Occult Ludic Company

れをん

第一章

 世界情勢の悪化から、武器の輸出による経済成長と共に、企業の財閥化が進んだ。武器だけでなく、傭兵も各戦場へと派遣される中、PMC(民間軍事会社)が爆発的に増えた日本。「自分の身は自分で守る」民衆の誰もが当たり前に考える世界となり数十年が経つ。財閥お抱えのPMCが自宅警備や要人警護、ホームセキュリティをするのが一般的となる。また、試験的ではあるが、ナノマシンの普及に伴い、医療技術や産業が著しく発展し始めている。


『ーーナノドラッグの流通により、薬物対策係はーー新興宗教のーー夢の研究の第一人者にお話をーー美術品『限界曲線』がーー』

 無機質なAIアナウンサーの声が右から左に流れる中、マスターはせっせとシェイカーを振る。

「マスター! ニュースの音量下げてよ!」

「んー、その所持品は認められないですねー」

「正気度チェックで〜す」

「ぎゃあ〜! ファンブル!?」

 各テーブルからは、サイコロが振られる音、あーでもないこーでもないと相談する声、歓声に悲鳴なんかも聞こえる。常連達が酒を片手にTRPGを楽しむ。いつもの見慣れた光景だ。

「いやあ平和やなあ……痛た!」

 男の頭に拳骨が飛んでくる。

「平和やなあじゃない! 手伝わんか!」

「手ぇ出す前に口に出してや! ちょっと休んでただけやし、いきなりシバかんでもええやろ!」

「このクソ忙しい時にぼけっと突っ立っているお前が悪いんだろうが!ドリンクとサンドウィッチは3番テーブル!こっちのは5番テーブルに持ってけ!」

 撫で付けられた髪に威厳のある口髭。鍛え上げられた身体で、はち切れんばかりの白いシャツにはシワ一つ無い。胸元には黒の蝶ネクタイが羽を休めている。いつもはバーコートでお上品に着飾っているのだが、客入りの多い今はそんな余裕もなくなっているのだろうか。珍しくサスペンダーでスラックスを吊り下げていることが誰にでもわかる。客の楽しむボードゲームやカードゲームは彼が世界中から集めた趣味の収集品であった。そして、前職を辞め、密かな夢であったボードゲームバーを経営している。バー『ユートピア』の主は名前で呼ばれることは少なく、周りからはただ『マスター』と呼ばれていた。

「俺を警備として店においてんちゃうんか!? ボーイちゃうぞ!」

 口ではそういうものの、注文の品を流れるように持っていく。

「お待たせしました。モスコミュールとサンドウィッチです」

 先ほどの関西弁が消える。声色と所作に黒髪の自然なくせ毛が、よりやわらかい印象を与えた。寝不足なのか、目の下には隈が目立つが、はっきりとした二重に茶色い瞳。やや長いまつ毛は憧れる女性もいるのだろう。柄物のドレスシャツの上にはベスト、紺色のスラックスを着用している。千葉恵吾。胸元には安っぽさを感じさせないバッジが輝いていた。客からすればボーイにしか見えないだろう。

「恵吾く~ん! こっちも早く持ってきて!」

「すぐお持ちしますよ!」

 常連のテーブルにホットチョコレートとスコーンを置き、サラトガクーラーにはライムを添えて提供する。

「恵吾くんも一緒にやろうよ~! 丁度一人帰っちゃったの!」

 ホットチョコレートを注文した少女にゲームに誘われる。スタッフが客の相手をすることはこの店では珍しくはない。ボードゲームやカードゲームを通して、楽しく客とコミュニケーションを取ることが業務内容であるのはこの店ならではの魅力かもしれない。

「そうしたいのは山々なんやけど……」

 店の盛況ぶりがそうは許してくれなさそうだった。

「え~! ひど~い!」

 少女は頬を膨らませて抗議の視線を恵吾に向かって送り続けていたが、いいことを思いついた!という顔して、マスターに大声で話しかけた。

「マスター! 恵吾くんが意地悪してきま~す!」

「恵吾っ! 魔魅子ちゃんをいじめるんじゃねぇっ! 給料いらねぇのかっ!?」

「いやなんもしてへんわっ!」

「何もしてくれないんです~!」

「オーダー落ち着いたから、相手してやれっ!」

「いや、マスター甘すぎやろっ!」

 渋々席に着き、少女に居直る。

「で、何してほしいの?」

「TRPGやろう! 私がキーパーやるから!」

「お安い御用ですよ。お姫様」

 上機嫌でシナリオを選ぶ少女の名は神園魔魅子。上品で目立つドレスにふわりとしたスカートを履いており、どこかクラシックな印象を与える。あどけなさの残る顔つきに、くりくりとした目は周りの目を惹く。つやつやとした長い髪の毛はよく手入れがされており、お嬢様という雰囲気を醸し出している。お酒を飲める年齢らしいが、少女とも大人の淑女ともとれる不思議な印象を持った女性である。からころとよく笑い、表情豊かによく通る声で話す彼女は、客の間でも人気者である。

「いいな~俺も魔魅子ちゃんとゲームしたかったなあ」

「また今度やりましょうね!」

 他のテーブルから羨望の声が聞こえてくる。

「ふっふっふっ。今日こそロストしませんよ!」

「お、山田君も一緒のテーブルか」

 客の中には、長くこの店を利用している山田拓がいた。オリーブのコートをまとい、よく手入れのされた革靴を履き、線の細い印象を受ける青年。

「久しぶりやなあ。仕事落ち着いたん? なんかあちこち出張行ってんのやろ?」

「ええ、まあ。こうしてゆっくりゲームに興じる時を心待ちにしていましたよ」

「拓くんもプレイヤーシートできたら頂戴ね!」

「ええ」

 短時間で済むショートシナリオを少女は選び、恵吾、魔魅子、拓は常連たちとロールプレイを楽しんだ。


「あ~楽しかった!」

「最後の最後に拓がロストして気が気じゃなかったけどな」

 閉店時間が近づくにつれ、店内の喧騒も街へ霧散していた。ほとんどの客が帰り、拓もロストした後、気づかない内に帰っていた。「ではこの辺りで」と言っていたような気がするのだが、いつ帰ったかは定かではない。神出鬼没という印象だ。カウンターには、起きているのか、寝ているのか、うわ言を言いながら座っている客がいるぐらいだった。テーブル席は、恵吾と魔魅子のみが対面している。

「あのさ、恵吾くんにお願いがあるんだけど……」

 ゲームを楽しむ熱から一転して、少女は真剣な顔つきになっていた。

「何?」

「私とデートしてくれない?」

「え……?」

(魔魅子ちゃんとデート? 俺と? そういう好意持たれてたんか? どうしよ……。そういうの最近疎かってんけど。え……?)

