時間の止まった部屋で

千石綾子

時間の止まった部屋で

「わー、こりゃまたぐちゃぐちゃだなあ」


 バイトの佐藤君が悲鳴をあげる。

 私達が足を踏み入れたその部屋は、まさに足の踏み場もない状態だった。


「先週の現場の倍はゴミが出そうですね」

「 ゴミと言うな。故人には宝だったかも知れないんだ」


 新入りの余計な一言のせいで、いつもの説教が始まった。私達は黙って手を動かしながら、それに耳を傾ける。

 私が勤めているのは遺品整理や生前整理、中には特殊清掃もある清掃会社だ。今回は遺品整理の依頼でこのアパートを訪れている。


「こういう仕事はな、作業をしながら故人の人生を垣間見ることがある。それを受け止めながら粛々と片づけていくんだ」


 社長は真面目過ぎる、と私は時折心配になる。仕事に真摯に向き合うのは大事なことだというのは良く分かるが、あまり入り込みすぎると心をやられてしまうのではないだろうか。


「こっちにはフィギュアが随分たくさんありますね」

「それは人気があるゲームのキャラクターだ。高値で売れると思うから大事に扱え」


 社長は価値があるかどうかの目利きも得意だ。古銭や骨董、フィギュアや漫画などそのカバー範囲は広い。

 こうして価値のあるものを見落とすことなく救い上げて換金する。その金額を作業費と相殺することで、依頼人さんも負担が減って助かるという訳だ。


 部屋の主は70代の独身男性。職場で倒れてそのまま亡くなったそうだ。離れて暮らしている妹さんからの依頼で私たちはここにいる。

 一度も現場を訪れない妹さんを、私達は冷たいとは決して思わない。肉親だからこそ、辛くて入室できないという思いはあるだろう。故人と思しき笑顔の男性が映っている写真を箱に集めながら私はそんなことを考えていた。


 それにしてもひどい状態だ。本も衣類も床やベッドの上にぐちゃぐちゃに、そして台所には汚れた食器や鍋、干乾びた食材がぐちゃぐちゃに。しかし日が陰り始める頃にはそんな部屋も大体片付いてきた。

 これなら明日の半日くらいで清掃は終了するだろう。ほっとしていると……。


「──おい、これ……!」


 社長の、緊迫した声。私たちはキッチンからリビングへ走った。すると、押入れの前で社長が立ち尽くしていた。押入れのふすまを開けてこちらを振り返る。その中を見て私達も息を飲んだ。


 動かなくなった、猫。

 押し入れの中には猫用のベッドやトイレ、空の給餌器などがあった。アパートで、こっそり飼っていたのだろうか。家の主が亡くなってから最短でも2週間は経っているはずだ。ベッドと壁の隙間にうずくまるようにして、もう動かない。飼い主の帰りを待ち続けたのだろう。思わず涙がこぼれ落ちた。


「……可哀そうに。せめてベッドに寝かせてやろう」


 社長は固まっている猫を持ち上げた。すると。


「んーん」

「──え?」


 冷たくなっていると思われた猫はびよーんと伸びて、鳴いた。何事かと不満そうな顔で私達を見上げている。


「い、生きてる!」

「にゃー」


 当たり前だろうとでも言うように猫がまた鳴いた。私達は驚きと喜びで涙が止まらなかった。涙と鼻水で3人の顔はぐちゃぐちゃだ。猫はそんな私達にご飯や水の催促をするかのように足元に絡み付いてきた。


「よかったな。よかったな、間に合って。名前は……そうか、るるちゃんか。おじさんとこに行こうな」


 喉が渇いているようで、一生懸命に水を飲む猫。そのネームプレートを見てしゃがみこんでいる社長の顔は緩みっぱなしだ。

 真面目過ぎて依頼人や故人の人生に入り込み過ぎるところがある社長。だが、この出会いは彼の心を癒してくれることだろう。

 人の死が近すぎて辛いことも多いけれど、こういう事があるから私はこの仕事が好きだと思えるのだ。

 


                    了


(お題:ぐちゃぐちゃ)

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時間の止まった部屋で 千石綾子 @sengoku1111

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