十一、デュエルその三

「よしよし、いい子だ。こっちへ来な、そうそう」

 榊エリが腕から滴らす血に惹かれ、私はふらふらとついていく。体にはそうとうガタが来ており、足元はふらつき、千鳥足でしか歩けない。後ずさりするエリが、瓦礫に残る壁伝いに進む。

 ふと、割れた窓ガラスに自分が映った。猫背で首がかしぎ、両腕が極度に広がってM字に曲がっていて、その姿は以前テレビで見たやじろべえというオモチャに似ていた。

 右手首から伸びるサーベルもよれよれで、出すときに何度も引っかかったので、おそらくもう、しまえないと思う。まるで長い爪を何本も生やした妖怪か、仙人の趣だ。

 このナリで本当に血を供給すれば自己再生などできるのか、はなはだ疑わしいが、できなくて任務に失敗しても、私の責任でもなんでもない。今はただ、目の前の餌を追うことだけである。


 私の宿敵といっていい榊エリも、腕から血を地面に点々と垂らしながら後ずさっているので、時おりめまいに襲われて手で顔をぬぐったり、頭を振ったりしている。このまま出血多量で死ねば、あとは私が血をいただくだけだ。奴が消えて私が存続すれば、とりあえず任務続行ということになり、たとえ射殺されても、実質的には凛博士が勝ったことになる。

 刃はほころんでよれてはいるが、肉を切るくらいは出来る。回転させようとしてみたが、回らない。ここは、ただ剣か刀のように振って相手を切り殺すような、原始的な方法で行くしかあるまい。


 私はどこまでもついていく。たとえゆっくりでも、相手も確実に弱っていくから、そのうちいただけるだろう。もし逃げられたら、ほかの誰かを探すだけだ。見つからなければ、機能が停止するだけだ。



<軍人板の書き込みより>

「後を追うのに恐ろしく時間がかかる。何度も気が遠くなりかけて、そのたびにストップし、ハンドルに突っ伏して息を切らすからだ。ちくしょう、こんなんじゃ間に合わない。隊長が奴の餌食になるところだけは見たくない。そして、それは、すぐこの先に迫っている。


 と、血を見失っちまった。アホか、どうすんだよ。

 戻ってみても、地上に残された隊長の『道しるべ』は、見当たらない。そういや、あたしは昔から方向音痴だった。


 待て、落ち着いて考えろ。いてえなあ、くそう。

 血がない、ということは、止血したってことか?

 あるいは、すでにもう――。



 ふと、傾斜があった。ちょっと進むと急勾配になり、あわてて戻ろうとしたが遅かった。レーザー砲つきバイクは砲台を下に向けて瞬くまにダーッとくだり、着いたところは、ただっ広い谷間。

(あ、見たことある――!)


 足元にひしめく瓦礫は、よく見ると黒ずんだ四角い波の列だ。潰され、踏みにじられた無数の座席だった。ペンキをぶちまけたように広がるどす黒い染みは、客の血痕だろう。

 ここはホール中央だ。


 さっき、ここへ入った場所は、アリーナの入り口だった。入り口から、この真ん中のステージまで、百メートル以上の下り坂だ。ついさっきまで、ここで未曾有の大虐殺が行われていたのだ。

 シートの中に、白い人骨のようなものがちらほら突き出ている。戦場でも、ここまで陰惨な現場は見たことがない。でも、ありがたいことに、ひどい頭痛のせいで吐き気をもよおす余裕はなかった。

 ふと見上げると、ここから数十メートルほどの上空に、何かが動いている。よく見て、たまげた。崖の端から突き出た鉄骨の上に、二つの影がある。榊隊長と、ブラッド一号だった。


 鉄骨はホール中央の位置で断ち切れていて、隊長はそこに向かってじりじりと退いている。その向かいから、例の殺人マシンが、ぎくしゃくした動きで近づいている。つまり、隊長は追い詰められているのだ。いったい、どうしたんだ。なんで、あんなところに。


 がく然となったが、そんな暇はない。そうだ、ここから撃たないと、隊長は一巻の終わりなのだ。

 もっと近づきたかったが、ボコボコのシートの残骸に阻まれて、これ以上進めない。

 ここでやるしかない。


 私は肝を据えて、砲身を鉄骨に向け、照準を合わせようとした。だが頭ががんがんして、目がかすみ、上手くいかない。

(なにやってんだっ――!)


 ここでやらなきゃ、隊長の内なる戦いも、子供を助けた偉業も、みんな無駄になるじゃんよ。

 それだけじゃない、榊が殺してきた物凄い数の部下たち、私の親友の○○の死も、みんな、みんな、無駄になっちまうだろうが!


 あいつには、生きていてもらわなきゃダメなんだ。生きて、これから戦いぬいてもらわなきゃ、今までの全ての犠牲に、まるで意味がなくなる。

 たとえ私が、いまここで死んでいくとしても、あとをあいつに背負っていってもらえるなら、なんの悔いもない。そのために、何が何でもあの悪魔を仕留めるんだ!

