第14話 スティンガー
魔剣学園に入学して始めての試験が終了した。
終わってしまえば呆気ないもので、そこまで長時間の試験というわけではなかった。
ただ、これから先、どういった試験が待ち構えているのかはわからない。短時間か長時間か、どういった要素を重要視しているのか、わからないことはまだまだ多い。
ここに来る人のほとんどは、魔剣士資格を取るために来ている。だからそんなことには興味ないだろうけど。
私もそこまで強い興味を惹かれているわけじゃない。ただ、退屈な時間の暇潰しくらいにはなる。
私には魔剣士資格を求める理由がない。だからここで勝ち上がる必要もない。三年間、静かで平穏な時間を過ごせればそれでいい。
試験の結果は、明確に教えてくれたわけではなかった。試験でそれぞれが獲得した物資を明かしては、それの対策がされてしまうからだろうか。そうした読み合いの強さを見定めるのは、学園の方針ではないのかもしれない。
もしくは試験で結果を出した人に有利な状況を与えたいのか。憶測の域は出ない。
一つだけ言われたのは、私生活で使えるものは使用しても良いということだ。私が今着ている羽織りも、自由に使っていいということ。
まあ、目立つらしいから試験が終わってすぐに脱いだけど。
そして、先生達から言われたことはもう一つ。今日は深夜までの自由行動が許可された。さらに、明日は平日だけど、休みになるそうだ。
普段は午後七時までに寮に戻らなければならない。休日は午後十時までに戻らなければならない。
ただし、今日は深夜二時まで外にいることが許された。さすがにそんな夜更けまで外にいる人は少ないだろうけど、それでも時間がたくさん与えられるというのは気が楽になるだろう。
疲れた体には、ゆとりも必要だろう。休む時はしっかり休む。ただの人間が、常に気を張るなど不可能なのだから。
私も今日はどこかでゆっくりとした夜を過ごそうと思う。私は普通の人のように多くの休養を必要としないけれど、ゆったりした時間が嫌いなわけじゃない。
私が普通の家に産まれ、普通に育ったならきっと、穏やかな日々を愛するただの平民として育っただろう。虚しい、ないものねだりでしかないことだ。
ゆったりした夜を過ごしたく、私はバーに来ていた。
扉を開けて、バーの中に入る。
「いらっしゃいませ」
それほど大きなお店ではない。客も私の他に一人しかいなく、落ち着いた雰囲気。その一人もかなり酔っているようだ。
バーテンダーも女性が一人だけ。
カウンターに座る。
「久しぶりだね。最近来ないからどうしたのかと思ったよ」
バーテンダーの女性は砕けた口調で私に話しかけてくる。知らない相手なら図々しいと思うが、私は彼女を知っている。彼女も私を知っている。
学園に入る前に、私はよくここに来ていた。頻繁にお酒を飲んでいたわけではないけど。
「あの学園は、普段七時までに寮に戻らなければならないの。そうそう来れるものではないわ。今日も許可が出たから来ただけよ」
「そう、私には関係のないことだね。まあ、たまにはこうして顔を見せにきてくれると嬉しいかな」
私も、時間があればまた来ようとは思っている。ここは落ち着くからだ。
「それで、ご注文は何にしますか?」
「スティンガーで」
「おや、珍しいね。かしこまりました」
彼女の名前はラローラさんという名前だ。自営業でバーをやっている。王都内だけど、入り組んだ路地裏に店を置いていて、ほとんどの人は気付けない。
彼女の作るお酒は美味しいし、もっと大きな店を持てばいいのにとは思う。
私がそういうたび、「ここには思い出があるから」 と彼女は言う。彼女がそれでいいなら、私も強くは言わない。私も自分にとって隠れ家に近いこの場所を失うのはあまりいい気分ではないし。
ちょっとしてお店の扉が開いた。入ってきたのは、スロ先生だった。
「いらっしゃいませ」
「あれ、奇遇ですね」
先生は偶然を装っているが、そんなわけがない。
「ご注文は何にしますか?」
「あ、彼女と同じ方をお願いします」
私が何を注文したのかわからないのに、大丈夫だろうか。スティンガーはアルコール度数の高いお酒なのだけれど。
「私のことを追ってきたんですよね。そのくらいわかります」
ずっとつけられていることには気付いていた。外にも後二人いる。
「ううん、たまたまですよ」
「では、聞きますけど、ここには来たことがあるんですか?」
「えっと、そうですね。はい、あります」
簡単にわかる嘘をついてくる。
「なら、このお店の店主に聞いてみますか。一応知り合いですから、嘘をついていればすぐにわかります」
「……わかりました。正直に言いましょう。あなたのことをつけてました」
素直に白状した。
「なぜこんなことを? 私に何か用があるんですか」
「この学園では、出来うる限り、生徒の個人情報を集めます。この学園の特性上、あらゆる危険を回避する上では重要なことなんです」
