九話
「……どうしたの? 近頃、溜息が多いんじゃない?」
隣を歩く女に聞かれて、僕は知らないうちにまた溜息を吐いてたことに気付いた。
「……どうも、しないよ」
「お屋敷の皆のことが恋しい?」
「そっ、そんなんじゃない……」
気持ちを読んだように言われて、僕は慌てて言い返した。
あのお屋敷を出たのは数週間前――寝る前、女にいきなり、明日ここを出るからって言われて、僕はそこでもう仕事が終わることを知らされた。働いたのは半年間。庭の木の葉っぱは綺麗な赤色に変わってた。女は十分お金を稼げたようで、僕達が出て行くことは皆すでに知ってたらしい。何も知らなかったのは僕だけだった。だからその日になって、皆には慌ただしくお別れを言うしかなかった。庭師のユストさんには、もっとお礼の言葉を言っておきたかった。家族のこととか好きなことを教えてもらったばっかりだったのに……。皆の楽しそうな笑顔と笑い声が懐かしい――それが正直な気持ちだったけど、女にそんなことは言えない。馬鹿にされて、からかわれたくないから。
「あの人達、皆いい人だったからね。あなたの気持ちはよくわかるわ」
「だから、そんなんじゃないってば」
「無理しなくていいから。気持ちは閉じ込めちゃ駄目よ。私もいつかまた、皆に会えたらいいなって思ってるし。あなたもそうでしょ?」
女に見つめられて、僕は迷いつつ答えた。
「……うん……」
「じゃあ会えるように急ぎましょう。港まではあと数日で着けるはずだから」
女は足を速めて歩き出す。気持ちはお屋敷の皆に引かれたままだったけど、今は女に付いて行くしかなくて、僕は自分のするべきことに意識を向けて後を追って行った。
一時間後、僕達は茶色い建物がたくさん立ち並ぶ街に着いた。これまで見てきた街と比べて、どこか雰囲気が違うというか、感じる匂いが違うというか……何だか違う国に来たような感じで僕は街中を見渡した。歩いてる人はたくさんいて、変わったところもないんだけど、何だろう、この感覚……。
「港に近い街だから、異国の物や文化が混じってるみたいね」
女も辺りをきょろきょろ眺めながら、すれ違う人や店の商品を見て言った。確かに、今まで見たことない物が並んでたりする。真っ青な魚、派手な柄の布、目が尖った人形……どれも初めて見るけど、これが異国の物なのかな。
「人や物の出入りが多いせいか、治安はあんまり良くなさそうね……」
「……ちあん?」
「ここが安心、安全に保たれてるかってこと。……ほら、あそこ、柄の悪い男達がたむろしてる。あっちの道の角にも」
女が小さな声で示したところを見ると、身体の大きい男の人達が集まって、だるそうに道を眺めてる姿があった。その目付きは確かに悪そうで怖い。一体何してるんだろう。
「目を合わせたり、近付いちゃ駄目よ。因縁つけられてお金取られちゃうから」
「お金、取るのか?」
「ごろつきはそういうことをする悪い人だから、気を付けるのよ」
「ふーん……」
そんなことする人もいるのか。せっかく稼いだお金を取られるわけにはいかないな。絶対に近付かないようにしよう。
「もう正午を過ぎた頃ね……お腹空いたでしょ? 何か食べようか」
「うん。喉も乾いた」
「食べられる店はどこかな……ちょっと探してみないと」
見える範囲に食べ物を売ってそうな店は見当たらない。僕達は食べ物を探して歩き、人に聞いてはまた道を進んで行った。
「言ってたのは、この辺りのはずだけど……」
細い道が入り組んで人通りも少ない……こんなところに食べ物なんて売ってるのかな。僕も女も疑いながら歩いてた。でも聞いた道は確かにここのはずだし――見つからないまま、うろうろしてた時だった。
「おっ、あんなとこに女がいんじゃん」
横の道からふらっと現れた男の人が、僕達に気付いて言った。
「え、どこよ……おお、本当だ」
「でも子連れだぜ」
