第7話 手応えあり
「ふーん。なるほどね」
詩織と二人、約束どおり自転車でやって来た学校近くの川。ほたるは少し深い場所で泳ぎの練習をしたあと、何やら感心しつつ一息ついていた。
「何がなるほどなの?」
岩場に腰かけ、水筒の麦茶をゴクゴク飲んでいるほたるに、詩織が声を掛けた。
「いや、ちょっと練習してて、へーそうかって気付いたことがあったんだ」
「さっきからずっと深いとこでバシャバシャやってたあれのこと?」
「フフフ。あれはただのバシャバシャじゃないのよ。聞きたい?」
「聞きたいって言ってるほたるちゃんさ、ものすごい言いたそうだね」
「詩織ちゃん。そこは聞きたいって言いなよ。せっかく盛り上がってるのに」
また短気が顔を出しかけたほたるに、詩織は余裕の対応をする。
「じゃあ聞かせてよ。何やってたの?」
「まあ、あれはさ、バタフライの脚だけ特訓してたんだ」
「脚だけ?」
「そうよ。詩織ちゃんにだけ教えてあげる。いい、バタフライっていうのは殆ど脚で進んでいる様な泳ぎなのよ」
「そうなの?」
ちょっと食いついてきた詩織に、ほたるは得意げに講釈を続ける。
「そうよー。そんでね、腕で水をかくのは息継ぎの為だけぐらいの感じなんだって」
「フンフン」
「だからね。脚を魚のひれみたいにバシュッと蹴れたら姿勢も安定するし楽に速く泳げるわけよ」
「すごいね。ほたるちゃん一体誰に教わったの?」
詩織にスパッと切り込まれてほたるは口ごもる。
あの妙な電話の話を詩織にする訳にはいかなかった。
「まあそこはいいじゃない。とにかく来週のプールまでにいい感じに仕上げておきたいんだ」
「ふーん。それであれをビート板みたいに使ってたんだね」
詩織が指さした荷物を置いてあるところに、魚を入れる発砲スチロールの容器の蓋が無造作に置かれてあった。
ほたるはちょっと恥ずかし気に笑って見せた。
「まあ、そゆこと。ビート板の代わりになるものってあれぐらいしかなかったんだ。でも意外と丁度良かったんだよ」
「成る程ね。いいんだけど、さっきからハエが集まって来てるのが気になるね」
「そうなの。ちょっと生臭かったからやだなーって思ってたんだけど、やっぱり寄って来ちゃったね」
発砲スチロールの蓋は相当生臭いのか、そこそこのハエを集めていた。
「お弁当持ってきたけど、あれを見ながら食べるの嫌だな……」
詩織はブンブン盛り上がっているハエの群れを眺めて、ちょっと複雑な顔をした。
「背中を向けて食べたらいいじゃない」
ほたるは水筒の栓をして、また腰を上げた。
そして足場の悪い岩の上を。器用にぴょんぴょんと跳び越えて行くと、ハエの群がる発砲スチロールの蓋を手にとった。
ハエの群れは、ほたるに追い払われて散っていった。
「さあ、続きを始めようっと。あいつに負けてられないわ」
「ほたるちゃん燃えてるね。よっぽど負けたくないんだね」
苦笑する詩織は、あの坊主頭の矢島を思い浮かべていたのだろう。
しかしほたるの頭の中には、顔も見たことも無い声だけの友達が浮かんでいたのだった。
早速、日が沈んでから、あの電話の少年にほたるは報告していた。
「そんでまあいい感じだったのよ。やり過ぎて腹筋痛いけど」
「へえそうなんだ。良かったね」
手応えを感じていたほたるの声はいつもより明るかった。
「僕もプールでスポカーンをキック中心で泳いでみた。慣れてくると気持ちいいぐらい進んでさ、君の言ってたビート板、僕らの間ではポソロンっていう浮く補助具を使って泳いだら、いくらでも行けそうだったよ」
「いくらでもってホントに? あんた話盛ってないでしょうね」
負けず嫌いのほたるは、若干少年をライバル視しているのだ。
「まあ、流石に腹筋がつりそうになってきたからやめたけどね。面白いぐらい進むってのはホントだよ」
「そう。まあ私もそのうちそうなっちゃう予定だけど、今日は川で流れもあったし、ビート板じゃなくてハエのたかる蓋だったし、環境が悪かったから仕方ないわね」
「ハエのたかる蓋って?」
「それは忘れて。ちょっと不名誉なことだから。それより昨日聞き忘れてたことがあるんだけど」
「何だい?」
「なんでいっつもこの時間で話してるの? 別の時間じゃ駄目なわけ?」