 やれ! 千津絵!

 やれ! 高見(たかみ)千津絵(ちづえ)副隊長!


(よし、あった!)


 いまだ!

 撃て!」





 別に追い詰める気はなかったのだが、相手が勝手に崖まで行ってくれた。出血で頭が働かず、背後の危険に気づかなかったのだろう。

 エリはぎょっとして後ろを見たが、もう遅かった。ここから、はるか下に落ちてもらっても、困ることはない。私も落ちて、落下地点で奴の死体から血をちょうだいすればいい。


 だが、天はもう少し彼女にチャンスを与えた。崖っぷちから一本の鉄骨が突き出ていた。幅が三十センチはあり、人が乗るには充分だが、相手はふらついているから、乗れたとしても、落ちるのは時間の問題である。


 落ちてくれるのはいいのだが、一番まずい展開は、私が先に落ちて、彼女が助かることだ。下に血はないから、血のほとんど残っていない私は、そこで機能停止、完全にアウトである。



 鉄骨に乗り、じりじりと下がるエリを追い、私もなんとか硬い通路に足を踏み入れる。体が右に左にゆれ、どうにも危なっかしいが、両腕を大きくひらいた格好なので、なんとかバランスが取れている。まあ大丈夫だろう。


 それに勝算は私にある。鉄骨は向こう岸に届かず、ホールのまんなかで終わっているのだ。

 もう奴に逃げ場はない。道の切り口に向かって、エリがゆっくりと下がる。その白く美しい顔はゆがんで恐怖と焦りが広がり、溶け切る前の蝋燭を思わせる。

 といって、こっちも余裕ではない。先に落ちたら終わりだからだ。がくん、がくん、と右に左に揺れ、完全にポンコツと化した体で、細い道を踏み踏み、近寄っていく。


 ついに終点にきて、エリが背後を振り返り、再びこちらを向くと、苦々しく舌打ちした。そのままかがんで両手を床に着いたが、いくら体を安定させようが私の勝ちである。右腕を振り上げ、そのまま奴の首に向かって打ち下ろした。


 はずだった。

 腕はそれた。

 頭よりはるか脇の空間を、無意味にスライスしただけだった。


 血がなくなったのではない。

 また、あの不具合が来たのだ。


 奴への怒り、憎悪という、あの無駄な感情がまたもや私の体内を電撃のように貫き、腕が震え、目標を大きくそれてしまった。

 私はがくがく揺れた。奴も一瞬、妙な顔をした。


 こんな肝心なときに妨げになるとは、感情などという代物は、全くもって無意味である。全身の電気系統が極度に熱くなり、今にもスパークしそうだ。

 私は、よれたソードを意味もなく滅茶苦茶に振るい、エリはあわてて頭を振ってよけたが、バランスを失って落ちた――

 いや、落ちていない。

 なんとしぶとく鉄骨の両端につかまり、ぶら下がって耐えている。時間の問題だというのに。

 なぜ、こうも生きようとするのか分からない。とっとと死んでくれないと、こっちが困るんだよ、人でなしの隊長さんよ。ほら落ちろバカ。俺もすぐ行くから。


 刃をぶんぶん振って、鉄骨を握る奴の細い指を狙うが、当たらない。片方の手が離れるだけでも充分だってのに。

 不具合は頂点に達し、てんで外れの場所をぎりぎり掻いたりした。


 だが、怒りに翻弄されながらも、どこかで冷めていた。

 すぐ終わる。前もそうだったろう。こんな状態は続かない。

 すぐに、またいつもの考える機械である私に戻り、落ちた奴の死体から血をいただけるはず。どうせ奴も落ちるのだ。おたおたすることはない。


 不具合がなかなか収まらず、全身の震えが止まらないので、四つんばいになって進んだ。このまま刃を床にぴったり当ててまっすぐ進めば、奴の指に到着する。


 いいぞ、もう少し。

 あと数センチ。

(よし!)


 これでアディオスだ、隊長――!!



 その指に触れそうになった、そのときだった。

 突如まっかな光が下から飛んできて、喉に違和感があった直後、頭上へ抜けていった。視界の中であっという間に鉄骨が遠ざかり、ぐるんぐるんと世界が回り、私は自分の首がレーザーで切断されたと知った。

 自分の体が、本当にやじろべえのように谷底へ落ちるのが見えた。体はなくても頭脳はまだ働いていて、これで負けだと分かった。

 だが首だけになったせいか不具合は消え、感情はなくなっていたので、今までどおり、何も思わなかった。

 任務失敗。仕方がない。


 空中で回転する私の目が、谷間にいる誰かをとらえた。こっちを向くレーザー砲の後ろに、おかっぱらしい頭が見える。

 榊の部下の高見か。ぐったりしているようだが、とりあえず、奴が私をしとめたわけである。


 しかし、榊もあの状態では長くは持つまい。

 私は破壊され、奴は死に、勝負は引き分けというところか。

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