その人に続いて、もう二人の男の人が現れた。何か、すごく悪そうな感じだ……。
「そんなの構わねえよ。……なあ、そこのお姉さん!」
三人の男の人がこっちに近付いて来る。それを見て女は僕を後ろに下がらせた。
「……もしかして、ごろつき?」
「ええ。だから静かにしてるのよ」
小声でそう言うと、女はやって来たごろつき達に目をやった。
「……何か用?」
冷たい声で聞いた女に、ごろつき達はヘラヘラしながら言う。
「俺ら、今から飯食いに行こうと思ってんだけどさ、よかったらお姉さんもどうかなって思って」
「見ての通り、私にはこの子がいるから遠慮するわ」
「別にガキがいたって、俺らは気にしねえからさ。……なあ、腹減ってねえか?」
ごろつきは僕に聞いてきたけど、何も答えなかった。いくらお腹が減ってても、こいつらと食べるなんてごめんだ。
「……ふんっ、愛想のねえガキだな」
「私達は行くから……他の人を誘って」
僕の手を引いて女は行こうとしたけど、その前にごろつきがすぐに立ち塞がって来た。
「おっと、断っちゃうの? 傷付いたなあ」
「断るなら金くらい置いてけよ。それが礼儀ってもんだろ?」
女はごろつき達を睨むように見た。
「最初から、それが目的なんでしょ」
「そんな怖い顔すんなって」
「そうそう。ちょっとくれるだけでいいんだからさ」
「三人の人間にあげるほど、懐に余裕はないの」
「でも持ってはいるんだよな。いくらだ? 見せてみろよ」
ごろつきの一人が女の腕をつかんで詰め寄った。
「触らないで! どいてよ!」
「金を見せてくれりゃいいんだよ。ほら、早く出せよ」
抵抗する女にごろつきはしつこく絡む――僕達が働いて稼いだお金だ。こんなやつらに奪われてたまるか!
「もう、どっか行ってよ!」
僕はたまらず、ごろつきを突き飛ばした。驚いたのか、女から手が離れたごろつきはバランスを崩して、もう少しで転ぶところで踏み止まった。その直後、ものすごい怖い目が僕を睨み付けてきた。
「……てめえ、ガキ、生意気してんじゃねえぞ!」
ごろつきは向かって来ると、仕返しに僕を突き飛ばしてきた。大人の力じゃ耐えられず、僕は地面に勢いよく転がされてしまった。
「ジュリオ! ……子供に、何するのよ!」
女は今までにないくらい怒ってる。でもごろつき達はヘラヘラしたままだった。
「お姉さんが金出せば、こんなことにはならなかったんだよ。どう? 出してくれる?」
なんて悪いやつらなんだ、こいつら……!
「お金なんか出しちゃ駄目だ! 絶対に!」
僕が叫ぶと、突き飛ばしたごろつきがすぐにこっちを見た。
「うるせえガキだな。一度痛い目見させて――」
「その子に近付いたら、許さないわよ!」
「ああ? ……!」
ごろつき達の動きが一瞬止まった。女を見ると、その手には短剣が握られてた。
「切られたくなければ、私達に構わないで」
短剣を構えて見せる女だけど、ごろつき達はあんまり怖がってる様子がなかった。
「へえ、いいもん持ってるねえ。でもお姉さんには似合わないよ」
「金と一緒にそれも貰っといてやるよ。よこしな」
「こ、来ないでよ……」
ごろつき達は女にじりじり近付く――僕の鍛えた力を試す時が来た。三人の意識が女に向いてる隙に、僕はかばんから木の棒を取り出して握った。これは毎日素振りに使ってた棒で、お屋敷を出る日、お兄さんがこの先も素振りを続けて鍛えろってくれたものだ。短剣みたいに切ることはできないけど、振り慣れたこれなら、狙い通りに殴れるかも。女を……じゃなくて、お金を守らなきゃ。
「たああ!」
僕は棒を振り上げて、ごろつきの一人に向かった。
「ん? な、ガキ――」
男がこっちに振り向く瞬間に、僕はそいつの足に思いっきり棒を叩き付けてやった。
「いっでええ!」
