夢ならいいのに

桔梗 浬

前編 泥まみれ

「わぁ~い♪」

結衣ゆい!あまりはしゃいでコケるなよ。」


 どうしてもお出かけしたいという娘を連れてあきらは隣街の公園に来ていた。嫁の結花ゆかに、たまには一人の時間も必要だろう?と気を利かせたふりをし、娘の結衣ゆいと二人でここまで来たのだ。


 公園は雨上がりということもあり、人影はない。結衣ゆいはお気に入りのレインブーツを履いて、水たまりを選んでびちゃびちゃ遊んでいる。何が楽しいのかあきらにはさっぱりわからない。


 あきらがなぜこの公園まで来たのか?と言うとゆっくりスマホを使って、会社の後輩の佐々木 心愛ここあとメッセージの交換をしたかったからだ。

 心愛ここあは去年の新入社員であきらとは10以上も年齢が離れている。だが半年前の飲み会で何となく男と女の関係に進展したのだ。

 心愛ここあのような若くてかわいい女性がアラフォーのあきらと本気でこんな関係になるなんて思ってもいなかった。


あきらくん 今週の金曜日お泊りいいよ♥』


 何度読み返してもうれしくて、顔がにやけてしまう。罪悪感がないと言えば嘘になる。この罪悪感がたまらないのかもしれない。それに…、心愛ここあは少し変わった性癖を持っていた。それもあきら心愛ここあに入れ込む理由の一つなのだ。昨夜も…。


「パパ~。見てぇ~。これ拾ったの~。」


 娘の結衣ゆいあきらの思考を現実に引き戻す。結衣ゆいはびちゃびちゃと泥を跳ねさせながら、泥まみれの手で不思議な物体をあきらに差し出した。


「なんだい?」

「う~ん何だろう?パパ分かる~?」


 それは結衣ゆいの両手におさまるくらいの大きさをした、ぐちゃぐちゃにまるめられた紙の塊のようにも見えた。誰かが何かを包んで捨てたんだろう。汚いし気持ち悪い。


結衣ゆい~これはどこにあったの?」

「あそこ。」


 結衣ゆいは遠くを指さす。それはほこらの様でもあり、小さなお墓の様なボロっちいモノだった。


結衣ゆい、そろそろママも心配するだろうから帰ろう。それはポイして。ほら~泥だらけじゃないか…。ママに怒られるぞ。」

「えへへ。」


 結衣ゆいはみつけた塊をポイっと捨て、泥だらけの手であきらの手を掴む。あきらは汚いなっと思いつつ、渋々手を繋ぐ。


 ぐちゃっ。


 いやな音と足の裏に広がるぬちゃ~とした感覚。あきらは何かを踏みつけた。それはさっき結衣ゆいが見つけた塊だった。

 だが、この時のあきらはスマホに残っている心愛ここあの写真に気を取られ、踏みつけた物について興味が持てなかった。もう少し注意をしていたら、せめて元あったところに戻しておきなさい、と言えたなら…。この時のあきらにはそんな余裕はなかったのだ。


- さて…、何て結花ゆかに言い訳をして外泊しようか? さすがに二週連続は勘ぐられて面倒くさいことになるのはごめんだ。


 家に帰ると案の定、結花ゆか結衣ゆいの泥だらけの格好を見て激怒した。早く風呂に入って来て!と直接風呂場に押し出される。風呂場にはすでにお湯が張られていた。こうなることはお見通しだったということか。ならグチグチ言わなくてもいいのに、とも思う。


「私だって疲れてるんだからね。あーもーっ掃除したばっかりなんだから、足拭いてからっ。あー…。」

「すまん。水溜まりが楽しいんだと。」

「もーっ。あなたもお風呂に入って! 何これ? 何か踏んだ? うわっ。くっさい。自分で綺麗にしてよね。私触りたくないからね。」


 結花ゆかは、あきらのスニーカーの泥を取ろうとしたらしいが、靴底にどろっとした塊の一部が付いていた。どうやら結衣ゆいが見つけたぐちゃぐちゃの塊を踏んだらしい、と初めて気づく。


「放っておけば、水分が飛んでポロッと取れるさ。」


 例の気持ち悪い物体を家に招き入れてしまったことに、あきらは気づかない。


 翌日から本当に仕事が忙しくなった。家に帰るのは0時を過ぎるのが通例となり、結衣ゆいの寝顔にしか会えない日が続いた。もちろん夕食はいらないと言っておいたからコンビニ飯とビールという生活だ。

 風呂に入り結花ゆかが寝ているベッドに滑り込む。そんな毎日。


 あの日のスニーカーはまだ泥だらけで玄関に放置されているし、洗濯物は畳まれることなく、ぐちゃぐちゃの状態で山積みにされていた。昔はこんなんじゃなかったのにな。とあきらは思う。子どもができると結花ゆかは母になりあきらを男として扱うことはなくなっていった。キタイナイ何かを見るような目。イラっとする。