 恵吾が半ば混乱しながら何と返事すべきか考えている内に、少女からの追撃が来た。

「お金は払うから」

「お金?」

「うん。前金は……いくらか用意できるんだけど……」

「前金……?」

(デートってお金もらってするもんやっけ? 最近の恋愛ってそういうもんなんか? 「男が出すよ」とかそういうのはやっぱ古いんか? 前金とかいるんや……)

 恵吾の混乱はとどまることを知らない。

「そう、百万円なら用意できるの……」

「百万円っ!?」

「やっぱり、恵吾くんを雇うのには足りないかな……?」

 どこか少女は泣きそうな目で恵吾を見つめていた。

「雇う……あ……仕事か! デートって警備ね! 魔魅子ちゃんの依頼なら格安で聞いちゃうよ! 百万円もいらないよ!」

「ほんとに? 嬉しい! あのね! 日にちはね! 待ち合わせ場所はね! あとね……」

(焦ったあ……デートって警備の隠語か。はやとちりして恥かくとこやったやん。あぶな……)

 恵吾は平静を装いつつ、少女の話を携帯型のデバイスにメモし、連絡先を交換した。

「じゃあ、デートプランは私が考えるね! ドレスコードに気を付けてお洒落してきてね! 約束ね!」

「約束約束~! 俺も楽しみにしてるよ!」

 少女は小躍りしながら扉まで駆けていった。見送るために追いかけた恵吾に背伸びをして囁く。

「言い忘れてたけど、成功報酬は一千万円ね」

「えっ……」

 そのまま黒服の男たちに押しやるように少女は高級そうな車に乗せられ、夜の闇に消えた。恵吾はしばらく店の前で立ち尽くしていた。

「一千万円のデートって……?」

 恵吾のデバイスの通知音が鳴り、百万円が魔魅子から振り込まれたことが無機質な文字で光っていた。

「怖っ。やっぱやめとけばよかったかな?」

 はあっとため息をつきながら、恵吾は電子タバコを起動し、頭の中に浮かんだもやもやとした気持ちを煙と共に吐き捨てた。


 魔魅子に指定された待ち合わせ場所は、百貨店だった。日本は軍需産業の発展と海外貿易の成功により、好景気の波が押し寄せている。特に経済特区となっているこの都市において、財閥同士の経済競争も苛烈であった。中でも、創愛グループ経営の創愛デパートは、若者から年配までが楽しめるよう。商業施設だけでなく、映画館や美術館、博物館などと併設されており、デートスポットとしても有名な場所であった。百貨店直結の駅広場にて、恵吾は暗い紺のスーツに、シックな茶色いネクタイを締めていた。約束の十五分前から何度も時計を確認し、周りをきょろきょろしている。

「サラトガクーラーは?」

 突然後ろから女性の声が聞こえる。

「大人の味……」

「恵吾くんだね! お待たせ~!」 

 恵吾が振り返ると、魔魅子がいた。深紅のドレスに黒いヒールを履き、小さなバッグを持っていた。首元に光る控えめなネックレスのせいか、普段と違うメイクのせいか、いつものあどけない印象が消え、大人の女性という雰囲気を醸し出していた。

「お~、恵吾くん決まってるねえ!」

「ありがとう。魔魅子ちゃんもドレス似合ってるよ。でも、合言葉っている?」

「え~、恵吾くんのお仕事ってこんな感じじゃないの~?」

「ちょっと古典的かなあ。今はデバイスで確認取ったらいいし」

 気の抜けるやり取りをしている内に、恵吾の緊張もほぐれていった。

「まずは、美術館に行こ!それからカフェで休憩して、お買い物に付き合ってね!」

「仰せのままに、お姫様」

「やった~! じゃあ、行こっか!」

 魔魅子は半ば強引に、恵吾の腕をぐいっと引っ張りながら、二人のデート?は始まった。

「これが『限界曲線』かあ。ただのまん丸のボールみたいだねえ」

「芸術って難しいね」

「ここのカフェのパンケーキがすっごくおいしいの! 今ならトッピングサービス中なんだよ!」

「へ~、流石スイーツマスター。情報通やなあ」

「これとこれどっちが似合うと思う? あっ、これもいいよね?」

「ん~、それがいいんちゃう?」

「お~、恵吾くんはこういうのが、好きなんだね~」

「いや、まあ……」

「よし、すみませ~ん! これ全部くださ~い!」

「えっ? 全部買うの? 持とか?」

「ううん、外商の担当さんに家に送ってもらうから、恵吾くんは持たなくていいよ!」

「なるほど……」

 魔魅子の調子に気圧されながらも、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。報酬の額からどんなデートになるのか警戒していたが、特に何事もなく、恵吾は拍子抜けという感じだった。

「ディナーは私が予約してありま~す! なんと、ここの屋上レストランだよ!」

 百貨店に併設された施設のうちの一つに、友愛タワーという展望タワーがあった。この街を一望できる景色の素晴らしさと、一流のシェフを集め、石橋ガイドに三ツ星レストランとして認定されている一流レストランだった。

