精神科病棟の絵

@nekobatake

精神科病棟の絵

 ぐちゃぐちゃの線が意味を形成していく――


 彼女が握ったペンを紙の上で乱暴に動かす。とても絵を描く動きではない。いや、線を引く動きにすら見えない。

 ペン先で紙をズタズタに引き裂こうとしている。そんな動きだ。

 そもそも、ペンの握り方がおかしい。

 幼児が細いものを手にするときのあれ……あの握り方。

 この場所、精神科病棟には似つかわしいか。


 あるいはそれは、石を削り出している行為に近しいのかもしれない。

 無に何かを積み上げるのではなく、有から意味を見つけ出す。

 そういった類の芸術。

 乱雑に広がった多数のぐちゃぐちゃな黒い線……それらが数え切れないほど重なり合って、やがては絵として形を成す運動の指向性は、確かに積み上げる行為に他ならない。

 だが、それらが無秩序の線による積み重ねによって成されるからこそ、その出力物から意味を見出す行為そのものの意味が浮き彫りにされている。


 それ故に、きっと彼女にとってはこの行為そのものが重要で、その結果完成する絵には興味を持てないのだろう。

 事実、作品を完成させると、彼女は紙を払い除けた。これまでと同じように。

 詰所と病室が隣接しているとはいえ、精神科病棟の特殊ガラス越しだからはっきり見えなかったが……。

 今回の作品は大人びた疲れの表情を浮かべる、幼い少女――

 彼女の深層心理が現出しているのだろうか?

 少なくとも素晴らしい出来に間違いなかった。

 

 疲労したのか、次の紙には移らず、彼女は席を立った。そして、ぐちゃぐちゃな感情も少し落ち着いたようで、机の下に落ちていた紙を拾い上げた。

 しかし、やはりその絵には興味は示さず紙をゴミ箱行きにしてしまう。

 思わず特殊ガラス越しに声をかけそうになったが、何とか堪えた。入院期間を延長されたら最悪だ。


 ――次の医師面談で、ペンの使用許可が出ないか頼んでみよう。


 看護師の情緒が安定するぐらいだ。私も絵でも描いてみるか。

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

精神科病棟の絵 @nekobatake

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