は本当に酷かった。

 まともに野球をやろうという意思が少しでもあれば、わざわざ入学しようなどとは露程も思わない。そんな学校だった。

 だからこそ、俺はここを中高の活動拠点として選んだ訳だが。


「……野村、ありがとう」

「えっと、急にどうしたんですか?」


 唐突な感謝に目を丸くしながら理由を尋ねる。

 この4年弱。俺はあくまで自分自身の計画のために行動してきたに過ぎない。

 大分無茶苦茶なことをやってきた自覚がある。

 虻川先生にも色々迷惑をかけてしまったはずだ。

 にもかかわらず、俺の勝手を許容して、細かいところで手伝ってもくれた。

 むしろ、こちらが感謝しなければならないぐらいだ。


「…………俺はな。大学までプロになることを夢見て野球をやっていたんだ」

「そう、なんですね」


 初めて聞いた風を装うが、それは知っている。

 前に【マニュアル操作】で虻川先生の【戦績】を見たからな。

 そこに記載されていた公式戦の記録は大学までのものだった。

 成績はプロになる夢を過去形で口にせざるを得ない程度。

 以降は非公式の草野球の記録しかなかった。


「結局、3部リーグのスカウトすらなくて完全に心が折れた。社会人野球に進むために足掻こうとすらしなかった。今思えば覚悟が足りなかったのかもしれない」

「覚悟……?」

「高校の時点で自分の才能に見切りをつけていたんだ。大学までプロを目指して野球をやっていたとは言いながら、一方で教員免許を取っていたのがその証だ」

「……いや、それは――」


 人生は本来1回限りの勝負。

 であれば、その選択もそこまで悪し様に言う必要はない。

 俺はそう思う。


 しかし、虻川先生からすると安全策を取ってしまったという認識なのだろう。

 野球に専念するだけの覚悟がなかった。

 そんなことではプロ野球選手になる資格はない。

 そう考えているに違いない。


「別に、教員免許を持ってるプロ野球選手だっているじゃないですか。プロ入りできなかった時や引退後に備えておくことは、何も悪いことじゃないでしょう?」


 どちらが正しいとか、優れているとかではないはずだ。

 高卒でプロ入りを選択せず、大学で学閥に入ってからプロ志望届を出したり。

 ドラフト指名やスカウトされなかった場合に備えて就職活動をしておいたり。

 セーフティネットを用意しておこうとするのは正常な思考だ。


 野球に狂ったこの世界では、プロ入りさえできれば、たとえ通用しなくても何かしらの方法で食っていくことは難しくない。

 しかし、その分だけプロ入りの難易度は前世よりも高い。

 プロ野球選手になれた者とそうでない者の格差もまた恐ろしく大きい。

 何せ、プロ野球選手を目指す人間の母数が桁違いだからな。

 大多数がプロ野球選手以外の道を選ぶことになる現実がある以上、それを想定して動くことはむしろ当たり前のことだ。


「それはそうだけどな。俺の場合は間違いなく、脇目も振らずに野球に全てを注ぎ込んでようやくプロになれるかどうかって才能しかなかった」

「その時の選択を、後悔してるんですか?」

「ああ。もし何もかも投げ打って野球をやっていたらってな」


 やらずに後悔するよりも、やって後悔した方がいい。

 それが諸に当てはまってしまっているように見える。

 しかし、挑戦して成功することができず、何も残らず、ろくに生活できないような状況になっていたら逆の考えになるだろう。

 どちらも、あくまで結果論でしかない。


「そんな燻った気持ちが残っていたから、指導者という形で野球に関わろうと考えた。しかし、実績が乏し過ぎて強豪チームに入り込むようなことはできなかった」


 リトルにせよ、シニアにせよ。ユースにせよ、強豪高校にせよ。

 この世界だと上位のチームの指導者は元プロ野球選手がデフォだからな。

 虻川先生には申し訳ないが、客観的に言って彼の成績では無理な話だろう。

 余程の弱小校でもなければ、採用の目はない。


「結果、この学校に流れ着いた訳だが……」

「弱小なんてレベルじゃなく、まともに活動すらしてなかった、と」

「ああ。半端な真似をした俺に対する罰かと思ったよ」


 力なく頷き、嘆息気味に言う虻川先生。

 もし罰というものがあるとすれば、それはしっかり調べもしないで目先の話に飛びついてしまったことに関してだろう。


「それでも最初は何とかしようと色々働きかけたりもした。だが、何も変えることができず、時間が経つにつれて俺自身もこの学校に染まってしまった」


 正直、こればかりはどうしようもない話だと思う。

 野球を諦めた者達の進学校である山形県立向上冠中学高等学校。

 その凝り固まった体質は、正攻法では変えることなどできなかったはずだ。

 それこそ俺のような劇薬でもなければ可能性は皆無だろう。


「何もできず、無力さに苛まれながら、このまま腐り果てていくんだろう。そう思っていた矢先に現れたのがお前だ」


 虻川先生は懐かしむように遠い目をする。

 成程。

 彼にとっては地獄に垂れた蜘蛛の糸のようなものだったのかもしれない。


「瞬く間に野球部を改革していったお前に、正直嫉妬もした」


 そう言いながらも、彼の表情はサッパリとしている。

 今はもうその感情も過去のもの。

 声色からもそうと分かる。


「だが、野村のおかげで落伍者だった俺も指導者の真似事ができた。……まあ、練習メニューの大半はお前達の受け売りだけどな」


 後半恥じ入るように言う虻川先生だが、俺からすると受け売りを受け入れてくれることのありがたさといったらない。


 明確にステータスというものが存在することを前提とした考え方。

 それは【マニュアル操作】を持たなければ確信できない特異な指導方法だ。

 この世界特有のものだが、この世界でも常識外れな部分が多い。

 ある程度は結果が出ているとは言え、下手に実績があってプライドがある指導者だったら、すぐに我が出てアレンジされてしまうだろうしな。

 それでは効果がぼやけてしまう。

 そう考えると、むしろ虻川先生は適材適所と言えるかもしれない。


【マニュアル操作】、もとい、転生者に依らない育成方式の確立。

 これもまた、この世界の日本の未来のために必要不可欠となる。

 その一助とするためにも。

 しばらくは、少なくともメリットやデメリットが浮き彫りになってくるまでは下手にやり方を変えずにこのまま踏襲していって欲しいものだ。


「まあ、とにかく。お前には感謝してるんだ。それだけは伝えておきたくってな」

「俺は俺の好き勝手にやってきただけですよ」

「それでも、だ」

「……そう思って下さるのなら、この野球部の体制をこれから先も長く引き継いでいって下さい。それだけが俺の望みです」

「分かった。任せてくれ」


 真剣な顔で応じる虻川先生に満足して頷く。

 その瞳には昔にはなかった意欲が見て取れる。

 今の彼であれば野球部のこれからを預けても問題ないだろう。


 ……うん。

 これで本当に。学校に所属してやるべきことはやり終えたと言っていいな。


「では、そろそろ行きます。また、合同練習の時にでも会いましょう」

「ああ。次のステージでのお前達の活躍を、楽しみにしている」

「はい。期待していて下さい」


 そうして虻川先生に一礼し、無言を貫いたあーちゃんと共に校門へと向かう。

 そこで4年弱通った校舎を1度だけ軽く振り返ってから。


「よし。行こうか、あーちゃん」

「ん。どこまでもついてく」


 俺達は加奈さんの車に乗り込み、高校生活に別れを告げたのだった。

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