「よく予約取れたね……。でも、テーブルマナーはちょっと自信ないなあ」

「だいじょ~ぶ! この私におまかせくださ~い! 恵吾くんに恥をかかせません!」

「それは頼もしいね。 では、無知な私めにご指導ご鞭撻の程、宜しくお願いします」

「お任せくださ~い!」

 魔魅子は眼鏡をかけ直す仕草をし、すっかり先生気分になっていた。

「おいし~!」

「流石三ツ星だね」

「でしょ? 恵吾くんと来たかったんだ~」

 魔魅子は上機嫌で食事を口へ運ぶ。見慣れない料理ばかりだったがどれも美味しかった。舌の上の複雑さや繊細さは、料理人の手間や情熱が込められているのだろう。

「デザート楽しみだね~」

「本当に甘いもの好きなんやなあ。まあ、俺も甘党やけど」

「人は甘いものに甘やかされたいんだよ」

「一理あるかもしれへんなあ」

 デザートも綺麗に食べ、二人が落ち着いた際に、会計を頼もうと店員に恵吾は声をかけたのだが、「結構ですよ」と返されてしまった。

「魔魅子ちゃん。支払いどうなってるの?」

「後で請求が来るようにしたの。恵吾くんかっこつけて私の分も出そうとするでしょ?」

「それやと、魔魅子ちゃんに悪いんやけど」

「じゃあ次は恵吾くんが出して! それならいいでしょ?」

「ん~、まあそれやったらいいけど……」

「じゃあ、出ましょうか」

「うん」

 昼の待ち合わせの時間に比べ、すっかり人通りが寂しくなっていた。

「まだ時間あるね~。ちょっと散歩しよっか」

 百貨店の周りはイルミネーションで飾られた園庭が設置されていた。ちらほらとカップルがいたが、二人の歩く道には自然と誰もいなかった。こういう際には、二人の世界になりたいというカップルの暗黙の了解でもあるのだろうか。

「きれいだね~」

「そうだね」

「恵吾くんはさあ、魔法って信じる?」

「魔法? どうかな、見たことないから」

「じゃあさ、本当に魔法があったら何したい?」

「本当に魔法があったら? ん~、どうやろ……? 具体的にこれってのはあんまりないけど……」

「瞬間移動とか透明になるとかは?」

「そういうのも楽しそうやけど……そうやなあ……なんか優しい世界になるとええよなあ」

「優しい世界?」

「うん……なんかさあ理不尽なこととか、もやもやすることとか……なんて言ったらいいんやろ? そういうの嫌やん。やから、そういうのが全部無くなる魔法」

「ふうん。何だか、ロマンチストだね!」

「まあ、よく言われる。けど、ただのかっこつけやで」

「ふふっ! そう言われるとそうかも!」

「まあ今日はエスコートしてもらってたから、そんなにかっこつかへんかなとは思うけど」

「ううん。楽しかったよ! これ、今日のお礼ね!」

「お礼?」

 魔魅子はどこからかリボンのついた小包を取り出し、恵吾に渡した。

「え? 貰って良いの? 俺なんも用意してへんで?」

「いいから、いいから! 開けてみて!」

「ありがとう」

 恵吾は言われるがままに、丁寧に梱包された包みを開けた。中にはお洒落な小箱が入っており、さらにそれを開けると、

「指輪?」

 横向きのライオンの彫刻が付いた指輪が小箱に収まっていた。ライオンの目にはサファイアなのだろうか? 青い宝石がはまっていた。

「いいの? こんなん貰っちゃって?」

「いいんだよ! 着けてみて!」

 恵吾はとりあえず丁度指輪が通りそうな右手の中指に着けた。

「お~、ぴったりだね~! それ、オーダーメイドして作ってもらったんだよ! ちなみに、右手の中指に指輪を着けると、悪いことから身を守ってくれるんだって!」

「お守りみたいでいいね。ほんまにもらっていいの?」

「うん。それとも、いらない?」

 魔魅子は上目遣いで恵吾を覗き込んでくる。

「いや、そんなわけないやん! ありがとう」

「どういたしまして! 今日は本当にありがとうね!」

「じゃあ、送るよ」

「ありがとう。駅までお願いします!」

 どうしてこの少女は自分にここまで優しくしてくれるのか。全く見当もつかなかった。彼女はただ、ユートピアの常連で、一緒にゲームをしたり、食事を取る程度の接点しかなく、他の客ともその程度のコミュニケーションを取ることはある。しかし、こんな高価な食事やプレゼントまで用意してくれるような心当たりは全くなかった。

「魔魅子ちゃん。報酬の話なんやけど……」

 報酬を受け取ることを断ろうとしたところ、目の前にぞろぞろと黒づくめの連中が現れた。後ろを振り返ると、同じ服装の連中が同じようにこちらに迫ってくる。

「恵吾くん……」

 魔魅子は不安そうに恵吾に体を寄せる。

「お前らなんやっ!? どこのもんやっ!?」

 恵吾は、正面に立ち、一人だけ覆面を着けた男に問う。

「我々の素性を明かすことはできませんが、その方をお迎えに来たのですよ。」

「はぁ? 何言うとんねん! 今この子から駅まで送ってくれって言われたとこやっちゅうねん! あほか!」

「誰か~! 助けてくださ~い!」

「無駄ですよ。人払いは済んであります。我々も事を荒立てる気はないのです。こちらへ」

「何がやねんお前らやる気満々やんけっ!」

 恵吾は左腕に着けているデバイスを起動させた。青白い光が放たれ、全身を包んでいく。

「はあ、仕方ありませんね。お前たち、行くぞ! 男は、どうなってもかまわんが、その方は怪我をさせるな!」

「了解!」

 正面の男たちが駆けだしてくる。手には警棒のような武器を持ち、恵吾に殴りかかってきた。

「魔魅子ちゃんはそっちに隠れてっ! お前ら、デートの邪魔をした罪は重いで!」

 恵吾は男たちの攻撃をかわし、一人にカウンターで拳を入れた。顎を正確に撃ち抜かれた男はその場に崩れ去った。後ろから組みかかろうとした男には肘撃ちを、横から飛びかかってきた男には回し蹴りを入れた。次々と襲い掛かる男たちの攻撃を避けては反撃し、地面には倒れた人で道が埋まっていく。少しずつ男たちの包囲が減ってきた。

「攻撃が当たらない?」

「俺は目がいいねん! 羨ましいやろ!?」

「ふんっ。発砲を許可する」

 男たちは拳銃を取り出した。

「それは反則やろっ!」

 恵吾の慌てた叫びを無視し、男たちは一斉に恵吾に発砲した。けたたましい銃声が落ち着いた頃に、誰かが呟いた。

「やったか……?」

「いや、それは死亡フラグやろ」

 恵吾は無傷で立っていた。のを、確認した瞬間に消えていた。

「ぐぁっ」

 次の瞬間には漏れ出るような悲鳴と共に、拳銃を撃った一人が、蹴り飛ばされていた。

「速すぎる……。身体強化か」

 覆面の男が呟いた。

「そう言う事」

 恵吾は不敵に笑い、全身に纏っている光が一層強くなった。周囲の人間はどんどん倒れていく。

「ナノマシンによる身体強化。しかし、これ程負荷をかけて身体が無事とは」

 覆面の男は冷静に恵吾を観察していた。青白い光はナノマシンの放つ光だった。普段は腕に着けたデバイスに収納されており、使用時にデバイスから取り出して使う。昨今医療用にナノマシンを使われることは、一般的なことだが、恵吾のように身体強化のために使われるのは、民間人には一般的ではなかった。青白い大きな筋が右に左に動き、襲撃者をあっという間に倒していく。

