17 新たに歩む

「……」


 ぼうっと空を眺めていた、黒髪に青い瞳の青年に、


「手を動かしてください、フィリップさん」


 アルニカが鍬で畑を耕しながら言う。


「……ああ」


 フィリップと呼ばれたその青年は、手に持っていた鍬へと視線を移し、


「……」


 また、動きを止めた。


「シャキシャキ動いてください。今はもう春のはじめです。畑の面積は拡張しましたが、今のうちに土の下準備を終えないと、これからの食事が貧相になりますよ」

「……畑には、何を植えるんだったかな」

「じゃがいも、人参、トマト、ナス、かぼちゃ、サツマイモ、ブロッコリー、カブ、キャベツ、ズッキーニ、メロン、スイカ、その他諸々です」

「それらを一気に植えるんだったか」

「季節ごとに植えます。というか植えるものと種をまくものがあります。教えましたよね? 何忘れたフリしてるんですか?」


 ザク、ザク、と鍬を動かしながら言うアルニカに目を向け、『フィリップ』は言う。


「君はどうして、私を、……こうして、くれたんだろうか」

「その質問何回目ですか? あなたが嫌いだからです」

「嫌いだというのに、ここまで手を尽くしてくれる君の思考が、上手く読み取れない」

 もとは白金色の髪と赤い瞳の、フィリベルトだった青年は、平坦な声で言う。


「……。……ハァ」


 アルニカは手を止め、顔をしかめつつ息を吐き、腰に手を当てると、


「その理由を聞いて、あなたは納得しますか? 推測は立てているんでしょう? で、それが理解できない。なら、あたしから話すことはありません」


 アルニカはそう言い、一呼吸置くと、


「あたしはあたしの意思で、あなたの人生に手を出しました。なので、その責任を負う必要があります。少なくとも、その『ものすごい特殊な溶剤を使わなければ落ちない髪染めの染料』と、『瞳の色を変える薬』をあなた達が自力で作れるようになるまでは、ここに居てもらいます」


 その言葉に、フィリップは彼女へ微笑みを向ける。


「本当、手を尽くしてくれるね。でもね、私は少し、怒ってるんだ」

「ええ、どうぞ怒ってください。けど、罵詈雑言を浴びせるのはあたしだけにしてくださいね。クルトさんは私が巻き込んだんです。本来無関係になるはずだった人ですから」

「……いや、ちょっと、いいか」


 その声に、アルニカは振り返る。

 そこには、短い金色の髪と濃い茶色の瞳を持った青年が、申し訳無さそうな顔をして立っていた。


「僕も、僕の意思でこうすると決めた。切っ掛けは君だったが、今ここにいるのは、僕自身がそうと決めたからだ」


 青年はアルニカにそう言うと、フィリップへと顔を向け、


「なので、叱責は僕へお願いします」

「……」


 フィリップは、アルニカと青年を眺め、


「……君達は本当、真面目だねぇ」


 呆れたような笑顔を見せた。


「私が死にたがっていたから、あえて二人だけで話を進め、私はまんまとそれに引っかかり、新たな人生を歩まざるを得なくなった。実に、ありがたいことだ」


 その言葉に、青年は──コルネリウスだった、今はクルトを名乗る青年は、俯く。


「……」


 アルニカは、作った畝を踏まぬように歩き、フィリップの前まで来ると、


「あたしがあなたを嫌いな理由、教えましょうか」


 下から顔を覗き込みながら、とん、とその胸に右の人差し指を突きつけた。

 フィリップは、微笑みながらその顔を見つめ返し、


「そうだね。教えてほしいかな」

「あなたが死にたがりの目をしていたからです」


 その言葉にフィリップは目を瞬き、クルトは顔を上げる。


「最初に見た時からそうでした。あなたは死にたがりの目をしてた。あなたには死の影が纏わりついていた。自分から生じた死の影です。そう遠からず、この目の前の人は死を選ぶのだろうと、容易に想像がつきました」

「分かっていて、同行したんだ?」

「ええ。あたしが専属魔法使いになると決めた理由の一つがそれです。死にそうな人をそのままにするのは、あたしの信条に反するので」

「けど、私は死を望んでいたんだよ? 君が自分の信条で動いた結果、君は私の希望を打ち砕いた訳だけれど?」

「いいえ。あなたは死にたがっていましたが、その瞳の奥には苦しみが見えました。あなたは、本当は、生きたがっていた。死という選択は、周りを収めるための手段。あなたは長年考えに考えた末、その手段を取ることを選んだんでしょう」

「……まるで、何もかもを理解しているような口ぶりだね」


 フィリップは表情を消し、アルニカと正面から向かい合う。


「そこまで驕っていません。あたしは、……あたしは、その目を、よく知っていただけです」


 アルニカは口を引き結び、少ししてから、開いた。


「……じーちゃんが時々、そういう目をするんです。遠くを見つめて、今にもどこかへ飛んでいってしまいそうで。……あたしは、その目が嫌いです。大っ嫌いです。……そういう理由です」