小さく飛び上がった男は、片足を押さえながら泣きそうな顔になってた。やった! ちゃんと上手く当てられた。足のすね……そこを殴られると人はすごく痛いんだってお兄さんに教えてもらったんだ。その通りだったな。
「……もう、許さねえぞ! ガキが!」
片足を引きずりながらごろつきが向かって来た。
「そんなガキ相手にキレるなよ」
「うるせえ! こういうクソガキは一度殴らねえとわかんねえんだよ」
僕は棒を振って止めようとしたけど、男は手で簡単に避けると、僕の胸元をつかんで持ち上げてきた。
「く、苦しい……」
「苦しい? ならもっと苦しませてやろうか? この首へし折ればすぐだ」
男の薄ら笑いが僕を見下ろしてくる。くっ、くそ、強くなったはずなのに、まだ敵わないのか……。
「その子に近付くなって言ったでしょ!」
女の声と一緒に短剣をブンッと振る音が聞こえた。これにごろつき達が女から離れた。
「早く手を離して! じゃないとこれで切るわよ」
女に言われて、僕をつかんでた男は苦笑いしながらゆっくり手を離した。
「まったく、気が強え女にそんなもん持たせちゃいけねえな……」
地面に足が付いた瞬間に、僕は走って女のほうへ逃げた。
「これ以上付きまとうなら、役人に言って捕まえてもらうわよ」
「はんっ、役人ごときに俺らが捕まるわけが――」
「なあ、おい、あのガキの首のやつって……」
「あ? 首……?」
こそこそ話すごろつき達の目がなぜか僕のほうを見てくる。な、何なんだよ。気持ち悪い……。
「……まさか、あのアザ!」
「そうだよ。間違いねえよ! そのガキ、成金病にかかってやがんだ!」
成金病って、前に確か女に聞いたことが――
「ジュリオ! スカーフが!」
慌てた女の声に、僕は首に巻いたスカーフを手で確かめた。するとスカーフは緩んでて、首の下までずり落ちてた。きっと胸元をつかまれた時にずれたんだ――そこで僕はやっと気付いた。ごろつき達が僕のほうを見てた理由……アザのことを、エルデバ病のことを、こいつらは知ってるんだ。僕はすぐにスカーフを巻き直したけど、もう遅い。見られてしまった。
「へへ、運がいいぜ……俺らはこれで大金持ちだ」
「もう金はいい。代わりにそのガキ置いてけば、お前のことは見逃してやるよ」
勝手なことを言うごろつき達を、女は強く睨み付けた。
「そんなことするわけないでしょ。この子を置いて行くぐらいなら、私はあんた達を切るわ」
「本当に気が強えな……おいガキ、お前が俺らんとこに来るなら、母ちゃんが怪我することはねえんだ。母ちゃんが殴られるとこ見たくねえなら、こっちへ来な」
男はニヤニヤしながら僕に手を差し出してきた――こいつら、僕と女が親子だと思ってるらしい。母ちゃんはとっくに殺されてるんだ。ちょっとむかつく。
「この女は母ちゃんじゃないし、好きでもないし、別にどうなったっていいけど、でもお金目当てのお前らのほうがもっと嫌いだ!」
そう言ってやると、ごろつき達の顔が一気に怖く変わった。
「ガキはガキだな。てめえの状況が理解できてねえようだな……」
男三人はゆっくりこっちに近付いて来る。今度はつかまれないように気を付けて――
「来なさい」
棒を構えようとしたら、横の女が僕の手を引っ張って走り出した。
「逃げたって無駄だ!」
「ははっ、追い詰めたとこでボコボコにしてやる!」
後ろから笑い混じりの声が追って来る。それを引き離そうと女は僕を引いて走る。
「あんなやつら、殴って倒せば――」
「向こうは三人よ。あなたじゃ無理よ。私でも……だから逃げるの!」
女の顔は必死だった。母ちゃんと父ちゃんを殺した人殺しとは思えないほど怖がってるように見えた。前に僕を閉じ込めたおじさんから逃げた時と似てると思った。でもあの時より今回のほうが、もっと危ないのかもしれない。女の顔を見てるとそう思えた。
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