皇子と俺

黒鉦サクヤ

皇子と俺

 このぐちゃぐちゃの物体が何か教えてくれ、と皇子がやってきた。渡されたものを見ると、粘着性のある物体で、生きているものなのか、それとも無機物なのかという判別も難しい。黒に近い色をしているが臭いは特にない。


「いったい、今度はどこで見つけてきたんだ」

「皇城の地下だ」


 ふーん、と言いながら俺は謎の物体をながめた。



 一介の魔術師である俺の元を、わざわざ高貴な身分の皇子が訪れた理由は簡単だ。ここには俺一人しかいないため、皇子は他人の目も貴族同士の権力争いも気にせず来れるからだ。もし誰かに見つかったとしても、俺が皇子の幼馴染で、さらに逸れ者で隠居生活を送っていることは広く知られている。


 若いのにお前は馬鹿かと言われるが、権力争いに巻き込まれて死にかけた為、皇子に直談判して塔に篭っているのだからそっとしておいて欲しい。毎日好きな研究を楽しんでいると、こうして皇子がときたま変なものを持ってくるし、隠居生活に不満はない。


 だが、ここへ遊びに来るために、わざと変なものを探してるんじゃないかと心配になる。遊びに来たいならお茶菓子でも持ってただ遊びに来ればいいものを、律儀に何かしら俺が好きそうなものを見つけては持ってくる。こいつは幼馴染の知的好奇心を満たすものを探す、優しい皇子様なのだ。




「どれどれ、ちょっと見てみるか」


 毒物反応らしきものも感じられないし、呪いの類でもなさそうだ。大丈夫だろうと、俺は勢い良くドロッとした物体に手を突っ込んだ。


「あ……」

「やべっ」


 咄嗟に俺の手を掴もうとした皇子の手も、一緒にその中に浸かる。

 二人揃って謎の物体に手を突っ込んだまま、顔を見合わせた。皇子の瞳の中に、俺の顔をした髪の長い女が映っているのが見える。自身の体に生じた違和感に、俺は最悪の想像をしながら近くにあった鏡を眺めた。そこにいたのは、何故か女の姿をした俺だった。瞬時に現れた豊かな胸に、消えてしまった股間のもの。こんなことができるのは、神聖力が溢れる聖遺物くらいだろう。


「あ、本当だったんだ」


 そんな声が隣から聞こえ、俺は皇子を睨みつける。計画的犯行か、この野郎。

 おそらく、城の地下で性転換用の聖遺物を見つけて、嬉しくなって俺に持ってきたに違いない。呪いや毒物にあかるい俺でも、流石に聖遺物との判断と効果までは予測できなかった。

 しかし、なんでそんなものを嬉々としてこいつが持ってきたのか。それは、こいつが何故か俺と結婚したがっているからだ。

 昔からこいつは俺に、キミと結婚できたら色々と楽だし楽しいだろうなー、と言っていた。ゆくゆくは皇帝となる奴が、子も産めない俺なんかを嫁にしてどうするんだと本気にせず袖にしていたのに、ここへ来ての女性化に動揺を隠せない。


「僕が何度言っても本気にしてくれないし、それなら拒む要素を取り除けばいいんだと思って」


 それにイラッとしたら、近くで火花が散った。怒りで魔力が暴走している。この塔を吹き飛ばしたら、体良くこいつに連れ去られてしまう。駄目だ、落ち着こう。

 爽やかな笑顔を向けてくるこいつは、俺に対してもっと先に言うことがあるのではないか。謝罪と何故こうなったのかという状況説明だ。

 当の本人は自分の望んだ結果となりご満悦のようで、すでに脳内で色々と計画を立てている顔をしている。くたばりやがれ。

 しかし、あちこちで小さく爆ぜる火花を見て、皇子はようやく俺の怒りに気づいたらしい。捨てられた子犬のような顔で俺を見てくるが、言うべきことは言わなくては。


「ここに閉じこもるとき、俺がなんて言ったか覚えてるか?」

「権力争いなんて懲り懲りだ?」

「そうだ。それなのに俺をこんな姿にして、その渦中に投げ込むのか?」


 権力争いの最もたるものは結婚だ。今だって皇子との結婚を狙い、貴族どもが自分の娘をとあの手この手を使って送り込もうと醜い戦いを繰り広げているのだ。そんなもの、近くで見ていなくたって分かる。のらりくらりと婚約もせず、俺のあとばっかりついて回るから俺が暗殺されそうになるんだよ、馬鹿め!

 確かに俺も面倒臭がって婚約せずにいたし、結婚も考えていなかった。もし、俺が先に婚約でもしていたら暗殺者を送り込まれることはなかったかもしれない。恐ろしい世界だ。

 そんな感じに同性だった頃でも仲が良すぎると過激派に命を狙われていたのに、聖遺物で女になりましたーってこいつの隣に戻ったらどんなことになるか。想像するだけでも恐ろしい。


