第18話『ギャラリーフェイク』

 本の発売は十月だったが、一足先の九月に献本が届いた。配るような人はいないからと打ち合わせの際に断っていたが、あったほうがいいと内藤に押し切られた三十冊。

 どうしよう……秘密裏に刊行したから、家族には送れないし……。


 考えあぐねいた末、年賀状を引っ張り出して僕の友達、僕を知る妻の友達、車掌時代の師匠と弟子をピックアップした。

 それでも、三十冊には届かない。

 絶版になったら、図書館に寄贈しようか。それも前の会社の沿線で、表紙に電車が描かれているから目に留まってくれるだろう。


 乗務員の仕事や職場の雰囲気、東日本大震災での取り扱いが綴られているから、電車が好きな人にも楽しんでもらえるようにはしたが、物語のメインは僕たち夫婦のつらい経験だ。また、前の会社の体質を告発しているようにも捉えられる。

 これを読んだ人たちは何を捉えて、どう読み解くのだろう。


 いいや、とりあえず送ろう。手紙を添えて、妻を永遠のものにしたのだと。これから刊行する本の、絶版になったときを考えても仕方ない。まだ時間はあるのだから、残った本の処遇についてはゆっくり考えよう。

 本の送り方をネットで調べ、そのとおりに封筒に入れて郵便局へと持って行った。


 それからすぐ、妻の友達から苦い感謝が綴られた手紙が届いた。本という永遠の生命を与えても、妻が生命を絶った真実は変わらない。

 僕の行動は、間違っていたのだろうか。本の中に閉じ込めたのは、結局僕のエゴだったのか。

 そう迷っている僕のもとへ、旧知の後輩から連絡が入った。


[ありがとうございます! 一気に読みました!]


 本を送っておきながら、本を読むイメージがない彼だったから、驚異的な速読に僕はちょっと驚いてしまった。

 彼は駅アルバイト時代の後輩で、白井という。僕にとってはじめての「弟子」である。


 僕の内定とほぼ同時に、お試しで受けた鉄道会社から内定をもらい、電気の現場で働いている。会社は違うが僕よりも遥かに出世しており、普通は肩を並べられない。

 仕事を教えたのは三勤務だけだが、白井にとってもはじめての「師匠」だからと十五、六年経った今も変わらず慕ってくれる。妻の葬儀にも、暮らしている千葉から神奈川まで駆けつけて来てくれた。


[重くて暗い話ばかりだから、読むの大変だったでしょう?]

 そう返信すると居ても立ってもいられなくなったのか、すぐさま電話がかかってきた。葬儀のお礼も改めて伝えたいので、僕は電話を取ることにした。


「久しぶり、遠くから葬儀に来てくれてありがとうございました」

『いえいえ! 電車で一本ですから。それに、ときどき来ている場所ですし』

 白井が言ったように、前の会社と彼の会社は直通運転をしている。同じ電車が同じシステムで走っているから、違う会社同士でも話が噛み合った。


 続いて口を開いたのは、エネルギッシュな白井のほうだった。

『出版おめでとうございます。感想をお伝えしたいんですけど、うまく文章に出来なくて。直接お話ししたいんですけど、いいですか?』

 それはつまり、一緒に呑もうという誘いだった。僕は下戸で、白井はザルの底なし。それでも彼との時間は楽しくて、断る理由などどこにもなかった。


 何より、生きた感想に魅了された。


「是非、聞かせてください」

『じゃあ、どこにします? そっちに出ても構いませんよ?』

神奈川こっちに来てくれたから、今度は千葉そっちのほうでも出向くよ? どこか、いいところある?」

『うちのほうはニュータウンで、家ばっかりでパッとしないんですよねぇ。どこにでもあるファミレスで呑んでいます』


 彼とならば正直どこでもよかったが、白井の苦悶は僕にとってのチャンスだった。密かに行きたいと願っていたが、機会に恵まれない場所があったからだ。


「立石って、行ったことある?」

『上司と何度か。いいですね、立石にしますか!?』

「決まりだ、勤務表はあとで送るよ」

『俺も送ります。ああ、でも日程はこっちで決めていいですか? 急な呼び出しがないところにしますんで』


 鉄道を技術で支える仕事だから、代わりがおらず突発で呼ばれることが多いようだ。一緒に飲み歩いていても、会社からの電話に指示を飛ばしたことが多々あった。


 それじゃあ、と電話を切って勤務表をチャットに貼りつける。少しだけの間を置いて、この日でいいですか? と打診された。彼のほうが忙しいのだ、こちらの勤務も配慮してもらえている、断る理由はひとつもない。


 古くから続く大規模アーケード商店街、再開発が取り沙汰される東京葛飾立石は、僕には違った印象に映っていた。

 行ったことはない、細野不二彦先生『ギャラリーフェイク』で見ただけだったが、パリのパサージュに似ている、と。


 そんな洒落たものじゃない、古いだけだと言われそうだが、モンマルトルは貧乏画家の巣窟だったのだから、下町レトロな立石が日本のパサージュでもいいじゃないか。

 行ってみなければ、わからない。行くぞ、ドラマが溢れるアーケード、日本のパサージュへ。


 僕の本が刊行されて、まだ問屋で行く末を占っている十月初旬。僕は生きた感想を聞くために、電車に乗って立石へと向かった。

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