114 進路

「皆、申し訳ない」


 全国中学生硬式野球選手権大会から2週間程経ったある日の放課後。

 部室に少し遅れてやってきた磐城君が頭を下げてそう言った。


「また急にどうしたのよ」


 美海ちゃんが訝しげに問うと、彼は躊躇うように視線を揺らして黙り込む。

 前にも似たようなシチュエーションがあったな。

 あの時は野球を続けることができないって話だったけれども……。

 まあ、今回は間違いなく別の話だ。

 内容についても大方予想できている。


「それで? どこのチームに行くって決まったんだ?」


 だから俺は、磐城君の返答を待つことなく問いかけた。

 すると、彼は目を見開いて驚きを顕にした。


「わ……分かっていたのかい?」

「まあ、強豪チームのスカウトが殺到するぐらい活躍させるって約束であの親父さんを説得したしな。実現したら強豪チームに移そうとするだろうとは思ってたよ」


 あの瀬川正樹に勝った新たな神童として、磐城君の名は一層高まった。

 大会MVPにも当然のように選ばれ、野球界における認知度も鰻登り。

 その結果、様々なチームのスカウトが磐城君との接触を図っていた。

 俺のところにも来てきたぐらいだから、そうでないとおかしいぐらいだ。

 小学校の時同様、俺には俺の計画があるから全て断らせて貰ったが。


 それはともかくとして。

 スカウトの中は磐城君本人のところを直接訪れただけではなく、彼の父親である大吾氏から攻めたところもあったようだ。

 正に、将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、だな。

 いずれにしても、そうした状況になれば割と効率厨的な考えを持つ大吾氏だ。

 磐城君が明確な成果を示したこともあり、そんな息子に最高の環境を与えようと画策するのは目に見えていた。


「さすがに向上冠ウチは新興勢力過ぎるからな」


 しかも補助金詐欺という不祥事もあったし、印象はよくないだろう。

 逆に伝統ある強豪チームにはそもそも単純に社会的信用が高いのもそうだが、それ以外にも相応のメリットがある。

 大学や社会人は勿論のこと、それこそプロにもコネがあったりする。

 親ならば、どちらを選ぶかは火を見るよりも明らかだ。


 ただ、まあ、磐城君の顔を見る限り、勝手に色々話を進めたんだろうな。

 それはもう毒親に片足突っ込んでいるような感もあるけれども……。

 被扶養者の立場では思うところがあっても覆すのは難しいだろう。

 まして他人であれば尚更口を出しにくい。

 前回は利害が一致したけれども、今回は説明のしようがない部分も含むからな。

 この向上冠こそ最高の環境だとは信じてくれないだろう。


「で、一体どこのチームなのよ」

「関西の雄、兵庫ブルーヴォルテックスのユースチームだよ。特待生として入団することが決まったって昨日言われた。学校にももう話が通ってるみたい」


 おおよそ手続きも根回しも済んでいる様子だ。

 全く以って未成年というものは立場が弱い。


「……ブルーヴォルテックスか。割と育成に優れてるって言われてるチームだな」


 とりあえず。選択肢としてはそう悪くはない。

 やはりと言うべきか、大吾氏は堅実だ。

 もっとも磐城君は【成長タイプ:マニュアル】なので、どれだけ練習してもそれだけでステータスを伸ばすことはできない。

 これもまた大吾氏には知りようがない情報だから仕方がない。

 とは言え、育成力が高ければ【経験ポイント】を効率よく取得できるはずだ。


「磐城君、可能ならちょくちょく戻ってくるようにしてくれ」

「ええと、それは、どういう?」

「深い意味はないけど、気に留めておいてくれると助かる」


 正樹は【衰え知らず】を持つから放っておいても時間経過でステータスが減ることはないが、磐城君の場合は徐々に低減していってしまう。

 定期的に会って【経験ポイント】を割り振ってやらないと維持できない。

 その辺りは割と非常識な話で説明することができないので、随分とふわっとした要求になってしまったけれども。


「……よく分からないけど、分かった」

「うん。とりあえず、それで十分だ」


 まあ、磐城君は里帰りぐらいするだろう。

 正樹は全然帰ってこないけれども。


「それより、その、怒らないのかい? 皆を裏切るようなものなのに」

