屍人地帯

勇久仁

第1章 悪夢

     1



 男たちは疲れ切っていた。大型のキャンピングカーの中で、五人は黙り込んでいた。 

 フロントガラスからは、少数の人影が見える。車を運転していた直也は、見慣れた姿に驚きもせず、ただ無言で車を走らせていた。

 少数の人影は異常な姿だった。その歩く姿は「化け物」その物で、ヨチヨチとゆっくりとしか歩く事が出来ない。

 右側の助手席に座っていた登が「化け物め」と、独り言を呟く。

 彼らは異常な世界の真っ直中にいた。


 事の始まりは、一週間ほど前の事だった。

 彼ら五人は、中学時代からの友人で、十年ぶりに旅行に来ていた。

 北海道全域をキャンピングカーで自由に旅する『北海道自由巡りツアー』に参加した彼らは、フォードE350スーパーデューティーという六人乗りのキャンピングカーで、自由気ままな旅をしていた。

 北海道の北の果てに位置する稚内に着いた頃、事件は発生した。

 川縁でキャンプをしようとしていた彼らの前に、人とは思えない生き物が襲ってきたのだ。その化け物の身体は腐敗し、目は虚ろで、両手を広げて、ゆっくりと彼ら五人に迫ってきた。恐れをなした五人は、すぐさま車に乗り込みその場を離れたが、その化け物どもは至る所で発見された。

 五人は車のテレビで、この化け物の正体を知った。テレビニュースでは、次のように発表していた。

「北海道の全ダムに異常発生した微生物は、水道水から北海道の人口の四分の三の人々の体内に入り込んだと思われます。その微生物を含んだ水を飲んだ人々は、二十四時間以内に死亡。 ……そして、数時間後には生き返るのです。ただ、人としてではなく、食人鬼として……」

「食人鬼となって蘇った人々は、生きた人間の肉を求めて彷徨い出しているのです。まるで、映画に出で来るゾンビのように……」

 ニュースキャスターも、興奮気味だった。

「只今入った情報によりますと、政府は、北海道を隔離することを決定したそうです。これはすなわち、北海道を放棄したということです!」

 ニースキャスターは絶叫していた。

「政府は、事の事態がハッキリするまで、救助隊の出撃も見合わせるとの事です」

 このニュースを見ていた五人は愕然とした。


 ゾンビ発生と救助隊がこないことを知った五人は、自力で脱出する為に福島漁港を目指して車を走らせていた。ニュースを見た日から一日の時間が過ぎていた。

 精神的に疲れ切っていた五人は、喋る気力も残っていなかった。ただ呆然と運転する直也。恐い顔をして助手席に座っている登。運転席のすぐ後ろのテーブル席に座る雅、剛司、光一。五人全員が喋らなかった。

 目を閉じて考えにふけっている島川 雅(しまかわ みやび)は、体格のガッチリした男で、港からの脱出を考えたのも彼だった。

 向かい側に座ってビールを飲んでいた持田剛司(もちだ つよし)は、武道家のような体格で、腕力が自慢の男だった。

 その隣で寝息を立てているのが楠本光一(くすもと こういち)で、小柄だが野性的タイプ。

 助手席で難しい顔をしている田崎 登(たざき のぼる)は、五人の中で一番小柄な男だった。

 車を運転している原田直也(はらだ なおや)は、少し太めだが体力自慢な男だった。そんな彼にしても二十四時間以上の運転はさすがに堪えていた。ガソリンの事を考えて平均時速八十㎞を保つ走行が、より一層、彼の体力を消耗させていた。

