保留の理由

新 星緒

彼氏の家で

 ぐちゃぐちゃぐちゃ

 ぐちゃぐちゃぐちゃ

 ぐちゃ


 かき混ぜられるカレーとご飯。きれいに分けて盛られていたそれは、お皿の中で渾然一体として汚らしい汚泥のようになっている。


 それをスプーンですくい、口に運ぶ遥斗はると

 彼とは大学二年生のときに付き合い始めて、先週に丸七年を迎えた。


「相変わらず、さくらの作るカレーはうまいな」

 遥斗は相好を崩す。本当に美味しく感じている顔だ。

「ありがと」

 褒められるのは、嬉しい。料理は得意じゃないけど、このカレーだけは自信がある。なぜなら料理上手のお母さんのレシピで作っているから。すごく簡単なのに専門店レベルの美味しさなのだ。


 遥斗も私も実家住まいだから作ってあげる機会はあまりないけれど、それでも遥斗は私のカレーが一番の大好物と言ってくれる。これも、嬉しい。


 ちなみに今いるのは遥斗の家。彼の両親が旅行に行っていて、その間だけお泊りなのだ。もちろん両親公認。


 私は自分のお皿を見る。カレーとご飯がきっちり分かれている。その境界線にスプーンを入れ、すくう。私は――私も家族も、混ぜない派だ。カレーに限らず、料理は出された状態のままきれいに食べる。お皿を無駄に汚さない。だって料理は見た目も大事だよね? 気持ちよく食べたいじゃない。


 汚泥カレーなんて、はっきり言って、ぞっとする。


「でもさ」と遥斗。「なんで返事が保留なんだよ」

 顔を上げるとぐちゃぐちゃカレーライスをスプーンにのせた遥斗と目があった。

「俺との結婚、そんなに迷う?」


 先週の丸七年記念日に、遥斗からプロポーズされた。驚いた。そんな素振りはまったくなかったから。

 私自身は将来を考えたこともあるし、三十にまではとの思いもあった。だからプロポーズはとても嬉しかった。それでも、つい返答を保留にしてしまったのは――。


「遥斗のことはすごく好きなんだよ。一緒にいたいとも思うし、結婚して幸せな家庭を持つイメージもできるんだよね」

「じゃあ、なにがダメなんだよ」

 ちょっとだけ不満そうな遥斗。それはそうだよね。いつまでもぐちぐち悩んでいても解決はしない。


「なにかで読んだの。『食事関係の不一致があるなら結婚はしないほうがいい』って」

「なんだよそれ」

「食事は毎日毎日、死ぬまで続くでしょ? だから些細な不一致でもストレスが溜まって、不和の元になるらしいの」

「……で? 桜は俺のなにがイヤなの?」

「……それ」


 視線でカレーを示す。


「カレー?」

「今まで我慢していたけど、食べる前にぐちゃぐちゃにするのは大嫌いなの。一生我慢できる自信がないくらいに」

「こんなことかよ」と遥斗。


『こんなこと』?

 私にはものすごく重要なことなのに。


「じゃ、もう桜と一緒のときはやらない」

「え?」

「一緒じゃないときは、許せよ。俺はこの食べ方が一番うまいと思っているんだからな」

「……やめてくれるの?」

「当たり前だろ。こんなことで桜と結婚できないなんて、ありえねえよ」


 遥斗が笑う。屈託なく。


「だから、返事は? 俺と結婚してくれるか?」


 ハラハラと涙がこぼれた。自分のこだわりが急に情けないものに感じられる。遥斗は私よりずっと器が大きい。私にはもったいないくらいだ。

 自分のカレーをスプーンでぐちゃぐちゃにかきまわす。


「桜?」


 汚泥なそれを食べる。

「……見た目以外は悪くないかも」

「だろ?」

「こんな私だけど、もらってくれる?」


 見つめあい。それから遥斗も私も笑いあった。




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