「魔魅子ちゃん! こっちやで!」

 恵吾の奮闘により、道が開けた。恵吾はイルミネーションの陰に隠れていた魔魅子の手を引き、抱きかかえ、お姫様抱っこの形で脱出を図った。

「待てっ!」

 襲撃者達は恵吾の駆けだした方へ銃を放つが当たらない。

「銃をしまいなさい。彼には当たらないし、あの方に何かあっては大事だ。私が行きます。」

「はい……」

 男もデバイスを起動し、金の光を身に纏った。駆けだしたと同時に恵吾の駆けだした方へ金の筋が光線のように飛んで行った。


「げほっ、げほっ、はあっ……はあっ……この辺まで来たら……もう……大丈夫やろ……しんど……」 

 恵吾は百貨店の敷地を抜け出し、雑居ビル群の中の屋上へ逃げた。限界まで走ったのか、大の字になって寝転がり、咳き込んだりしながらも、息を整えていた。

「ふふふっ!」

「魔魅子ちゃん……どうしたん? 頭おかしなった?」

「ううんっ! なんか怖かったけど、楽しくなっちゃって!」

「いや……全然……楽しく……ないやん……死ぬかと……思ったわ……」

 恵吾は苦しそうに返事をした。

「恵吾くんはやっぱりすっごく強いんだね!」

「まあ……お店の……警備やってるから……鍛えてんねん……」

「今日はありがとう! すっごく楽しかった!」

「俺も……楽しかったよ」

「命の恩人だね! 一千万円送金するね!」

「いや……いらんよ……」

 恵吾は少しずつ息が整ってきたが、まだ普通に返事することは難しそうだった。断っている間に、魔魅子は恵吾のデバイスにお金を送金していた。

「はい! 送金完了! 返金は受け付けません!」

「魔魅子ちゃん……ひどいな……」

 デバイスの通知音が鳴り、恵吾が目をやると、一千万円が振り込まれたことの文字が映っていた。

「きゃぁああっ!」

 恵吾は魔魅子の方を見ると、さっきの覆面男が、金の光を纏い、魔魅子の腕をつかんでいた。

「これ以上煩わせないでください」

「魔魅子ちゃんを離せっ!」

 恵吾は素早くデバイスを起動し、青白い光を纏った。

「無駄ですよ」

 覆面の男に高速移動し、拳を入れるも空を切る。蹴り、肘撃ち、頭突き、恵吾は猛攻を仕掛けるが、男に全く当たらない。

「何で、当たらへんねん!」

「さあ、何故でしょうね?」

 恵吾の方が動く速度が速いように見えるが、男は恵吾の攻撃を軽々と避ける。

「しゃあないな!」

 恵吾は上着で隠れていたホルスターから拳銃を引き抜き男に構える。軍需産業の発展と治安の悪化から、民間人でも、警護を生業とする者なら、銃の所持が認められていた。

「よ~く狙って当てるんですよ?」

「誰に言うとんねんっ!」

 何発かの銃声が放たれ、銃弾は男の身体を撃ちぬいた。

「やったったわっ!」

「どこを撃っているんですか? それに、その言葉は死亡フラグなのでしょう?」

 後ろから覆面の男の声が聞こえる。驚いて振り向くと同時にこめかみを殴られ、恵吾はその場に倒れた。

「お前……何で……?」

「さあ、なんででしょうね?」

 二発の大きな音が鳴る。

「ぐぁっ!」

 恵吾の悲痛な叫びが響く。両足を銃で撃たれたようだ。

「恵吾くんっ!」

「お前……絶対許さへんからな……」

「許してもらわなくても結構ですよ。できれば、もう会いたくないものですね」

「恵吾くんっ! 恵吾くんっ! 着いていくから! お願いだから! 恵吾くんにはこれ以上危害を加えないで!」

 魔魅子は取り乱している。いつものような、余裕のある笑みが消え、一心不乱に男に懇願している。

「いいでしょう。最初から事を荒立てる気はないと言っていましたしね」

「くそ……」

(魔魅子ちゃん……ごめん……)

 覆面の男が真美子を連れ去り歩いていく。恵吾の意識は男の後ろ姿を最後に、途絶えてしまった。


 恵吾が目を覚ますと、すっかり明るくなっていた。こめかみが鈍く痛い。両足の銃創は、幸い大きな血管を避けていたようで、大量出血による死の危険はなさそうだった。

(とはいえ、歩かれへんし、血流しすぎやな……)

 恵吾はデバイスを起動し、登録してある連絡先一覧を開いた。

「もしもし……? 回収頼むわ……撃たれて動けへんねん……場所は……」


「おいっ! おいっ! 千葉っ!」

「ん……つなか……」

 恵吾は、再び眠ってしまっていたようで、地面の血も乾いていた。

「応急処置して運ぶから、もうちょい待ってくれ」

「ありがとう……」

 「つな」と呼ばれた回収屋は、綿奈部綱吉(わたなべつなよし)。バーの常連の一人でもある。彼は回収屋といっても、普段は運転手や運転代行をしている。しかし、依頼があれば、逃走ルートの手配や、逃走先で必要なものの調達なんかも請け負っていた。趣味はものづくりと発明らしい。その為か、暗い紫色のつなぎと呼ばれるような作業服を着ており、胸元をはだけさせている。前髪がやや長く、顔の右半分は隠れており、左半分の髪は、ピアスの光る耳にかけていた。工具箱から、応急キットを取り出し、止血バンドと医療ナノマシンで応急処置を進める。切れ長の目にはスマートコンタクトを装着しており、表情は真剣そのものだった。

