第64話 職場と織田信長
8月のNHKEテレ「100分de名著」は、司馬遼太郎の『覇王の家』が取り上げられています。第二回の冒頭部分で、司馬遼太郎が織田信長に言及した箇所が取り上げられていました。
――信長は人間というものをその機能性で評価する男だった。
室町時代。人間の値打ちを測る尺度は、多くの場合その出自に求められていました。公家はもちろん、武家であっても、名門、寒門の区別があり、身分の高い家柄に生まれれば、能力の多寡に関わらず高い評価を受ける一方、身分の低い家柄に生まれると、高い能力があっても重く用いられることはありませんでした。
司馬遼太郎は、こういう時代にあって、常識にとらわれない合理的な人材登用を行い、天下統一の覇業まであと一歩にまで近づいた織田信長の慧眼と実行力を褒めているのだと思いますが――。
☆
人を機能性で評価すると、職場がとげとげしくなるから程々にしてほしいんですけどねえ。
いまの職場にきて約一年。いまは現場の仕事なんですが、わたしが以前現場の仕事をしてる時は、もっと……こう……人情味のある職場だったように思うんですよ。
ちょっとズレたことを書くようですが――。
小説を書いてて思うことは、小説を仕事にするって大変なことです。実力本位で、人気のない人は読まれませんし、プロの小説家ではいられません。ちゃんと能力が伴わないと食っていけないのです。
ひるがえってウチの職場がどうかというと、結構、能無しが働いています。ここでいう能無しとは、働きぶりが給料に見合っていないことをいいます。50過ぎのおっちゃんに多いですね(ギクッ‼️)
小説家なら業界から淘汰されていなくなるレベルの人が、かなりのさばっています(汗)これを「悪」と考えるかどうか。
信長なら絶対に「悪」として断罪し、直ちに「解雇」「免職」を言い渡すと思いますし、いまの職場もそんな雰囲気です。
でも、むかしからこんなおっちゃんは、一定の割合でいたんですよ。職場にこういう「お荷物」を抱えていられる余裕があった。
ただ、いまは職場にその余裕がないように感じます。「おっさん辞めろ」「能無し」と、能力の低いおっちゃんを弾劾する空気に満ちていて、職場の人間関係がトゲトゲしているような気がします。
どうしてこうなっちゃったのかということについては、また日を改めて書けたらいいなと思いますが、「100分de名著」を観ながら思わず職場のことを考えてしまったので、エッセイに書きました。
☆
部下に辛く当たることの多かった織田信長は、本能寺で明智光秀の裏切りに遭い、天下統一への道を絶たれました。
人を機能性で評価することの危うさを体現したのもまた、織田信長だったと思うのですがどうですかね?
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