 眠れないから心愛ここあの写真を開く。スマホの明かりで結花ゆかが起きないように、背を向け布団の中でこっそりと見るのだ。少年の頃エロ本を隠し読みしていた時のような高揚感。まだまだ男として生きている自信が湧いてくる。俺の心愛ここあ。彼女との楽しい夜を思い描き幸福の中に身を置く。明日が早くくるように祈って。


 金曜日。


『今夜は帰れそうにない。ごめん。仕事終わらない。』(送信)


 終電間際の時間を狙ってメッセージを送る。メッセージは既読になるが結花ゆかからの返事はない。ま、夫婦なんてそんなものなのかもしれないな。なんて気にも留めない。だって今隣には心愛ここあがいるのだから。

 狭いベッドの中で二人とも生まれたままの姿でいられることが幸せだと感じる。ここは居心地がいい。


「ねぇ〜。奥さん大丈夫?」

「あぁ、俺がいてもいなくても同じだよ。それより俺がここにいると彼氏が遊びに来れないんじゃないの?」

あきらくんが彼氏でしょ?」


 心愛ここあは可愛い顔であきらが望むことを言う。あきら心愛ここあの柔らかい身体を抱き寄せ、もう一度キスをする。心愛ここあを幸せにする。そう誓って。


 翌日も、その翌日もあきら心愛ここあの部屋で過ごした。心愛ここあの部屋から会社に出勤もした。家にいる息苦しさより、心愛ここあとの甘い時間を大切にしたかったから。違う…。自分の欲望に逆らえなかっただけだ。心愛ここあとの関係はどんどんエスカレートして、あきらが漫画や雑誌でしか見たことのないような快楽を心愛ここあが与えてくれた。心愛ここああきらにとって麻薬のような存在になっていったのだ。


『しばらく帰れそうにない。ごめん。』(送信)


「ねぇ、そろそろ家に帰った方がいいんじゃない?心愛ここああきらくんと一緒にいられて嬉しいけど…。」

「大丈夫だよ。昨日昼に一旦帰ったし。」

「ふ〜ん。家には帰ってるんだ〜。」


 心愛ここあが妬いている。あきらは嬉しくなって心愛ここあを抱きしめる。服を脱がし心愛ここあをベッドに連れて行く。お姫様抱っこが心愛ここあのお気に入りだ。だから頑張ってお姫様だっこをする。そんな毎日が続いた。

 そしてあきらのスマホには、心愛ここあの乱れた姿の写真が大量に保存されていった。


「ねぇ〜心愛ここあの写真いっぱい撮ったでしょ?見せて〜」

「えっ?見たいの?」

「どんな顔してるのかな〜って思って。悪趣味かな?」

「いや。心愛ここあはどんな時も可愛いよ。でも、他の写真もあるし…。整理してないから、中はぐちゃぐちゃだよ。」

心愛ここあに見て欲しくないものもあるってこと?」

「そんなものはないよ。ただ子どもの写真とかもあるから、その…。」


 それも見たい!と心愛ここあが言うから、あきら心愛ここあにスマホを渡す。整理してあげるね。私得意だから。と心愛ここあは言う。


「ヘェ〜何これ。ウケる。私ってこんな顔するんだね〜。」

「あ、それ。それいいだろ?」

「じゃ〜これ、あきらくんのお気に入りフォルダーに入れるね❤️」


 そんな心愛ここあとのやりとりも楽しかった。あの日が来るまでは。



「山田くん、よろしく頼むよ。」

「はい。では弊社から御社の都市計画について、セキュリティシステムの提案をさせていただきます。」


 あきらは一大プロジェクトのプレゼンを担当していた。この日のために夜遅くまで色々な部署と調整をしてきたのだ。大勢の人が集まる会議室で大きなプロジェクターが用意されている。あきらのプレゼン一つで、何億というプロジェクトが受注できるかが左右される。


 あきらは用意していたプレゼンテーションをモニターに移す。


「早速ではありますが、弊社のセキュリティシステム Jamesジェームズについてご説明させていただきます。」


 出だしは好調だった。誰もがあきらのプレゼンに聞き入っている。よし。これだ!とあきらも成功を確信したその時、会場がざわつきはじめた。あきらの上司も凍りついた目でモニターを見ている。

 な、なんだ?あきらは何か誤植でもあったかと思い、モニターを振り返る。


『ハァ…ハァ…』


 あきら心愛ここあの映像が映し出される。これは心愛ここあの部屋で隠し撮りされた映像? 手も足も固定されたあきらが快楽を貪っている。


「な、なんだ? す、すみません。資料が間違っていたようです。」


 あきらは慌てて次のページを開く。次々と映し出される心愛ここあとの写真。心愛ここあだけじゃない。あきらの見られたくない写真もどんどん映し出される。


「山田くん!モニター切って。ドキュメントを閉じるんだ!」


 上司の声が聞こえる。だがあきらの手は動かない。あきらの手にぐちゃぐちゃの泥まみれのアイツがまとわりついて離れない。やめて、やめてくれ!


「やめてくれーーーーーーーーーっ」


『スキ ナンデショ? ナゼ、ヤメナケレバ ナラナイノ?』


 あきらは、あの泥まみれのぐちゃぐちゃした塊が身体の中に侵入してくる感覚に襲われる。

 あきらはその場に失神した。

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