第2話不貞の子、嫁に出される

「ロレッタ。あなたに縁談が来たの」

「え……?」


 ある日のこと、珍しく父を伴って離れを訪れた母が言った。


「成り上がりの男爵様でね、貴族の嫁を探しているって大金をチラつかせているんですって。まあ、品のないことですけれど、そういう相手なら、アナタがちょうどいいんじゃないかしら」

「……」


 母の口調は、男爵のことを馬鹿にした言いようだった。


「アナタのことを話したら、とても喜んでいらっしゃったそうよ」


 成り上がりの男爵ということは平民の生まれだが、魔力を持って産まれた人物ということだ。


 この国では魔力を持つものは基本的に貴族のみで、希少な存在のため魔力持ちはとても大切にされる。そのため、魔力を持って生まれた平民は男爵の爵位が贈られたり、マッチング次第では貴族の養子として引き取られることは珍しいことではない。


 突然変異的に生まれ出た平民が持つ魔力というのは、貴族たちが脈々と受け継いできた魔力のそれと匹敵する力を有していた。いや、むしろ貴族に勝る力を持っていることの方が多いのだけど、そのことを肯定する貴族は少ないので、一般的には『匹敵する』とそのように言われていた。


 母が告げた男の名は私も知っていた。


 バルトル・ガーディア。

 父と同じ電気の魔力を持つ男。魔道具の画期的な改良を行ったということで大々的なニュースになったような人だ。


(成り上がりの男爵。……アーバン家の不貞の娘がちょうどいいお方だなんて、とんでもない)


 平民の生まれではあるけれど彼はとても優れた能力を持つお方だ。わたしは押し黙り表情を隠したけれど、「信じられない」という動揺と困惑は抑えきれなかった。


 わたしはただ、貴族の娘というだけで彼に釣り合う存在じゃない。そもそも、貴族の娘というのも……私の身に流れる血は半分しか、そうじゃない。


「お前にはもったいないほど、よくできた男だぞ。眉目秀麗、王も一目を置く魔道具士だ。本来、平民の魔力持ちの爵位は一代限りだが、奴についてはその功績と……子孫の魔力の有無によっては子に爵位を継がせることも期待されているそうだ」


 父が口角を吊り上げて、意地の悪い笑みを浮かべる。


「ああ、お前がまさか! 真っ当な貴族の娘ではないとは思いもしないで!」


 整った顔に似合わないような、酒に焼けてガラガラの声で父は高笑いを上げた。よほど、その成り上がりの男爵が気に食わないのだろう。


 魔力を持たない平民と魔力を持つ貴族の子は子本人に魔力が引き継がれても、その子孫には魔力が引き継がれることはない。


 ……つまり、貴族の母と平民の男の娘──不貞の子のわたしと平民の出自の彼の組み合わせでは子どもに魔力は期待できない。


 父は不貞の子のわたしと成り上がりの彼が夫婦となることで、彼を一代限りの爵位の男としてしまいたいのだ。


 父はバルトル様を騙すつもりだ。


「あんな男に、これ以上成り上がられてたまるか! ようやくお前が我が家の役に立つときが来たのだ!」


 父が良くないことを考えていることはわかったけれど、わたしには彼に口ごたえすることはできなかった。


 父は拳を握り締め、気持ちを昂らせていた。わたしはその握り拳から目が離せなかった。幼い頃は何度も、あの拳に殴られた。物を投げつけられた。今、彼は、わたしのことなんて視界に入れていない。それでいい。何かを喋って、じろりと睨まれて、痛い目を見るのは嫌だった。


「我が愛しの娘、ルネッタにはあんな一代限りの男はもったいない。幸いあの子は美しく育ったおかげで婿もよりどりみどりだ!」


 父の下品な笑い声に怯えていると、気づけば母がツカツカと近寄ってきていて、舐めるように上から下までギョロリとわたしの姿を眺める。そして乱暴な手つきでわたしの帽子を剥ぎ取った。


「さすがに今のままじゃあみっともない。この家を出るならこの髪もどうせ隠し通せないんだから、いいわ。お会いするときまで、髪を伸ばしておきなさい」

「……はい」


 わたしは髪を伸ばすこととなった。長い髪には憧れていたから、髪を伸ばす許可を得られたことだけは嬉しかった。


 お会いしたこともない罪なき男爵さまを騙すことになるけれど、優秀なのだというお話が引きこもりのわたしの耳にすら入ってくるようなお方だ。きっとわたしがなんの役にも立たないぐずだとすぐにわかって、追い出すだろう。


 ……そうなったら、我が家のことも世に知れ渡るかしら。わたしのことが知られて、母の不貞も世に知られ、さらには父と母がわたしを虐待していたことが知られ、アーバン家の地位は剥奪されることとなったり、するかしら。


 チクリと何かが胸を刺す。


 そんなのは絵空事だわ、と思わず薄く笑ってしまう。


(まさか、そうはならないでしょうね)


 もしもアーバン家のこの隠し事が露呈しても、きっとわたしだけが責められて終わる。


 妻の不貞を知りながらも自分の娘として育ててきたのだという美談にすり替えられるかもしれない。婚姻も本当は妹を嫁がせるつもりだったがわがままな姉が嫁ぎたがったとか。なんとか理由をつけて、不貞の娘のわたしが強引に嫁に行った形にされるんだろう。我が家の悪い部分は明るみには出ないで終わるんだろう。


 ため息をつく気にもならなかった。

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