あなたは不安定

張間流星(はりまりゅうせい)、それが逢瀬くんのアイドル時代の名前だ。

わたしがスカウトした地方の男子高校生は、どうしようもなく芸能界に適性があった。

その身一つで、グループ売りをしているアイドル達と勝負できるこぼれ落ちんばかりの才覚。

当時の逢瀬くんはわたしの予測を遥かに凌駕する勢いで、トップアイドルの道を突き進んでいた。

張間流星は一番星の成り代わりのように眩しくて、完璧で究極の偶像だ。

鏡に映る自分を見て研究して、ミリ単位で笑顔をチューニングをする。

目の細め方から口角の上げ方まで全てが計算されたもの。

いつだって、一番喜んでもらえる感情をその瞳と言葉に乗せてファンに笑顔を振りまく。


逢瀬くんは向けられる視線から、相手の求めるものを理解して、相手が言語化できない意図すら読み取ることができる。

アイドルは夢を売る仕事だ。

歌とダンスで、ステージ上のどの角度からもみんなに真っ直ぐな愛を伝える。

研ぎ澄まされた光の前で、人はただ焦がされるしかない。

彼は透明感があって、人間らしさが欠如していた。

芸能界には華やかな笑顔の裏に、嘘と打算がまみれている。

お偉いさんだって、良いものを作るフリをして見ているのは数字だけだ。

芸能界において、張間流星という存在はスポットライトに照らされながらファンの理想を演じることで消費される商品である。


八年前、六月になったばかりの土曜日。

逢瀬くんが張間流星としてアイドルデビューをしてから三度目のテレビ撮影の日のことだ。

梅雨入りを予感させる少し蒸れた楽屋内。

「ああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

壊れたような絶叫が響き渡る。

逢瀬くんの双眸からだくだくと溢れた冷たい涙が、両頬から首筋にかけてを伝い、雨に打たれた後のようにステージ衣装を濡らした。

「毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日死ぬほど勉強をした。習い事だってたくさん習わされた。努力した。頑張った!でもとうさんもかあさんも俺を見てなかった!ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと」


逢瀬くんは怒鳴りつけるように言うと、堪らなそうに両手でヘアメイクさんにセットされた黒髪を掻きむしる。

「ちがう、違う違う違う違う違う違う。分かってるよ。俺が悪いってことくらい。かあさんととうさんが言ってたことが正しい。期待に添えないから俺が悪い、期待に添えないなら俺が嫌い。俺が、俺が完璧でいないと上手くやらないと俺が悪くて俺が努力出来ないから俺が気が回らなくて俺が期待に添えなくて俺が俺が俺がもっと……」

傍から見たらいじめられっ子のように頼りなく肩を震わせて、歯を食いしばる。

やがて、膝から力が抜けたのか頭を抱えて床に踞ってしまう。

わたしは意識することなく優しい声音で尋ねた。


「逢瀬くん」

逢瀬くんは肩を大きく揺らして、ゆっくりと顔を上げる。

「甘奈、ちゃん……」

彼の瞳孔は限界まで膨張と収縮を繰り返していた。

わたしは床に座る彼の隣にしゃがんで、背中をぽんぽんとあやすように叩く。

「あなたが、そんなに苦しいなら……あなたは自分の気持ちに嘘を吐いてまで、張間流星をやる必要は無いんだよ」

わたしの言葉は本心だった。

張間流星を失うことは事務所からしたら大き過ぎる損害だけど、ただの子供でしかなかった彼を芸能界に引きずり込んだのはわたしなのだから、利用してしまったツケは払いたい。


しかし、逢瀬くんはわたしにだけ見せる空虚な笑顔を向けて、自嘲するように掠れた声で呟いた。

「理想で居ないと、完璧じゃないと……自分を出したら捨てられる。失望される。俺自身の感情に価値なんてあるんですか……?」

今にも消え去ってしまいそうな彼という人間は、それでも確かに存在している。

張間流星の性別すら超越した透明感のあるうつくしさは、異常なまでの強迫観念による生きづらさの代償だった。

わたしはいつもと同じようにスタイリストさんとヘアメイクさんに再度来てもらい、逢瀬くんの乱れた姿を整えてもらう。

張間流星のヒステリーな気質は芸能界では有名だった。


テレビの放送に穴を開けてはならない。

どんな出演者にも最大のパフォーマンスを引き出せるようにスタッフだって嘘を吐き、秘密を作り、人間性の欠陥だって見ないふりをして仕事をこなす。

わたしはそれを悪いことだとは思わない。

嘘で言うなら、張間流星だって天性の嘘吐きだ。

彼はステージ衣装に合わせて自分を変える。

今回着ている衣装だって、張間流星が着るから乙女が好む騎士のように上品で洗練されている雰囲気を醸し出せるが、楽屋のハンガーにかけられている時に近寄って見たら驚くほどに安っぽい素材で出来ていたことに気づく。

下積み時代ならともかく、売れ始めてテレビの歌番組に出るようになると同じ衣装で二回も三回も映る訳にはいかない。


使い捨てでしかないチープな布切れも、彼が纏うからこそラグジュアリーな衣服になる。

張間流星は他者から求められる理想に自分を合わせるのがとにかく上手い男だった。

先程までぐすぐすと泣いていたのが嘘のように、ヘアメイクさんと談笑をしている。

やがて出番が来ると、歌番組のステージ上に移動して、カメラが回れば爽やかな笑顔で、元気に歌い出した。

初めて歌詞を見た時は高校生が自己陶酔し酩酊状態で書き出したような量産的なラブソングだと思っていたのに、気分が甘く高揚して意味もなく肌が火照る。

スタッフだって誰一人として、彼から視線を外すことが出来なくなる。

まるで火に群がる蛾のように吸い寄せられて、羽が焦げ落ちると分かっていても止まれない。


わたしだって、張間流星というアイドルの煌めきをマネージャーというある意味一番近い立場から見守れるのは嬉しい。

歌が終わると観客席から拍手が響き渡った。

わたしはステージから戻ってくる逢瀬くんを迎え入れる。

性の匂いなんてこれっぽちも出さない無邪気な笑みをスタッフに向けていた彼は、わたしを見ると目を丸くした。

「ま、マネージャー、どうしたんですか?顔すっごい赤いですよ。風邪?心配します……」

「いや……」

わたしは一瞬ドキッとして、口篭ってしまう。

熱くなった頬を撫でれば、随分と自分が魅力されていたことが分かって情けなくなった。

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