「はあ、これでよし。歩けるか?」

「ナノマシンエネルギー切れやし、流石に両足撃たれたら無理」

「じゃあ、運ぶか。これに寝ろ」

 綱吉はタイヤのついた診療台のようなものを、恵吾の側へ運んだ。

「これで屋上からどうやって降りるん?」

「俺の発明品を信じろ」

 恵吾は診療台のようなものの上に乗り、寝転がった。

「運んでええで」

「念のため、ベルトで固定しておくぞ……。よし、電源オン!」

 綱吉がラジコンのリモコンのようなデバイスを操作すると、大きな稼働音とともに、診療台が浮き始めた。

「お~、すごっ! これやったら、階段とかでも大丈夫そうやな!」

「よし、じゃあ真理愛のところに運ぶぞ」

「任せた!」

 再び綱吉が、デバイスを操作すると稼働音が更に大きくなり、階段の方へと動いた。しかし、そのスピードが問題である。恵吾の想像していた十倍の速度で台が動いた。

「いやいやいや! あかん! ぶつかるって!」

「やばいっ!」

 階段の壁にぶつかりそうになったところで、デバイスの操作が間に合い、台が空中で制止する。

「すまん。出力を最大にしたままだった」

「つなは、俺に止め刺しにきたんか!?」

「許してくれ。もう、大丈夫だから」

「信用ならんなほんま」

 その後の綱吉の操作は問題なく、無事に武揚の乗ってきたワゴンに運び込まれた。

「真理愛ちゃんのとこまでどんぐらい?」

「30分あれば着く」

「そっか、じゃあ安全運転で頼むわ」

「あいよ」


「じゃあ、カルシウム出しておきますので、改善が見られなかったらまた教えてください。あと、水はしっかり飲むこと! いいですね? では、次の方~」

「は~い」

 診療台のようなものに寝かされたまま恵吾が入ってきた。

「千葉さん! どうしたんですか!?」

「真理愛ちゃん久しぶり~。ちょっと怪我しちゃって」

「ちょっとじゃないですよ! 両足撃たれたんですか? すぐに診ます!」

 恵吾は、個人経営の診療所に運ばれていた。ピンクの装飾が目立つが、高級感のある診療室。普段は美容目的のマッサージや整形外科などを行っているが、彼女は知る人ぞ知る名医だ。胸元には彼女の顔写真とアヴェ・真理愛(まりあ)と書かれた名札が提げられている。髪は邪魔にならないように、束ねられているが、普段は金髪の縦巻きロールでグラデーションがかったピンク色の髪を腰まで伸ばしている。

「マロン! 消毒したら、麻酔と縫合の準備! あと一応輸血もできるように!」

「カシコマリマシタ」

 マロンと呼ばれたのは医療アンドロイドだ。看護師を雇っていない真理愛のアシスタントを務めている。

「じゃあ、あとはよろしく……」

 恵吾は部分麻酔にも関わらず、そのまま眠ってしまった。


 目が覚めると、ベッドに寝かされていた。

「チバサン、オメザメデスカ?」

「マロンか、なんか寝てばっかやな。真理愛ちゃんは?」

「タダイマ、サイゴノカンジャサマヲシンリョウシテオリマス。モウシバラクデモドラレマス」

「そっか、つなは?」

「マチアイシツデオマチデス。オヨビシマショウカ?」

「うん、呼んでもらっていい?」

「カシコマリマシタ」

 数分後、綱吉と真理愛を連れてマロンは戻ってきた。

「違和感はございませんか?」

「全く。流石真理愛ちゃん。おかげですぐにでも歩けそう」

「そうですか。でも、まだ傷口が塞がっていないのでやめてくださいね?」

 真理愛は起き上がろうとする恵吾を押さえつけ、ベッドに寝かせた。

「はいはい」

「で、何があった? 千葉が怪我するなんていつぶりだ?」

 綱吉は神妙な顔で恵吾に聞いた。

「魔魅子ちゃんとデートしてたら怪しい奴らに囲まれちゃってさあ。」

「はあっ!? 魔魅子とデート!?」

「いや、そこかい。依頼されてん。前金もくれた」

「お金払ってデート? 妙な話だな」

「俺もそう思うけど」

「で、囲まれてぼこぼこにされたのか?」

「いや、囲んだのをぼこぼこにしたんやけど。キリがないから、魔魅子ちゃんと逃げて、あの屋上で隠れとったんやけど、覆面被ったやつが追い付いてきて、そいつにやられた。なんか、触れもせんかったわ」

「千葉さんがですか?」

 恵吾の戦闘能力の高さを綱吉も真理愛も知っていた。二人ともバーの常連で、バーでいざこざがあったり、酔った客が暴れたりしても、恵吾が収めていた。ナノマシンによる身体強化。一般人相手には怪我をしているところなど、見たことがなかったし、触れもしないなど、想像もつかなかった。

