太刀掛くんと各務原さん

シンカー・ワン

突然の夏、ふたりの始まり

 夏休みを数日後に控えた放課後の教室、まだ多くの生徒が残っている語らいの場で、それは突然始まった。

各務原かがみはら、夏休みに入ったら、俺と海に行かないか?」

 朗々とした声が教室に響く。

 声の送り主は、その声質に相応しい長身の偉丈夫。

 さっぱりとした黒の短髪に、きりりと太い眉。がっちりとしたあごに太い首、適度に鍛えられていることが制服の上からもわかるたくましい肉体。

 清潔感溢れる整えられた身なりと、きれいな立ち姿に、おそらく十人中八人は好印象を持つことが間違いないだろう男子だ。

「なぜ、私となのかな? 太刀掛たちかけくん」

 ざわつく教室の中、声をかけられた側、各務原と呼ばれた少女が、いぶかしげに答える。

 意志の強そうな瞳とすっと通った鼻梁、桜色の唇をした、なかなかの美少女だ。

 高い位置で結われたポニーテールが背にかかる辺りで揺れる。

 太刀掛には及ばないが女子としては長身で、ふたり並ぶとバランスよさげである。

「私たちそんなに親しくはない、クラスメイトであるくらいの関係だけど?」

 どこか初めから拒絶の姿勢で構え、詰問する各務原。

 突き放すような声音の問いに、

「各務原のけしからん肉体を、これでもかってほどに、間近で見たいからだっ」

 太刀掛、悪びもせずに言い放つ。

 再びざわつく教室。

 男子はその蛮勇に慄き、女子は侮蔑の入ったまなざしを向ける。

 反射的におのが肉体を人目から隠すかのように腕を回し、顔を紅くしながら強い視線を向ける各務原。

 しかし太刀掛、そのまなざしに臆することなく言葉をつづける。

「この高校に入学した時から各務原には惹かれていた。暴力的なまでの肉体に目を奪われていた。体育や部活の際、浮かび上がる身体のラインに何度釘付けになったことかっ」

 最低サイッテーだコイツと、女子の視線が更に厳しくなり、バカもう止めとけよと、男子が憐憫のまなざしを送る。

「どんな下着を着ければそうなるのか、揺れることなく突き出したまま風を切り裂いていく胸、汗で張り付いたウェアが浮かび上がらせる腰のくびれ、色気も何もないハーフパンツすら艶めかしく魅せてしまう尻のライン、張り艶文句のない健康的な脚っ」

 ちょっと陶酔気味に、朗々とした声でノリノリで語る太刀掛。

 一方の各務原は、この公然セクハラに憤死寸前。

「そんな各務原の肉体を、下品なくらい扇情的な水着で包み、照りつける真夏の太陽の下、誰に咎められることなく心行くまで、上から下まで隅々たっぷりと、嘗め回すように見つめたいっ」

 もう何言ってんだコイツ? ってな具合で軽蔑を通り越し、ハッキリと痛い奴を見るような女子たちと、あーぁ言っちゃったよ、どうすんのこの先? と引きつった顔をする男子一同。

 いい加減誰か止めろよと思うが、この先どう展開するのか、怖いもの見たさのクラスメイトたちである。

 これが若さかっ……! あぁ、刻の涙が見える。

 自分の身体が性的に見られていることはよく理解している各務原であるが、ここまであからさまに、面と向かって言われたことはない。

 羞恥からうっすらと涙を浮かべながらも、なにか不思議な感覚が、胸の奥で疼きだしているのを感じていた。

 "なんだろう、このトキメキ……?"

 自身の内面に戸惑う各務原はさておいて、太刀掛の告白は続く。

「品行方正で、勉学に励み、友愛に厚く、教師たちから信頼され、小さき者に優しく、先達に学ぶ姿勢を忘れない、そんな各務原の生真面目なイメージに不釣り合いなけしからん肉体。そのギャップにいつしか俺は心奪われていたっ」

 あれ、なんか風向きが変わった? クラスメイトたちの頭上に浮かぶ?マーク。

「各務原と出会ってから日に三回は自慰を重ねたが、一向に飽きる事がない。むしろ高まり続ける一方だ。ならばそれ以上をと思いたっての、この誘いっ」

 さらりと危険な発言を織り交ぜ、姿勢を正し、改めて各務原に向き合って太刀掛、

「俺と一緒に海に行かないか? プールよりふたりきりになれる海がいい。そして出来るなら何も身に着けない各務原の素肌を見たいっ触りたいっ」

 大胆不敵に言い切り、一拍置いて、

「叶うなら、男女の深い仲になりたいっ、各務原浜路かがみはらはまじ、返答やいかに?」

 当人に聞こえていないつもりで語られていた、男子と一部の女子たちによる、自分の肉体への淫らな妄想の数々を各務原は知っている。

 同じ質の妄言を正面から浴びせかけられたのも初めてだが、女として、これほどストレートに求められたのも、実は初めての体験であった。

 故に、こころ、揺れる。

 非常識なシチュエーションが、冷静な判断を奪っているのは否めない。

 しかし、己が心に生まれた不思議な感情に名をつけるとしたら、それはやはり、恋慕。

 清廉潔白であれ、と自分に戒めている以上、気持ちに嘘はつきたくない。

 けれど、今すぐに答えを出すのは、惑う、ためらわれる。

 もし、もしも、目の前の破天荒な好漢が、懲りることなく自分を求めてくれたなら?

 早鐘を打つ胸を悟られないようにと、平静を保ったふりをしながら、各務原は答える。

 少しばかり紅潮し、嬉し気な表情を隠しもせず、

「だから、のお誘いを期待していいかしら、太刀掛秀人たちかけひでとくん?」

 挑発的なまなざしで、蠱惑的に微笑みながら、言葉を投げかける。

「望むところだと言わせてもらおう! 次を楽しみにするがいいっ」

 こちらもなぜか自信たっぷりに返す太刀掛。

 その答えに嬉しさを隠そうともしないで、

「じゃあ、また明日」

 と、再会の挨拶を交わし、軽い足取りで教室を後にする各務原。

 揺れるポニーテールが、楽しそうな子犬のしっぽのように見えたのは幻か?

「おう、また明日っ」

 豪快な笑みで応えて、こちらも楽しげに教室を後にする太刀掛。

 ふたりの去った教室でクラスメイトの皆は思った。

 "お前ら、もう付き合っちまえよ" と。

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