「あの頃とは違うよ。よく考えたし、僕が守れるって確信したから迎えに来たんだ。ここに閉じこもって三年も経ったし、情勢も変わったんだよ」


 そんな馬鹿な。たった三年であのハイエナのようだった貴族たちを大人しくさせるだなんて不可能だ。あと、無駄に眩しい皇子スマイルを俺に向けるな。恥ずかしい。


「俺はこの塔と共に生きると決めたから、性別が変わったところで関係ない」


 満面の笑みから顔を背け、小さく呟く。本当にそっとしておいてほしい。たまにこうして話ができるだけでいいのだから。


「そう言うと思ったんだよね。でも、僕のことは嫌いじゃないでしょ?」

「どこからくるんだ、その自信」

「え? だってキミって嫌いな奴が相手だと、視線も向けず話もしないし、塔の中なんて個人的な空間に入らせないでしょ?」


 この中に入れるのは僕だけって聞いたよ、と良い笑顔で言う。

 そう、確かにそうなんだが。

 両親と兄にも入ってくるなと出禁にした。このまま引きこもりになるから、籍からも抜いといてくれと言った。兄がいるし、俺がいなくなっても痛手はない。きちんと籍を抜いてくれていれば、俺は派閥争いには関係のない人物になっているはずだ。


「後ろ盾も何もない奴、側においても不毛だろ」

「だから、ちゃんと考えてきてあるんだって。僕は別にキミの後ろ盾がなくたって構わないんだけど、周りがうるさいし、キミが何か言われる姿を見たくないからね。異世界から来た聖女ってことで手を打とうと思って。元から綺麗な顔は化粧で印象を変えれば良いし、髪色は黒だからそれで良し。キミのご両親が聖女を引き取るって言ってくれたから、そういう設定で」


 下準備と根回しがすごい。両親の食い気味に承諾する姿が容易に想像できた。でも、だからって、はいそうですか、なんてすぐに言えるか。


「……頭が痛い」

「神聖力の副作用? そんなのあったかなぁ」


 首を傾げるこいつに何も言う気が起きなくて、俺は深いため息を吐く。頭の中も感情もぐちゃぐちゃで、今後のことを考えたくない。

 考えたくないことはひとまず頭の片隅に押しやり、気になっていたことを尋ねる。


「なぁ、この聖遺物が性転換を起こすのは分かったが、なんでこんな混沌としてるんだ? 見た目が聖なるものじゃないだろ」

「あー、人は混沌の中から生まれし者だからって書いてあったな。その混沌の中に相手と共に手を入れた時、それぞれ望みの姿に変わるだろうって」


 僕は何も変わらなかったからこれがキミの望んだ姿なんだよね、と言われ頬が火照る。なんだその恥ずかしい話は。俺が何も望まなかったということではないのか。

 皇子はポケットから取り出した指輪を差し出し、俺の前で片膝をつく。他人事のようにぼんやりと、これはプロポーズか、と差し出された指輪を見つめた。


「ね、僕と結婚してほしいな。性別なんて本当にどうでも良かったんだ。ただ、キミとの未来が欲しかっただけ。あまりにも周りがうるさいから、それを黙らすためだけにキミに負担をかけてしまったけれど」


 指輪から皇子に視線を移すと、いつになく真剣な表情をしている。俺は昔からこの顔に弱いんだよな。本気で俺の嫌がることはしないんだ。もし、したとしても俺に利点があるときだけだ。


「なっちまったものは仕方ないし。戻るって選択肢は無いんだろ」

「もう一度やっても良いけど、僕はまた同じキミを望んでしまうから。戻りたいなら他の人とやらないと」

「じゃあ、良い。俺の安全のためにやったならそれで」


 このあたりで観念しろということなのだろうか。

 神聖力で女性化したから聖女というのも嘘ではないだろう。今まで見えなかった輝くものがあちこちに見える。この世界にこぼれ落ちた、神による祝福の欠片だ。


「どうやったって、俺を手放すつもりはないんだろ?」

「そうだよ。ぜんぶキミのため、というか僕のため」


 執着強めの皇子様は、すべての力を使って俺が欲しいんだとさ。国を巻き込んで何やってるんだか、と思わずにはいられないが、俺が暗殺されそうになったとき、こいつは本気で怒っていたからな。全部変えてやると言ったのは嘘じゃなかったらしい。


「全力で俺を守れよ。もう暗殺は懲り懲りだ」


 そう言いながら左手を差し出すと、皇子は目を輝かせて俺の手を取り指輪をはめた。


「もちろん」


 ありがとう、と俺を力強く抱きしめる。その温もりが心地よくて、幼い日に出会ったときのことを思い出す。なんだかんだ、こいつの隣は居心地がいいのだ。



 あとで聞いた話だが、塔に引き篭もって平穏な暮らし万歳と思っていたのは、どうやら俺の勘違いだったらしい。何度も暗殺者が送り込まれては、皇子が配置していた者たちに返り討ちにされていたというのが真相だ。引き篭もってる相手に執拗に送られる暗殺者に、皇子の怒りが頂点に達してあのようなことになったらしい。そして、今も変わらず誰もいない塔を、皇子に命じられた者たちが守っているそうだ。まだ、俺はあの塔にいることになっていて、定期的に皇子も通い、俺がいるように見せかけている。誰もいない塔を命をかけて守っている皆に申し訳ない気持ちでいっぱいなので、俺からも給料上乗せしておいた。

 そんなこんなで、俺は皇子の隣に聖女として寄り添い安全に暮らしている。暗殺の危機は去ったと言いたいところだけれど、皇子の溺愛ぶりを知らない者がちょっかいを出してきては撃沈しているのを一年に三回ほど見かける。聖女として悪意ある者を見極める力も手に入ったから、それを活用して排除もしてるしな。

 他人との交流は相変わらず苦手だけど、ここは塔にいたときよりも快適だし、毎日皇子や子どもたちと過ごすのも楽しいし悪くない。

 皇子の手を掴んだことを後悔はしていない。あのとき欲した俺たちの未来は、こんなにも幸せなものだったのだから。

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