「うん。何されたんかも、いまいち分かってないねん」

「魔魅子はいなかったが?」

「そいつに……攫われちゃって」

「お前がいたのにか!?」

 綱吉は恵吾の胸倉を掴んで叫んだ。綱吉のデバイスが紫色に光っていた。

「ごめん……」

「つなさん。私の患者です。おやめください」

「でも、魔魅子が攫われたんだぞ!?」

「それとも、あなたも患者になりますか?」

 真理愛の口調が鋭くなり、デバイスがピンク色に光る。

「悪かった」

「わかればいいです」

 綱吉が手を離し、二人のデバイスから光が消えた。

「いや……まあ、もともとは俺が悪いんやけど」

「起こってしまったことは仕方ないじゃないですか」

「うん……」

「魔魅子の行方は人探しのプロに依頼してある」

「そうなんや」

「それも含めて、今日の料金しっかり払ってもらうからな」

「すみませんが、治療費もいただきますね」

「勿論払うよ。なんぼ?」

「お代なのですが、お金じゃなくてもいいですか?」

「どういうこと?」

「実は、恵吾さんに頼もうと思っていたことがあるんです」

「頼みたいこと?」

「ああ、前に言っていた?」

「いや、俺はなんも聞いてへんで」

「実は、私、アパートの管理人をやってまして」

「不労所得万歳!」

 綱吉が茶化した。

「それで、そのアパートに住んでいる方から苦情が来るのです」

「苦情?」

「はい、夜になると、変な声が聞こえると」

「そのアパートにカップルは?」

「いませんが、そういう話ではなくって、近所から聞こえると仰るのです。なんだか、うめき声の様で怖いと」

「うめき声? 毎晩?」

「毎晩ではないそうなのですが……ちょっと原因を調べていただけませんか? 警察に相談しようにも、今のところ実害がないので、巡回を増やしますと言われるばかりで」

「おばけやったら怖いなあ」

「原因がわかれば、今回のお代は結構ですので」

「俺もそのアパートには一部出資しているから、変な噂が立って、住人が居なくなると困る。不労所得万歳だ」

「まあ、出資といっても1%ほどですけどね」

「いや、少な」

「そういうわけで、魔魅子の手掛かりがすぐに見つかるとも限らないし、俺も手伝ってやる」

「ん~、わかった。できる限りの事は調べてみよか」

「ありがとうございます!」


 数日後、恵吾と綱吉はアパートのある地域へと赴いていた。適当に昼食を済ませた後、アパートのロビーへ入る。

「真理愛ちゃんのおかげで、すっかり歩けるわ。とりあえず、住んでる人に聞き込みしよか。つな、ピンポン頼むわ」

「頼んだ」

「しゃあないな」

 オートロックの物件だったので、勝手に入ることはできない。恵吾は適当な部屋番号のインターフォンを鳴らしてみた。

「まあ、営業かなんかやと思って、怪しいし出えへんか」

 他の部屋番号を入力し、インターフォンを鳴らす。

「はい、どちら様?」

「すみません。管理人さんからの依頼で、夜に聞こえる声について調べてるんですけど」

「あ~、あれか……探偵さんかなんかかね?」

「まあ、そんなところです」

「お入りなさい」

 通してくれたのは、このアパートの一階に住む年配の男性だった。

「お茶まですみません」

「いや、いいんじゃ。不気味な声についてだったのう」

「ええ、夜に聞こえるとか。今も聞こえるんですか?」

「うむ、昨日も聞こえたのう」

「昨日も?うめき声みたいな声だと伺いましたが」

「そうじゃ、うーと低い声かの」

「気のせいではないですよね?」

「気のせいではないだろうのう。声が聞こえる日は、様子見の為か、外を覗く者もおるようじゃ」

「他の住民にも聞こえているということですね。外を覗くということは、外から聞こえるんですか?」

「どこからともなく。じゃが、裏の林の方かのう。ちょうど、散歩のコースになるような道があるんじゃ」

「林、確かに裏手は緑が生い茂っていましたね」

「夏は蚊が多くての」

「そうですか。野犬とかでは?」

「野犬でもないだろうのう。何年か住んでおるが、緑が多いと言っても、動物はあまり見かけん」

「つなは気になることは?」

「んあ?」

「なんも聞いてへんかったんかい」

「いや、そこの神棚?が気になって。あまり見かけないですね」

 綱吉の視線の先には、神棚のような仏壇のような豪華な祭壇があった。

「あ~、儂は友愛の会に参加しておってのう」

「最近よく聞きますね。宗教ですか?」

「年寄りになると暇でな。じいさん仲間と暇つぶしに話を聞きに行くのじゃ」

「まあ、何を信じるのも自由ですね。うなり声とは関係ないか。すみませんね。お暇します」

「いやいや、不気味なのでな。早く何とかなればいいんじゃが」

「できる限りのことはしますよ」

「そうかそうか。じゃあの」

 二人はアパート裏手の林を散策することにした。

「しかし、何もないぞ?」

「まあ、林道ってだけやな」

「待て、あれは?」

「病院?」

 林道を進んだ先に、大きめの病院が見えた。

『創愛グループ 総合医療センター』

「ここは、裏口のようだな」

「あれ?ここって、こんな道広いとことつながってるんや」

「そのようだな。だが、閉鎖?いや移転のお知らせか」

 病院の敷地はフェンスで囲まれ、出入り口には、移転のお知らせと書かれた看板が立てられていた。

「創愛のとこの系列病院か、確かに最近おっきいのが国道沿いにできとったな」

「ここからの移転のようだな。」

「入ってみる?」

「廃病院か。不法侵入だろ?」

「やば、人来た。やっぱ、真理愛ちゃんと夜になってから来よか」

「確かに、声は夜にしか聞こえないらしいしな」

「じゃあ、そうしよ」


  二人は真理愛に連絡し、真理愛が来るまで喫茶店で暇を潰すことした。

「なんか魔魅子ちゃんのことわからんの?」

 恵吾はデバイスでSNSアプリを開き、とりとめのない情報を眺めながら口にした。様々な情報を独り言のようにささやくアプリをみているらしい。日記のように使う者や、イベントの情報、ニュースの所感、企業の広告など、雑多な情報が日々ささやかれている。

「まだ連絡は来てないな」

 何本目になるかわからない紙巻タバコに火をつけ、煙を吐きながら綱吉は答えた。

「くさっ、そいつ信用できんの?」

 恵吾は自身もタバコを吸うくせに、他人のタバコの煙は嫌がるらしい。

「ふう……火をつけるタバコは肺に沁み入るな。信用できるかどうかは聞かないでほしいが、探偵としての腕は確かだ」

「ふ~ん、そうなんや。大丈夫かなあ。心配やなあ」

「まあ、今できることはないだろう?」

「いやそうやけど……ん? なんやこれ? 一千万円ってバズワードやって」

 話半分に聞きながら、デバイスの中で気になる発言を見かける。

「一千万円あれば、風俗行き放題だな」

「いや、勝手に行ったらええけど……はぁっ!? これ見て!」

 恵吾はデバイスの画面を綱吉に向ける。そこには、この少女を見つけたものには、協力金一千万円提供。という内容が映し出されていた。

「魔魅子か!? 誰がこんな大金を……? 創愛司沙(そうあいつかさ)……創愛グループの総裁!?」

 先日、魔魅子と訪れた百貨店も創愛グループ直営の百貨店だった。創愛グループは、この街に集う三大財閥のうちの一つだ。もとは医療事業で成功し、様々な分野で成功を収め、日本を代表する巨大企業となっていた。

「なんでこんな金出すねん……?」

 恵吾は詳細欄を開き、目を通した。

「えっと、神園魔魅子は私の血縁者だが、先日から行方不明。有力な情報を提供したものには情報提供料をお渡しします。連れてきてくだされば、一千万円協力金として渡します!? 魔魅子ちゃんって創愛グループの関係者やったんか! えらい金持ってんなあとは思ってたけど」