「……そう」

「では、あたしは作業に戻ります。あなた達も作業に戻ってくださいね」


 アルニカは、フィリップにくるりと背を向けると、クルトの横を抜け、ザクザクと土を踏みしめ、別の畝へと向かっていく。


「……でん、フィ、フィリップ様」

「様はいらないって」

「……本当に、申し訳ありません」

「どうして謝るのかな」


 頭を下げたクルトに、フィリップはちらりと視線を向けた後、その視線を青空へ向けた。


「僕らがあなたを謀り、強制的に新たな人生を歩ませようとしていることにです」


 クルトは顔を上げ、空を眺めるフィリップに言う。


「彼女はああ言ってくれましたが、この行動は僕の意思でもあります。いえ、僕の思いのほうが大きいくらいでしょう。……僕は、早々に諦めてしまいました。あなたが歩む人生を、その茨の道を行くのを、……そして、その行く末を、お止めするのを。彼女があの話を持ってきてくれなければ、僕はあのまま、ただの傍観者になっていました。……ですから、……申し訳、ありません……!」


 その瞳から、雫が流れる。


「どんな罰でも受けます! っ……けれど、……もう……ご自分を傷つけないでください……!」

「ネリ」


 フィリップは──フィリベルトは、空を見上げたままその名を呼んだ。


「話に聞いているとは思うけど、私は、父上の目の前で薬を飲んだ。私の全快を祝う席で、他の貴族もいるその中で。『私はこの世を去ります』と言って、その言葉に固まった父を目の端に捉えながら、あれを喉に流し込んだ。アルニカの言う通り、すぐに気を失って、次に目覚めたら、そこは地獄でも天国でもなく、君とアルニカが私を覗き込む、夜の墓場だった」


 フィリベルトは、ふっと笑い、


「夢だと思った。夢であれと思った。……けれど、夢じゃなかった。私は生きて、今、この空を眺めている」


 フィリベルトは空に手をかざし、


「人というのは、案外単純だね」


 その手を握り込む。


「生きていてよかったと、思ってしまっている自分がいる」


 拳を下ろし、視線を下げ、もとは赤かった青の瞳を、鍬を振り上げる少女に向け、


「彼女と、」


 それを今度は、コルネリウスに向ける。


「君に、感謝しなければ」

「っ……いいえ、いいえ! そのような身に余るお言葉……!」


 頭を振り、また涙をこぼすコルネリウスに、


「ははっ! 君は泣き虫になったねぇ。まるで出会った頃のようだ」

「アルニカよーい! 昼ができたぞぉー!」


 そこに、ベンディゲイドブランの声が響き渡った。


「はーい! ほら、二人とも、行きましょう」


 くるりとこちらを振り返ったアルニカに、「ああ」と、フィリップはついて行き、「っ……」涙を指で拭ったクルトも、そちらへ向けて歩き出した。

 三人で畑の道具を片付け、扉を開けば、


「……じーちゃん……」


 ズゥン、と目の前に、仏頂面のベンディゲイドブランが立っていた。


「……お主らのこと、儂はまだ認めておらぬからな。この子が頼んできたから、仕方なぁく、置いておるだけじゃ」

「ええ、分かっています」


 頷くフィリップに、


「分かっておるものか! この子がお前らを連れ帰ってきて、どうしたか忘れたか! い、一生のお願いと言って、ど、土下座までしたんじゃぞ! その重み、分かっておるのか!」

「じーちゃん、もうそれ、二ヶ月も前の話でしょ」


 言いながら、ベンディゲイドブランの横を通り過ぎるアルニカ。


「じゃ、じゃがなぁ……アルニカよ……この者達のために『一生のお願い』まで使うことはなかろう……?」


 それをすごすごと追いかけるベンディゲイドブラン。


「いいの。それをどこで使うかはあたしが自分で決めるの。そんでじーちゃんはあの時承諾したの。はい、この話は終わり」

「じゃが……」

「お昼もちゃんと四人分、作ってくれてるんでしょ?」


 その言葉に、ベンディゲイドブランの動きが止まる。


「うん、やっぱりじーちゃんは優しいね」


 自分に向けられたアルニカの笑顔に、


「……くっ……」


 ベンディゲイドブランは悔しそうな、けれどどこか嬉しそうな複雑な顔になって、奥へ行くアルニカの後をついて行った。


「……うん。この家で一番力があるのは、やっぱりアルニカだね」


 フィリップは、笑いを堪えながらそのあとに続き、


「……そうですね……」


 クルトはなんとも言えないといった声と表情で、それに応えた。



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魔法使いに育てられた少女、男装して第一皇子専属魔法使いとなる。 山法師 @yama_bou_shi

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