「うーん。過去を繋いでいるんだからいつでも通話できそうなんだけど、ちょっと事情があってね」
「事情って?」
「熊取さんの方の環境のせいで、通信できる時間帯が制限されているんだ」
またややこしい話になるのかと、ほたるは面倒くさげな感じで聞き返した。
「こっちの環境って?」
「君の星には周りを回っている衛星があるよね」
「ああ、月のこと?」
「そう。その衛星が銀河コミュニケーションサービスの通信を阻害しているんだ。もともと未開の銀河に位置する君たちの星にはネットワークが整備されていなくて一番近い惑星からの通信波も到達しにくいんだ」
「またそれとなく田舎者だって馬鹿にしてる?」
「いやいやいや、そんなこと言ってないよ。誓って悪意はないからね」
「なによ。そんなにうろたえなくってもいいじゃない」
電話越しに何度も癇癪を起こされているので、少年もその辺りのことを学習したみたいだ。
ほたるは少年のそのうろたえっぷりに、クスクス笑いながら余裕を見せた。
「へへへ、まあそういう感じでその衛星のせいで通信時間帯は限られてしまうんだ。今ならもう少し早めに通信を始められるよ」
「ホント? 良かった。家から抜け出すのに結構苦労してたのよね」
「あ、気付かなかった。ごめんね。熊取さんに苦労かけてたんだね」
「いいのいいの。おじいちゃんが味方にいて、たいがい胡麻化してくれてたから。それより明日からはいつ頃いけそう?」
「今より一時間ほど早くから通信できそう。君達の言う月が頭上にある間は通信できないって憶えといて」
「分かったわ。じゃあ明日は一時間早くかけて来てね」
「うん」
通話時間を早くできてホッとしたほたるは、他にも疑問に思っていたことをここで訊いておくことにした。
「ねえ、ちょっと質問なんだけど、過去同士をつないでるんだったら昨日から今までの丸一日分のお互いの話をどうしてしてるわけ? 私の三日前でもあんたの一週間前でも自由に繋げれるんでしょ」
「それは君のその電話機がそういう設定になってるからだよ。そのデバイスは本来辺境の星に持ち込んではいけないものなんだ。でも僕の病状を知っておきたくて父さんが銀河コミュニケーションサービスに特別に専用回線を作ってもらったちょっといわくつきの代物なんだ」
「いわくつきって、なに? あんたのお父さんてヤバい人なの?」
「いやいや、そう言うわけじゃないよ。父さんは研究者なんだ。とある研究のために熊取さんの星で研究サンプルを採取し解析しようとしてる」
少年の言葉を聞いて、ほたるは乏しい想像力を最大限に稼働させて、ザ宇宙人というイメージを思い浮かべてみた。
ほたるの想像はこんな感じだ。
まず薄暗い田舎道を散歩していた外国人女性は、あっさりと円盤の中に拉致され、手足を無機質なベッドに縛られてしまう。
恐怖におののく女性は何故だか体を動かせず、悲鳴すらも上げることも出来ない。やがて頭ばかりが大きい、顔の殆どが黒目の宇宙人が現れて女性を取り囲むと、オカルティックな実験を始めるのだ。
これはほたるの想像というより、弟と一緒に観たテレビの内容そのまんまだった。
そういった話が実は苦手なほたるは、自分で思い浮かべた先入観に身震いした。
「ひょっとして、人をさらって解剖しているみたいなやつ?」
「そんなことしないよ。熊取さんって怖いこと言う人だね」
「いや、テレビでそんな感じのことやってたもんで……」
あっさりと否定してくれたので、ほたるは胸を撫で下ろした。
「まあ、研究のことはさておいて、父さんは僕の容態を気に掛けて、決まった時間帯に決まった時間の流れでその電話を通信できるようにしてあるんだ。通常は僕がそちらにかける。通信には膨大なエネルギーが必要だから、その電話機からは気軽にかけれないんだ」
「でも私は最初に十円であんたにかけれたじゃない」
「それなんだ。君の入れたのは本当に十円玉かい? そんなもので通信できるはずないんだけど……その時に何か変ったことってなかった?」
少年は何やら引っ掛かっている様子だ。
ほたるはその時の状況を付け足しておいた。
「まあ私の十円じゃなくって拾ったやつだけど」
「それって薄青い色のコインじゃなかった?」