 そんな直也を横目で見た登が、運転を代わろうとした時、直也が急ブレーキをかけ車は急停止した。

 剛司の顔にビールがかかり、「何やってんねん!」と彼が怒鳴った。

「ちゃうねん。ゾンビの群がおんねん!」

 直也の叫び声で前を覗き込んだ雅は、「おい! あの二人、襲われてるで!」と叫ぶ。

 彼らの前方には、ゾンビの群から逃げるカップルがいた。

「どうする? 助けるか?」

 登の言葉に、雅が答えた。

「直也! 助けるぞ!」

「でも、どうやって?」オロオロする直也。

 雅はイライラしながら叫んだ。

「アホ! あいつらとゾンビの間に車を横にして、進路を塞ぐんじゃ!」

「あっ、そうか」

 直也は、言われたように車を走らせ、たいまつを持って逃げるカップルとゾンビの間を約七メートルの車体で遮った。

 ドアに一番近かった雅が、ドアを開け「お前ら、早く乗れ!」と叫ぶ。

 カップルは悲愴な顔だったが、雅の顔を見て安堵したように車に乗り込んだ。

「出せ、直也!」

 直也は、雅の声とともにアクセルを踏み込んでいた。



 五人組に助けられた二人は、新婚のカップルだった。男が野村 彬(のむら あきら)と言い、女は妙子(たえこ)と言った。

 二人は、雅たちと同じように、『北海道自由巡りツアー』に参加していたらしい。二人だけの旅を楽しむためにやって来たが、事件に巻き込まれ、借りていた小型のキャンピングカーがガス欠で動かなくなり、やもえず車を捨ててゾンビから逃げていたのだ。

 彼ら二人も、雅たちと同じように死霊病原体にかからずに助かったのは、水道水を飲まなかったからである。


 先ほどの場所から少し離れた所で、登が二人に話しかけた。

「たいまつを持って、あの化け物と戦ったんか?」

「はい。あいつら火を怖がるんです」

「火を?」

 登は意外だという表情をした。

「はい。それにどうやら頭が弱点みたいです」

「頭?」

「無我夢中でたいまつを振り回したら、たまたまゾンビの頭に当たったんです。そしたら、そのゾンビは倒れたまま動かなくなったんです」

「………」

 登だけでなく、他の者全員が無言だった。その沈黙を雅が破った。

「何はともあれ、奴らの急所が分かったんやから、これで奴らと戦う事が出来るで」

「戦うって……」

 彬は、雅の言葉に仰天した。

「戦うって、そんなの無茶ですよ」

「無茶っていうても、戦うしかないやろう」

「でも、奴らは……」

「分かってるわ。でも生き残る為や」

「せやな。それに食料と水も、底を突いてるしな」と登。

「とにかく食料と水。それから武器が必要やな」

 雅の意見に誰もが納得していた。ただ新婚ホヤホヤの二人を除いて……。


 彼らの車は、札幌付近まで来ていた。時刻は深夜二時を過ぎていた。

 彼らは、札幌の街で食料等を調達する予定で車を走らせていた。

「雅。ガソリンがヤバイわ」運転していた直也が声をかける。

 後ろのテーブル席で横になっていた雅は、「どれくらいもつ?」と尋ねた。

「あと、二、三十㎞やと思う」

「札幌まで行けるか?」

「多分、行ける……かな」

「じゃ、予定通りで行う」

 直也と雅は、大きめの声で話していた。

 登と剛司は、運転席の上に設置されている常設のベッドで仮眠し、新婚カップルは、車の一番後ろに常設されているダブルベッドで熟睡していた。

 助手席の光一は、前方を睨み付けるようにして監視していた。

 直也の体力は、不眠不休での運転と極度の恐怖感で限界に達していた。かれこれ、四十時間以上ハンドルを握っているのだ。

「直也。運転代わるぞ」

 助手席の光一は、居眠りをしだした直也に声をかけた。

「いや、大丈夫や」

 直也は、頭を左右に振りながら答えた。

 テーブル席の雅は、テーブルを片づけベッドを作りながら直也に声をかけた。

「直也、光一と代われや」

「いや、大丈夫や」

「ええから、代われって」

「……じゃあ、光一、頼むわ」

 直也は、ゆっくりと車を停め、光一と運転を代わった。

 空いた助手席に雅が座り、直也はテーブルがあった場所のベッドで横になった。五分もしない内に直也は熟睡していた。

 雅は、運転席側に設置されているカーナビを見ながら、自分たちのこれからの行動を考えていた。

「雅。俺ら助かるかね?」

 ハンドルを握っていた光一が、雅に話しかけた。

「ああ、絶対に助かるって……。絶対に……」

 雅は、自分に言い聞かすように答えていた。

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