くものくち

逢瀬(おうせ)くんが、シュークリームを持ってわたしの家までやって来た。

どこのお店の物かもわからない茶色の無地の紙袋を手に持って、彼はチャイムを鳴らす。

わたしが扉を開けると、緑色のチェックのマフラーに埋もれた小さな白い顔に、青い瞳が潤んでいた。

外は寒かったのだろう。

形の良い鼻がほんのりピンクに色づいている。

「甘奈(あまな)ちゃん。来ちゃった」

彼は白い息と一緒に空っぽの笑顔を吐き出した。

プロ意識の欠けらも無い能天気にも程があるその発言に思わず溜め息が出る。

玄関の白い光が、地面に二人分の黒い影を伸ばす。

冬特有の刺すような空気の中、逢瀬くんの黒墨の髪は電灯の光を良く反射した。


空気の透明度さえも舞台演出のように思わせる完成度の美貌に場違いにも見惚れてしまいそうになる。

「それ、どうしたのよ」

「んー……なんとなく」

彼の返答が不明瞭なのはいつものことだ。

玄関で手渡された紙袋を開けてみたら、中身はシュークリームだった。

彼の行動原理が理解不能なのはいつものことではあるが、賞味期限がなんと明日。

わたしは明日は朝早く仕事に出て、夜遅くに帰る予定なので、シュークリームは今食べることにした。

ちなみに現時刻は深夜二時。

逢瀬くんは二十二歳だから補導される心配はないにしても、現役アイドルである。

夜中に洋菓子を食べるなんて、バカなのか?


紙袋に入っていた手提げケーキ箱はトップオープン式で、リビングで開けて中を見るとシュークリームが四つ並んでいた。

わたしはキッチンの戸棚から一枚お皿を用意して、シュークリーム二つをお皿に載せた。

こんな時間に洗い物が増えるのも少々面倒臭いので、わたしは箱の上でそのまま食べることにする。

いつも思うけど、どうしてわたしは逢瀬くんに対してはプライベートでもこうも甲斐甲斐しいんだろうか。

逢瀬くんの分のシュークリームを一度テーブルに置いて、ふとフォークの用意を忘れたことに気づき、二人分をキッチンまで取りに行こうとしたら、彼は素手でシュークリームを食べ始めた。


「あなたねェ……」

逢瀬くんは目を丸くしてわたしを見つめる。

まあ、今はカメラの目もないし、別になんでもいいんだけどね。

「……甘奈ちゃん」

「どうしたの。好きに食べなさいよ。でも、特別だからね。芸能人は基本が肉体労働者。身体が資本なんだから」

「つぶつぶする」

「は?」

相変わらず良く分からないことを言う逢瀬くんのことは放置して、わたしは自分の分のシュークリームを食べる。

フォークを使わず素手でワイルドな感じに。

美味しい。

コンビニスイーツとは違った高級感のある味わいだ。

どこで手に入れたのだろうか。


甘過ぎなくて、たっぷりとしたいちごクリームの食感もいい。

あれ、つぶつぶするって、もしかしてこれのこと?

「逢瀬くんって、いちご味が好きだったの?」

「わかんない……そうかも?」

逢瀬くんは他人事のように首を傾げる。

いつも思っていたが、逢瀬くんはわたしに対して会話が些か受け身過ぎやしないか。

もう少し能動的に言語でコミュニケーションを取るようにして欲しい。

プライベートの逢瀬くんに比べたら、小学生の方がずっと口が達者だ。

「つぶつぶする」

「美味しいなら良かったじゃない」

「……うん。また食べたいなあ」

「良かったね。でも、そもそもこのシュークリームは誰から貰ったのよ」


「乙野(おつの)プロデューサー」

「ああ、納得したわ……」

うちの事務所に所属するアイドルが歌う楽曲の作詞作曲をほとんどを一人で行っている乙野プロデューサーは、そろそろ良い年のオジサンなのだけど、若くて可愛い女の子よりも若くて可愛い男の子の方が好きらしく、特に期待の若手である張間流星(はりまりゅうせい)こと逢瀬くんを溺愛している。

「逢瀬くんは、どうしてこんな時間に乙野プロデューサーからのお土産なんて持ってわたしの家に来たのよ」

逢瀬くんは二つ目のシュークリームに伸ばそうとした手を一旦止めた。

カメラの前では決して見せないような空っぽの笑顔で、答える。

「最近、夢見が悪くて……眠剤を飲めば一応は寝れるんだけど」

「ちょっと、大丈夫なの……?病院の日程早める?必要ならわたしが明日電話するけど」


「うん。まあ、どうしようかなって。一人で家に居るのも嫌で……甘奈ちゃん家に来ちゃいました。俺、甘奈ちゃんくらいしか頼れる人居ないし……迷惑だった?」

「別に、迷惑とかはないけど……」

逢瀬くんはわたしの答えを聞いて嬉しそうに頬を緩ませる。

子供だ、あまりにも子供の表情だった。

「良かったあ。甘奈ちゃん。大好き。やっぱり俺は甘奈ちゃんに愛されてるんだよね」

愛、愛、愛とは、一体何なのだろうか。

彼の服の下が度重なる自傷行為でズタボロなことをわたしは知っていた。

彼が張間流星になることのストレスで精神病を患っていることも、ずっと前から把握している。

なのに、彼は盲信している。

わたしから愛されていると信じている。


当たり前だけど、彼のファンは何もしてくれない。

どうしても大抵の人は軽薄だ。

張間流星は偶像であり、芸能界においての商品である。

アイドルとは職業だ。

存在そのものをファンタジーにして、人の好きを自由に解放する仕事。

アイドルは人の軽薄さを許してくれるから偉く、尊いのだと、わたしはそう考える。

張間流星に握手されたからもう手を洗わない!とか、張間流星が死んだら私も死ぬわ!とか熱いこと言ってたくせに、数年もするとすぐ冷めて次の興味対象にいく。

そういう人の軽薄さや残酷さも含めて、許すのが娯楽作品であり、アイドルなのだ。


何も知らない田舎の子供でしかなかった彼を芸能界の荒波に巻き込んだのはわたしだけど、贔屓目を抜きにしても逢瀬くんはアイドルとしての素晴らしい才能があった。

張間流星に関わった者達は余すことなく、彼に魅了されている。

現にわたしだって、仕事仲間という枠を飛び越えて逢瀬くんが大切だ。

張間流星のマネージャーとして、この業界では誰よりも一番近くで、長い時間を一緒に過したのに、まだわたしは逢瀬くんと過ごしたい。

我儘過ぎる願いだという自覚はある。

それでも、わたしは彼を一人の人間として幸せにしたい。

手始めに春になったら、いちごミルクを使ったタピオカドリンクでも飲ませてやろうと頭の中で作戦を立てた。

それに、たまになら、深夜の甘い物も良いのかもしれない。

仕事上の立場なんか忘れて、小さな贅沢をしてみるのも。


▼ E N D

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

母親は二人もいらない ハビィ(ハンネ変えた。) @okitasan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