「分かんない、暗かったから。誰かの落としたやつを拝借して電話しただけ」
「それでか……父さん落としたんだな……」
「え?」
「熊取さんが拾ったそのコインはプルトンって言って高エネルギー圧縮体なんだ。父さんは非常時にそこから発信できるように幾つかプルトンを用意していたはずなんだ」
「また、なんだか頭が痛くなってきた。出来るだけ分かり易く説明して」
「プルトンはコイン型のエネルギー結晶で、それを使えば約5分間の通信がそちらから発信できるようになる」
「あの時のコインは十円玉じゃなかったわけね」
「うん。プルトンが投入された電話機は、僕の携帯している電話に直接つながるよう設定されているんだ。かかって来た電話に出たら、父さんじゃなくて可愛い女の子の声だったからびっくりしちゃったんだ」
「そうだったの……」
可愛いと言われて、免疫の無いほたるは頬が熱く火照ってくるのを感じていた。
おおよそ、いつもイライラさせられている周囲の男子たちからは、熊女などと呼ばれ、けなされてばかりなのだ。
こういった感じで扱われるのに悪い気はしないものの、なんだか胸の内側あたりがこそばゆい。
自分の中で起っていることに戸惑っているうちに、しばらく沈黙していたようだ。
「熊取さん?」
「え? ああ、その辺り分かったわ。じゃあこっちからテルにかけるのはあれがない限りできないんだよね」
「うん。プルトンがない限り、そちらから発信は出来ない。こちらからなら掛けれるけどね」
「ねえ、テルのお父さんって今どうしてるの?」
「ああ、今は仕事中。この前通信した時に一週間後に連絡を寄こすって言ってたから、あと二日で連絡してくるはずだよ」
「そうなの。この電話の前でテルのお父さんと鉢合わせになりそうだね」
「そういえばそうだね。父さんと会ったらテルの友達だって言ったらいいよ」
何気ない少年のひと言だったが、ほたるは大変なことに気付いた。
それって未知との遭遇じゃない!
「そうだ! あんたのお父さんだったら宇宙人じゃない! きっと私、腰抜かしちゃうわ」
「腰抜かすってどういうこと?」
「あり得ない程びっくりするって意味よ。見られたから殺すとかしないでしょうね?」
「ちょっと熊取さんの言ってることについて行けてないけど、何の心配もないよ。普通のおじさんだから」
普通のおじさんと聞いて、ほたるは若干拍子抜けしてしまった。
「え? 宇宙人なんでしょ」
「そうだけど、昨日言ったみたいに君たちと同じ外見だよ。全く見分けがつかないから心配ないよ」
「そうなの? 期待して損しちゃった」
「何を期待してたの?」
「あんた分かって言ってるでしょ。怒るわよ」
「ごめん。今のはわざと。熊取さんと話してると楽しくってつい」
「テルって案外意地悪なんだね。私をからかったりしたら後が怖いんだから」
「テルって呼んでくれてるね」
「え?」
唐突にそう話を変えられてほたるは戸惑う。そういえばさっきから自然とテルって呼んでいたような気がする。
「ずっとあんたって呼ばれてたけど、やっとテルって呼んでくれて嬉しいよ」
「まあ泳ぎも教えてくれたし、ちょっと昇格した感じよ……」
ほたるは戸惑いを隠そうと、電話の向こうの少年にささやかながら強がって見せた。
「僕も熊取さんのこと、ほたるって呼んでいい?」
その一言でほたるは真っ赤になった。思わず受話器を力いっぱい握りしめてしまう。
えー! 男子に? 下の名前を呼ばれるのってお付き合いしだしてからだよね。嵐山キララもやっと結ばれた彼と名前で呼び合ってたけど、結ばれてないし別に恋もしてないし、でも私はテルって言ってたみたいだし……。
ほたるの頭の中で、どうでもいいような葛藤が始まっていた。
「熊取さん? おーい」
「あ、ああ、お待たせ」
「で、どうなの?」
「明日返事します」
「え?」
「明日返事するって言ってんのよ。察しなさいよね」
「え? うーん、まあとにかく明日だね……」
どうも良く分かっていない感じのテルと、おかしな方向に意識し始めたほたるだった。
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