書いて、読んで、七年目
藤光
第1話 わたしは、わたし。
はじめての方も、そうでない方も、こんにちは。藤光です。カクヨムで小説を書いています。ここ数日、暖かい日が続きました。このまま本格的な春がはじまるんですかね。寒い季節が嫌いなわたしは大歓迎です。ぜひ、このまま春になってほしい。春といえば、カクヨム・アニバーサリー・チャンピオンシップ(KAC)2023。なんとかお題に食らいついている状況です。5つ目のお題でやっと4000文字の作品を投稿することができました。あと2つ。いままで以上にがんばりたいです。
さて、このエッセイでは、わたしこと藤光が日々、仕事に追われながらなんとか小説を書く時間を作ろうと悪戦苦闘する様子を書いていこうと思っています。
そこで、さっそくわたしの近況ですが、あいかわらず毎日往復3時間の車通勤を続けています。この半年、通勤時間は、「ラジオを聴く」「テレビを聴く」「映画(DVD)を聴く」のを試してきました。どれもまあ、長所があり短所もあり。最近は、これらに加えて「ポッドキャストを聴く」のをやってます。
iPhoneにSpotifyをインストールして聴いています。わたしが聴いているのは「オーディオブックカフェ」という番組。番組タイトルにあるように、オーディオブックを紹介しているポッドキャスト番組です。
正直、オーディオブックを聴こうとは思わない(サブスク嫌い)のですが、番組内で紹介される本(オーディオブック)とMCふたりの解説には興味があります。MCのふたりは30代後半でわたしよりひと回り以上年下なのですが、その感覚が老境に差し掛かった(!)わたしには新鮮です。
今回のエッセイは、このオーディオブックカフェで取り上げられていたオーディオブックから。下村湖人「論語物語」。下村湖人……? 聞いたことあると思いましたが、Wikipediaで調べて思い出しました。「次郎物語」の作者でした。ま、読んでないんでけどね(苦笑)
わたしが書きたいのは「論語物語」ではなく、「論語」の方です。みなさんご存じ、古代中国の思想家・孔子の言行録です。実家に母親の文庫本があって、子どもの頃読んでました。懐かしい。「論語」のなかに次のような章句があります――。
吾十有五而志干学
三十而立四十而不惑
五十而知天命六十而耳順
七十而従心所欲不踰矩
(わたしは十五歳で学問を志した。
三十歳で学者として独り立ちした。
四十歳で迷うことがなくなった。
五十歳で自分のなすべきことがわかった。
六十歳で人の意見を素直に聞くことができるようになった。
七十歳でしたいことをしても、人の道を踏み外すことがなくなった)
「不惑=40歳」が有名な章句ですが、50過ぎのわたしなら「知命」ということになりますかね。人生の節目節目で「お前はどうなんだい?」と問いかけてくるような章句だと感じてます。50になると天命を知る? いやいや、まったく分かんないですよ、わたしの場合(笑笑
でもですよ、孔子先生にして60歳になるまで人の意見を素直に聞くことはできなかったわけです。50過ぎて、カクヨムの☆やハートに一喜一憂してしまう自分もそれで仕方がないと許せてしまうように感じますね。孔子ですらこうなんですから、一凡夫たるわたしごとき、仕方ないですよね!
……。
第一回のエッセイなのに、カタいはいり方をしてしまった。
いつもはもっとつまんない愚痴とか書いてますし、もっと仕事やカクヨムの愚痴を書きたいです。つまらないけど、おもしろいこともあるエッセイを目指して書きていきますので、今後もよろしくお願いします~。
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