「俺としては、磐城君が野球を続けてくれるなら構わないさ」


 それこそ他の皆には悪いが、俺はもっと長期的な視点で動いている。

 だから、正直なところどちらでも構わないというのが本音だ。

 いつかアメリカ代表と戦う時に肩を並べることさえできれば。


「と言うか、磐城君自身の気持ちはどうなんだ? 俺達に悪いとか、そういうことは考えず、本音を教えてくれ」


 ほとんど行く前提で話をしてきたけども、さすがに死ぬ程嫌ということであれば俺としても何かしらフォローを入れないといけないだろう。

 それぐらいの責任が発生するぐらいには干渉したと思うしな。

 まあ、前の時とは違って親に不承不承従うって雰囲気ではなく、単に俺達に申し訳ないという感じだから結論は決まっているようなものだけど。


「ユースチームは、プロと合同練習や練習試合ができることもあるらしいんだ。今回の大会で、僕は特に一流の選手との勝負の経験が足りないように思った」

「うん」

「だから、高いレベルの中に身を置いて研鑽したい。そういう気持ちがある」

「……そっか。なら、磐城君は行くべきだ」


 ユースチームからはリーグ戦もあり、上位はバチバチにやり合っていると聞く。

 真剣勝負の公式戦をたくさん経験するという点では、少なくとも高校世代では確かにユースチームが抜きん出ている。

 大吾氏が勝手に進めた話ではあるが、磐城君の意向と重なっている部分があるのであれば無理矢理引き留める必要もない。


「けど――」

「野球を続けていれば、いずれ必ず道はまた交わる。少なくとも俺はそれでいい」

「わたしは、しゅー君がよければいい」

「茜は、もう。……けど、本当に気にしなくていいわよ。私だって特待生でユースチームのお誘いがあったら考えるもの」

「僕は、まあ、兄さんが同じように東京に行っちゃったし」


 正樹という事例も経験した俺達が磐城君を責めることはない。

 そして、他の子達も大体同じような反応だった。


「まあ、そのために勝ち抜いたようなものだしねー」

「むしろ、おめでたいことです」


 大吾氏との勝負の内容は全員、知っていたからな。

 俺と同じく、薄々こうなることは分かっていたのだろう。

 罪悪感を抱くのは本人ばかりで、周りはそこまで気にしていない。

 そんな感じだ。


 実際、野球に狂ったこの世界においては、野球でのキャリアアップに対してあからさまに悪感情を抱くことはそうそうない。

 ……さすがにプロの銭闘になると、思うところがある人もいるようだけどな。


「と言うかー、絶対的なスタメン枠がー、1つ減ってラッキー? みたいなー?」

「こらっ! えっと磐城君、悪い意味じゃなくね。皆、磐城君に続けってことでモチベーションが上がってるみたいだから」


 諏訪北さんを窘めつつ、怪しげなフォローを口にする佳藤さん。

 ともあれ、来年からは舞台が高校に移る。

 しかし、磐城君が残れば、彼のワンマンチームという印象は拭い切れなくなる。

 他の子にスポットライトが当たりにくくなるのは事実だ。

 それだけに――。


「その通り! 次は俺が世間を騒がせてやるゼ!」


 この環境下で急成長した大松君を筆頭に、他の子達もギラギラしている。

 野球を諦めていた者が、野球で成り上がる。

 その可能性を磐城君が目の前で示したのだから。

 同じ野球部に所属してるだけに、正樹の時よりも身近に感じられたに違いない。

 正直、仲間が去るというのにちょっと冷たい気もしなくもないけども……。

 ライバル意識の方が強かったのかもしれないな。


「まあ、皆こんな感じだから、気にするな」

「野村君……皆……」

「磐城君は新しい環境で成長することだけを考えればいい。それでも俺達に何か報いたいのなら、そうして一回り以上大きくなった姿を見せてくれ」

「……分かった。ありがとう」


 決意を固めたように表情を引き締める磐城君。

 迷いはなくなったようだ。


 全国中学生硬式野球選手権大会という大きなイベントを終え、中学3年生の残り時間は瞬く間に過ぎていく。

 磐城君は1人兵庫ブルーヴォルテックスユースチームに移るために兵庫県の高校に入学することとなり、山形県を去っていった。

 他の面々はそのまま山形県立向上冠高校へと進学し……。

 そうして俺達は高校生になった。

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