5
「バンドにまつわる物語か」話を聞き終えた琉夏さんが、頬杖を突きながら言う。「宵宮旅行の、ふたつめのお土産ってところだね」
「ええ。どっちも気に入ってもらえるといいんですけど」
「クッキーのほうは文句ないよ。ご存じの通り、私は甘いお菓子が大好きだからね」
私たちは学校近くの喫茶店にいる。お土産を渡すついでに宵宮での出来事を報告したいとメッセージを送ったら、この場所を指定された。
私は珈琲だけだが、琉夏さんは店の名物だというやたら巨大なパフェを食べている。思考を活性化させるのに必要らしい。
「お菓子と同じくらい、不思議な話も大好きなのでは」
彼女はくるりと瞳を動かして、「そっちに関しては多少選り好みするよ。なんでもってわけじゃない。退屈な真実に屈するより、秘密を残しておくほうがいい場合もある」
「真実の追究が目的じゃないんですか?」
「だから場合によるんだって。大事なのは私の人生が愉快になるかどうかで、興味がないことには興味がない。今回の話は――果たしてどっちかな」
にやついている。文芸部に入部して以来、およそ九か月の付き合いになるのだが、とにかく掴みどころのない人だという印象は変わらない。大半の時間は眠っており、気まぐれに目を覚ましたかと思えば、常人には伝わりにくい言葉で物事の真理を言い当てたりする。こう表現すると、まるでなにかの妖怪である。
「現場を見てきた人間として、先に解釈を述べたほうがいいですか? それとも、もうすでになにか思いついてるんですか?」
「お先にどうぞ。食べながら聞いてるから」
「そうですか」私は若干呆れ気味にカップを置いた。「まず前提となる人間関係を整理しておくと――」
「バンドの名前はセラーハースト。メンバーは全員、同じ大学の一年生。ドラマーが津賀修史、ベーシストが都で、このふたりは双子の兄妹。ギターは皐月のお兄さんの志島昴、そして石垣晴仁。石垣さんには尾崎さんという恋人がいる」
いつもこの調子である。人の話を聞き流しているようでいて内容は正しく記憶しており、しかもなんら自分の態度を反省しない。もっとも教師に厄介がられる類の人間だという気がする。
「――本題に入ります。まずはギターの名手であるはずの石垣さんが、なぜライヴ本番でいっさい演奏しなかったのか。これについては、前日の夜に弾けないと連絡が来てやむなく予定を変更したと、兄が証言しています。つまりそこでなにかが起きた」
「仮説。翌日に備えてギターの弦を替えようとして、指を怪我した」
「弦交換なんて何度となくやって慣れてるはずですから、考えにくいです。まして、まったくギターが弾けなくなるほどの怪我をしたとは思えません」
「分かった。ひとまず怪我じゃないとしよう。なぜ石垣さんは弾けなくなったの?」
私は息を吸っては吐き、
「ここでライヴ中、そしてライヴ後に起きた現象に注目するんです。尾崎さんは会場に訪れ、ずっと舞台にスマホを向けていたにも関わらず、録画に失敗している。そして何度となく鑑賞したはずのセラーハーストのライヴで号泣していた。兄からもはっきり見えていたというくらいですし、相当な泣き方です。彼女もまた大いに感情が乱れていたという推測が、ここに成り立ちます」
琉夏さんはフォークで苺を突き刺して、「尾崎さん『も』?」
「はい。もうひとりはもちろん石垣さんです。ライヴ当日、ふたり揃って正常な心理状態ではなかったんです」
「なるほど。心が千々に乱れて、演奏どころではなかった。観るほうも観るほうで、自分のスマホの操作さえ覚束なかった」
私は頷き、「そしてふたりは、打ち上げにも姿を見せませんでした。石垣さんは兄に知らせずに帰省、尾崎さんは都さんからの誘いを断っています。石垣さんには飛行機や船の都合があったんじゃないか、と修史さんが言ってましたが、これは不自然ですよね。だって事前に予約しておくほうが普通じゃないですか」
「離島中の離島にはるばる帰るわけだからね。大仕事だ」
「そう。要するに石垣さんも尾崎さんも、ただ打ち上げに来たくなかっただけなんです。より正確に言えば、お互いと顔を合わせたくなかった」
ふうん、と琉夏さんが吐息交じりに笑う。「どうして?」
「ここまで話せば明らかだと思うんですけど――いちおう続けますね。帰りの新幹線で、私は尾崎さんに会ってます。そのとき気づいたんですが、彼女のスマホ、カバーが替わってたんですよ。ライヴのときはエッシャーの絵が描かれたカバーだったのに、新幹線では白の無地になってたんです」
「確かに不思議なタイミングだね。いいのを偶然見つけたって感じでもなさそうだし」
「そうでしょう。つまり彼女は、一刻も早くスマホカバーを替えなければならなかった。というより、古いカバーを外すためにわざわざ新調したんです。理由はそう、きっとそれが石垣さんとの思い出の品だったから」
琉夏さんが眉を動かした。「結論は?」
「石垣さんと尾崎さんはライヴの前夜に、これ以上は関係を続けられないという答えに到達したんです。もちろんショックだったでしょう。でもふたりは周囲の誰にも知られないよう、できる限り普通に振る舞おうとした。その結果が、奇妙な形式のセラーハーストだった」
かたん、と軽い音を立てて琉夏さんがスプーンを置いた。硝子の容器はいつの間にか空になっている。
彼女は一言、「つまんないな」
「はい?」
「だから、その結論はつまらないって言ったの。実はふたりが破局してたからでした。あまりにもありきたりで、ちっとも面白みがないじゃん」
「そう言われても――」私はカップを持ち上げた。珈琲はとうに冷めている。「――仕方ないじゃないですか」
「頑張って推理したのに、出た結論がそれだったらがっかりしない? いや、なにか見落としてるかもしれないって思わない?」
奇妙なこだわりを見せる人である。私は少し考え、「これが私の限界です」
「そうか。じゃあそこからは私が引き受けよう。前日の夜に決定的な破局を迎えた恋人のライヴを、そもそも観に行く気になるか? ましてスマホを向けるか?」
「だったらそう、ライヴを最後にしようと決意していたのかも。これが終わったら終わりだ、と尾崎さんはライヴのあいだじゅう考えつづけていた。録画も単にミスしたわけじゃなく、あとで消してしまった可能性もあります。そのとき同時に、古いスマホのカバーも処分しようと思い立ったとしたら、筋は通りませんか」
ふん、と琉夏さんは鼻を鳴らした。「いちおう通るかもね。でも気に入らない」
「だったらどうしろと?」
「別の証人に話を聞きたいね。ついでに場所も変えよう。皐月、お兄さんに連絡を」
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