「おいっ! 千葉これも見ろ」

 綱吉は恵吾にデバイスの画面を見せた。

「賞金首一覧? 犯罪者とか、恨まれてるやつらか。警察に任せとけよそんなん。え~っと……写真の女を、見つけた方には、一千万円!? しかも、この画像魔魅子ちゃんやん!」

「依頼主を見てみろ」

「依頼主は……シールドセキュリティって……」

「そう、表向きはVIP向け要人警護サービスとして、大きく成長している企業だが、柊木会がバックについてるって話だ」

 柊木会は、恵吾の住んでいる街を拠点とする反社会組織の内の一つだった。

「なんでそんなやつらも魔魅子ちゃんを?」

「さあなあ。お前何か変なことに巻き込まれてるんじゃないか?」

「いらんわそんなん。」

 そうこう話している内に、デバイスの通知音が鳴った。

「真理愛がもうすぐ着くそうだ」

「じゃあそろそろ出よか」

 辺りはすっかり暗くなっていた。二人はじゃんけんをし、負けた方が飲食代を払った。

「お気に入りの嬢への差し入れ代が……」


 真理愛が到着し、三人は再び閉鎖された病院へと向かった。

「緊張しますね。おばけが居たら会いたいですね」

「非科学的だな」

「おばけなんかおらんやろ! 見たことないもん!」

 恵吾は少し震えているようだった。

「この辺は警備センサーなさそうやな」

 警備の穴を抜け、敷地内を進む。

「中に入ったら、先ずは事務室か何かを探そう。俺が警備システムを切る」

「つな、そんなんできるん?」

「通信講座で最近覚えた」

「そんなんあるんやったら。俺もゴーストバスターの通信講座受けたいわ」

「おばけが出たら千葉さんにお任せしますね」

「遠慮しとくわ」

 三人は正面の入り口から施設内に入った。中は暗く、デバイスを懐中電灯代わりにしながら進んだ。所々に廃材や使われていたであろう医療機器があり、受付カウンターまで進むのに苦労した。

「受付には監視システムの制御してそうなん、ないんか?」

「患者の診察カードを読み取る装置に書類関係か……見当たらないな。これは案内図だ。三階に職員エリアがあるみたいだな」

「七階建てなのですね。大きい病院ですね」

「地下もあるみたいやで。財閥の系列の総合病院やもんなあ、おっきいよなあ」

「それにしても、件の声など聞こえないが」

「そういえば、その確認のために来たんやった」

「肝試しじゃないんですよ? 原因がわからなかったら、耳をそろえて治療費払ってもらいますからね?」

「わかってます」

 不法侵入して無駄足だったら……と思うと憂鬱な恵吾だったが、何かあることを信じ先へ進むことにした。

「今何か聞こえませんでした?」

「冗談やんな?」

「何も聞こえないが?」

「気のせいでしょうか?」

「そ、そんな盛り上げんでいいんやで?」

「おばけ怖いんですか?」

「いやいや何をおっしゃるやら」

「後ろですっ!」

「ひいっ!」

 恵吾はその場に伏せ、頭を抱えていた。 

「嘘ですよ!」

 ふふふと笑う真理愛だったが、恵吾には冗談になっていなかった。

「おばけなんか見たことないから平気なんじゃなかったのか?」

「記念すべき一回目かと思ったわ」 

 エレベーターの前には大きな廃材があり、使えそうになかった。恵吾は最後尾にまわり、階段から3階に回り、職員エリアへと進んだ。後ろの警備は難しいから任せとけとのことだったが、真意は分からない。

