第25話 成長限界論

 視界に映るもののあまりの遅さにあくびが出そうになる。それが攻撃だと、私には到底思えない。


「遅いですね」


 竹刀でゆっくりと向かってくる。私はそれを当たり前のようにかわす。動きは無駄だらけで隙だらけだが、それで十分だ。竹刀を持っているのは、ライト・ユーフォール。私の一学年上の先輩、奇妙な繋がりが生まれた相手だ。


 先輩には手紙で連絡を取った。手紙を送った方法は秘密だけど。先輩は毎日真面目に授業を受けているので、授業が終わった放課後に私が彼に稽古のようなものをつけている。寮から比較的近くにある廃墟。そこの地下には比較的広めの部屋があり、建物も傷んでいないのでなかなか使える。ちなみに不法侵入ではない。別名義できちんと土地を購入した。時間があれば、改装して人が住めそうな建物にしたい。


 先輩には私がそれなりに戦えることが見抜かれてしまった。私が甘かったとしか言いようがない。もっと気を引き締める必要はある。ただ、彼が性格の悪い人間じゃないかったのは良かった。言いふらすような素振りは特にないし。とはいえ、この時間を作ってから少し驚きはあった。よくこれで今までこれたものだ。


「少し休憩にしましょうか」


 先輩の息が続かなそうだったので休憩にした。時間にして二十分ほどしか動いていないが、もう疲れている。先輩は自分で持ってきた水を飲む。


「はぁ、はぁ。だめだね僕は。全然進歩がないよ」


「そんなことはないと思いますよ。成果は必ずしも目に見えてわかるとは限りませんから」


「そうかもしれないけどさ、やっぱり才能の差を感じてしまうよ。同じくらいの特訓量でもっと成長できる人はいるだろうからね」


「才能の差……成長限界論ですか。私としても、それは肯定しますね」


「……成長限界論?」


「かつて優秀な戦士だった人物が、戦闘に関する持論を述べる本を残していることがあります。その中の一つに、成長限界論というものがあるんです。これは、個人の限界値は最初から定まっていて、それ以上のことを人はできないという考えで、成長とは、その限界値までの引き出しを引き伸ばしているに過ぎないという仮説です。ようするに、これは人の才能を肯定していることになります」


「な、なるほど?」


「一方で、別の人が成長無限界論というものを出しています。こちらは逆に人には限界はなく、無限に成長することができるという考えです」


「限界値がないから、いくらでも成長できるってこと?」


「少し違いますね。成長無限界論も限界値は存在してると考えています。ただし、その限界値を無限に引き伸ばすことができるという仮説です。例えるなら、成長限界論は器に水を貯めていく状態、成長無限界論は器に満タンの水が入っていて、そこから器が大きくなってその分水が同時に増える状態ですかね」


 器には入れることのできる限界がある。成長によって器に入れられる量が増えるのが成長限界論、成長によって器そのものが大きくなるのが成長無限界論だ。


 先輩は少し難解そうな顔をしていた。


「成長限界論は人に存在する限界値までしか成長できない、成長無限界論は人に存在する限界値は伸ばせる、ってこと?」


「まあ、そんなところですね。そしてこの二つが最終的に何を表しているのかといえば、人には才能の差があるか、ないかなんです」


 成長に限界があれば、人の差は絶対に埋められないものだ。成長に限界が無ければ人の差は努力の差だ。この二つを書き遺した人はそれぞれ成長限界論が才能があった者、成長無限界論が才能が無かった者だとされている。実際それはそうだろう。才能があるとされている者からすれば、才能というものは確実に存在していると考えるし、才能が無かったとされている者からすれば、才能は否定したいものだろう。


 私からすれば、この二つの論は机上の空論だし、証明のしようもない。この論の証明には複数人の人間を、産まれたときから全く同じ条件で育てなければならない。それは不可能だ。いくら同じ空間、同じ食事、同じ学習をさせたところで全てを一緒にすることはできない。なぜなら人には感情が存在しているからだ。人によって、何に何を感じるかは別だ。ゆえに全てを一緒にすることは不可能になる。これを可能にするためには同じ遺伝子の複製体、クローンを作るしかない。証明できなれば、結局は机上の空論以上のものにはなり得ない。


 人に全く才能の差が無いなんてことはありえない。成長度の差というもの確かに存在している。


「……僕は成長無限界論の方が好きだね。そっちにはなんていうか、夢があるような気がするよ」


「夢ですか」


「落ちこぼれでも底辺でも、ひたむきな努力で天才を超えられるかもしれない。それはきっと、才能が無いって言われた人の希望になると思うんだ」


 先輩は自虐するかのように言った。


 希望か。いくら人が一時的に奮起できても、現実にならなければ、所詮は偽りの希望だろう。そんなものを信じて何になるのか。でも、そうね。人に全く才能の差が無いなんてことはありえない。成長度の差というものも、確かに存在している。それでも常人は時に天才を上回ることもあり得る。


「先輩は心を鍛えた方がいいかもしれませんね」


「心? 突然だけど、それはまたなんで?」


「感情や心というのは人だけが持つ意志です。魔剣士であれば、それは窮地で真価を発揮します」


 それは、感情と心が呼び起こす人の想いだ。それだけが、強者と弱者の絶対性を覆すことのできる唯一の力だ。


「絶対に負けないという気持ちは、現実的に絶対的な差を埋めることはできないかもしれません。それでもその諦めない心が奇跡を起こすかもしれない、先輩はそれぐらい気楽に考えていた方が強くなれますよ」


 希望が好きなら希望で成長させればいい。私は他人に嫌なことを強制させるのは好きじゃないから。痛みや差を感じる、修練は嫌でも身体的な負荷からは逃れられない。さらには精神的な負荷がついてくる。その負荷をほどよく緩和させる必要がある。


「それって気楽なのかな?」


「当然でしょう。本物の戦場とは命のやり取りをする場所です。諦めない心だけでは生き残れません」


 どんなに弱くとも最後まであきらめないなんてことはできる。気持ちだけでは生死の運命は変えられない。ただ、現実的に魔剣士資格を習得するまでしかしないのなら生死まで考える必要はない。魔剣士資格自体は所詮将来を安泰にするための切符のようなものでしかないのだから。


 それでも、努力はしなければならない。そのモチベーションを高める方法はそんなに殺伐としたものである必要はないということだ。苦しいと思えば思うほど辛くなるのだから。苦しくないと思える方法を探したほうがいい。


「先輩はこの学園を卒業したら何をするつもりなんですか? 剣士を続けるつもりは?」


「まだあまり現実的に考えられていないけれど、魔剣士を続けるつもりはあまりないね。もっと平和な職場がいいよ」


 平和な職場なんて言っていられるほど現実は甘くないとは思うが、まあいいだろう。それぐらいならやはり楽観的に考えていた方がいい。私に求められていることは鍛えることだ。それ以上の面倒を見る必要もつもりもない。


「そうですか」


「……甘いよね。僕の姉さんは優秀で、いつも比べられてきた。だからどこかでいい加減になっているのかもね」


 何か諦めたような目で先輩は語る。そう簡単に諦めるには先輩はまだ若すぎる。

 

「そろそろ続きを始めましょうか」


 ひと休みはできただろう。


「うん、そうだね」


「先輩にはこれから破魔を覚えてもらいます」


 彼が一つ上の段階へと登るための手助け。破魔はそれにはぴったりだ。

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