貴族に限らず、あらゆる身分から人材を確保する上では、確かに必要だろう。
「ですが、あなたのことを調査しても、何も出てこなかった」
「何も出てこなくて当然でしょうね。何せ私はーー」
「貧民街の一般人。あなたはそう言いたいのでしょう?」
私が偽装して作った身分。貧しいけれど、家はある貧民。
「そう言いたいも何も、それが本当のことですから」
「甘く見ていますね。この学園の調査はあなたの思っている以上なんですよ」
偽装された身分が嘘であることは、もうバレているらしい。
「あなたを含め、巧妙に身分を偽装している人物が三人ーー」
「それ以上は言わないほうが身のためですよ」
「っ!?」
少し殺気を放った。それを浴びたスロ先生は驚く。
「どうやら先生は、残りの二人と私がなんらかの関係を持っていると考えているのでしょうけど、その二人と私は関係ありません。関係ないんです」
「……おまたせしました。スティンガーでございます」
お酒が出された。私は軽く一口飲む。
「とりあえず、飲んだらどうですか」
「え、ええそうですね……美味しい」
スロ先生も一口飲んだ。おいしかったらしく、そのまま飲んでいく。本当に大丈夫だろうか。
「スティンガーはアルコール度数の高いお酒です。口当たりがいいからよく飲めますが、お酒に強くない人はすぐに意識を失うでしょうね」
「えっ? そんなお酒、ノアさんは大丈夫なんですか?」
「私自身の体はそれほどお酒に強くはありません。なので対策をしています」
「対策? どんなですか?」
「言っても理解できないでしょうし、理解できても一度で成功はしないでしょう。それにすでに体にアルコールが回っているでしょうから、もう遅いです」
スティンガーを口に運び、舌で味わい、のどに通す。のどを通った瞬間に、体内の魔力を操作する。全身の臓器、特に脳と肝臓を魔力で保護する。その上で、魔力によってアルコールを超高速で分解。
これによって、アルコールがもたらす人体への悪影響を一切遮断して、お酒を飲むことができる。
「聞きたいことは今のうちに聞いておいた方がいいんじゃないでしょうか。数分もすれば、呂律が回らなくなってくるかもしれませんよ。私個人のことならいくらかなら教えられるかもしれません」
「私をはめたんですか?」
「同じものを頼んだのは先生の意思でしょう。私のせいにはしないでください」
「……なら、聞きましょう。あなたは、この王国に盾突くつもりはありますか?」
ずいぶんと直球なことを聞いてきた。どうしてそう思ったのか。
「……興味ないですね。そんなことをして、私に何の得があるのか、理解できません」
「そうですか。なら次に、何の目的で学園に来たのですか? 調査の結果、あなたに対する確実な情報が一つ掴めました。あれはどうしたって隠せません。でも、だとすれば、あなたがここに来る理由はないことになります」
「確かに、学園が生徒にもたらす利益には興味ありません。ただ、明確な理由があるとだけ伝えておきます」
「……単刀直入に聞きます。あなたは何者なのですか?」
そんなことを知って何の得があるのだろうか。知れば不幸になるだけだ。
「世の中には、知らないほうがいいことというものがあります。余計な詮索はおすすめしませんよ」
「それじゃあ答えになっていません」
「おすすめはしませんが、別に止めようとも思いません。調べたいのなら好きに調べればいいでしょう。でも、あなたは別に知りたいわけじゃないのではないでしょうか」
「……なぜそう思ったのですか?」
「ただの一人の生徒の経歴に興味のある人間なんてほとんどいないと思いますよ。この学園の方針だから仕方なく、そんなところでしょう。そんなことで自分の人生を棒に振るのはやはりおすすめできませんね」
平和にことが済むのならそれでいい。けど、そう上手くいかなければ、私は容赦しない。
◆◇◆
しばらくしてスロ先生は眠ってしまった。尾行して話を聞きだす、という観点から考えれば、情けない結果だろう。
「スティンガーを頼んだのは、彼女を嵌めるための計算の内だったのかい?」
ラローラさんが尋ねてくる。
「そんなつもりは本当になかったわ。どちらかというと、私がスティンガーを頼んだことの方が大切だったわ」
特に隠す必要もないので正直に答えた。
「なるほど、警告か。でも彼女はその意味がわかったのかな?」
「わからなければそれでもいいわ。言葉での警告はしたもの」
「そうかい。ま、好きにやりなよ。君の人生だ。君の思うがままに生きるといい」
このあとも、ラローラさんとくだらない雑談をしばらくして、寮に戻った。
後日、ラローラさんに聞いてみると、スロ先生は他の尾行者が連れて帰っていったらしい。
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