「あそこにパソコンあるで。てか、電気通ってんのか?」

「試してみよう」

 三階の職員エリアにて、綱吉がデスクトップパソコンの電源ボタンに触れると、起動画面に移行した。『IDアカウントとパスワードを入力してください』と画面に表示される。

「電気代払ってるんかな? てか、こんなんわからんよなあ……あっ」

 IDとパスワードの書かれた付箋がキーボードの近くに貼ってあった。

「情報管理どないなってんねん。個人情報流出してんちゃうか」

「セキュリティソフトは……よし、ここでこのUSBを挿して……できたぞ」

 綱吉がUSBデバイスを挿し、数分待ったのちに、警備システムのセンサーがオフになった。

「通信講座の力はあまり使っていないですね」

「最後まで受講すると、このUSBがもらえるんだ」

「俺でもいけるやん」

「これでも高かったんだぞ? どうやら機械警備のみで見回りの警備が来るわけではないようだ。異常も感知されていない」

「病院うろうろしても大丈夫ってことか。でも、こんな広いとこどうする?」

『うー、うー』

「今何か聞こえましたよね?」

「俺にも聞こえた」

「聞こえへんかったことにしたい……」

「どこから聞こえるのでしょう?」

「下か?」

「下のようだな」

「降りましょう」

 三人は階段で一階ずつ降り、声の出所を探した。

「さて、一階まで戻ってきてしまったが」

「病室とか手術室とか入れるとこ色々見てみたけど、誰もいる様子はなかったなあ」

『うー』

「どっから!?」

「下……のようですね」

「まだ下? この下って?」

「地下だな。地下には……倉庫と霊安室があるようだ」

「じゃあ、俺はここ見張っとくわ。逃走経路確保しなあかんしな」

「それは俺がもう考えているから不要だ」

「千葉さんもいきましょうね!」

 真理愛にぐいぐいと背中を押されながら、恵吾を先頭に一行は地下へ降りていく。


 地下は散乱した廃材によって迷路のようになっていた。

「地下やし余計に暗く感じるなあ」

「気のせいですよ」

 通れるところを見つけたり、廃材を動かしながら道を作る。

「お、霊安室だ」

『うー』

「明らかにこっから聞こえるやん」

「では、入りましょうか! 失礼しま〜す!」

「えっ、真理愛ちゃん!? ストップ!」

 恵吾は躊躇無く入ろうとする真理愛を抑える。

「もうちょっと慎重に入らへん?」

「怖いからって時間稼ぎですか?」

「いや、全然怖くはないけど、ほら、TRPGでも聞き耳とか使うやん」

「そうだな、慎重にっていうのには同意する」

「わかりました。じゃあ、千葉さんにお任せします」

「任された! せやな……扉に目星や!」

 恵吾の言葉続き、三人はドアを注意深く見たが、何の変哲もないドアだ。

「馬鹿かお前は!」

 綱吉は思わず恵吾の頭をはたいていた。

「ふざけるのなら一人で入ってもらいますよ!」

 真理愛の目つきも真剣だった。

「冗談やん……」

「冗談言ってる場合か! つられて馬鹿みたいにドアを凝視してしまっただろうが!」

「場の雰囲気を和ませただけやん。じゃあ、中の音聞いてみよか」

 恵吾はドアに顔を近づけ、注意深く聞き耳を立てる。

「あれ? なんも聞こえへんな」

「まあ、入ってみるしかないんじゃないか? 鍵は電子ロックみたいだが、警備システムを解除した時に鍵も開けてあるはずだ」

「では、千葉さんお願いしますね」

「はーい……じゃあ二人はバックアップよろしく〜。ドアブリーチ準備……」

「ドアを破壊するなよ?」

 恵吾はデバイスを起動し、ナノマシンをいつでも使うことができるように準備した。二人もそれに続き、デバイスを起動する。青、紫、桃色の光が通路を満たした。恵吾は指でカウントダウンの合図をした。三本、二本、一本。恵吾はゆっくり扉を開け、一瞬中の様子を確認した後、勢いよくドアを開けた。左、中央、右へと視線を向け、最後にドア裏も確認する。

「クリア。てか、なんもおらん?」

「おばけには会えませんでしたか」

「さっきまで、声は確かに聞こえたはずだが……」

 落ち着いてライトを照らすと、霊安室の正面にはエレベーターが見えた。恐らく遺体を運搬するためのものだろう。他には、蓋に小窓のついた棺、患者用の可動式ベッドや、簡易的な祭壇。左右の壁には、長方形の機械が隙間なく埋め込まれている。何人かの遺体を安置する場合は、この機械が引き出され、その中に遺体を寝かせ、安置するのだろう。大きな病院なので、亡くなる人も多かったのかもしれない。

「へえ、霊安室って名前は聞くけど初めて見たわ。こんな感じなんやなあ」

「病院によって、規模も趣も違いますけどね」

「しかし、何もないのか?」

「うーん……これは?」

 壁に埋め込まれた遺体を安置する装置を、恵吾は見ていた。装置には誰の遺体か分かるように、名札が付いたままだった。『佐藤夏彦』、『橋本美佳子』等、名札にはフルネームで記名されている。しかし、恵吾の目線の先には、『M.K』と書かれた名札が付いていた。

「なんでこれだけイニシャルなんやろ?」

「開けてみるか?」

「バチあたらへん?」

「流石に遺体が保管されたままだとは思いませんけど……」

「つな、頼むわ」

「あいよ」

 綱吉は装置を操作した。壁から装置がゆっくりと引き出されていく。中に遺体は、入っていなかった。

「空のようだな」

「いや、奥になんかある」

「何でしょう?」

 恵吾は奥に見えたものを手に取った。ホッチキスで止められた紙の束だった。

「紙や、『Mについて』? なんやこれ」

「何が書いてあるんですか?」

 恵吾は表紙をめくる。しかし、文章は全て黒塗りで潰されていた。

「なんやこれ、きもちわる」

「何も読めませんね」

「『Mについて』か、『M.K』って人についてってことだよな?」

「そうやろなあ」

「イニシャル……何というお名前の方なのでしょうか……?」

「『松田康介』とかちゃう?」

「誰です? その方」

「この前ユートピアで暴れたあほ」

「そんなわけないだろう」

「適当なことばかり言ってますね」

「関西人やからしゃあないねん」

 三人が話しているといきなり大きな音を立て、霊安室の扉が開いた。


 三人は自分たちが入ってきた扉の方へ振り向いた。そこには人が入ってきていた。病衣を着た女性が俯いて立っている。病院で検査を受けるような装いだ。女性は髪で顔が隠れているため表情は見えない。まあ、ここまでは問題ない。だが様子が明らかに変だ。着ている病衣は血まみれで、肌が異常に青白く、片足がありえない方向に曲がっている。普通の人なら立っていることはできないはずだ。

「うー……うー……」

 病院内で何度か聞いていた声を発しながら、ただ立ち尽くしている。三人は異様な光景から目を離せないでいた。誰かが唾を飲み込む音が聞こえたかもしれない。そんな静寂が突如破られた。その女がうめき声を上げながら三人へ駆け出したのだ。

「うっー!」

「お、おばけや!」

「どちらかといえばゾンビだろう」

「こっちに来ますよ!」

 女ゾンビはあっという間に三人の目前まで迫った。恵吾は突然現れたそれが三人に危害を加えようとしていることを理解し、咄嗟に飛び出した。ゾンビのこちらへ向かってくる力を利用して投げ、ゾンビを地面に叩きつける。そして、すかさず身体を押さえつけようとした。

「うー!うー!」

 ゾンビの力は想像以上に強い。恵吾がなんとか押さえつけようとするが、もがき、暴れていた。今にも振り解かれてしまいそうな勢いだ。

「こいつ力強っ! 何とかして!」

「俺は戦闘向きじゃないんだがな」

 綱吉が銃を構えるように立つと、デバイスが紫色に光る。綱吉の手には紫の光を帯びながら何かが生成されていく。

バシュッ、バシュッ、バシュッーー

 大きな釘が鋭い音を立て、弾丸のように放たれている。綱吉の手には、ナノマシンで構成されたネイルガンが握られていた。ナノマシンは、この様な使い方もできる。

「うー!うー!」

「当たれ!」

 何発か外れた後に、ゾンビの足に当たる。しかし、ゾンビが怯む様子はない。

「くそっ!」

 続け様に足にネイルガンを撃ち、追撃する。

「私に任せてください!」

 真理愛に桃色の後光が差す。真理愛の背後には、メス、鉗子、注射器など、ありとあらゆる医療器具が具現化され、放射状に広がり、宙に浮いている。

「装着! 処置開始!」

 薄桃色の手袋のような光を纏い、真理愛はゾンビに力を込める。

「うー! うー!」

「肩と、股関節を外しました。 流石に動けないはずです」

 ゾンビはうめき声を上げながら動こうともがいているが、もぞもぞとただ上半身がうねっていた。

「ありがとう。真理愛ちゃん」

「あくまで、治療です」

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