にんじんを吊るせない豚は

森エルダット

第1話

 世界が急に何もなく思えるときがある。それは例えば、ブックオフで売られている中古のゲームソフトの中にある、当時小学五年生の凛音ちゃんが31:09だけプレイしたトモダチコレクションの世界。ある程度集めようとしていた食べ物、コーラ、オムライス、おはぎ、パエリア、いくら。いくらは006号室のけいたくんの大好物だった。服、音楽、インテリア、イベントの解放条件。クリスマスのイベントやアイテムを出そうといじった本体の時計、それがバレてうまくいかなかった、クリスマスではないいつかの日。そんな手触りがして、何を見ても聞いても食べても、霧の中でもがいているような気分になる。こんなところで、わざわざ頑張る意味もないし、普通に飽きたし。成長した凛音ちゃんのように、ソフトを売り払ってしまいたくなる。

 たぶん、こんなひねくれた感情は、友達の数が十倍くらいになれば解決するんだと思う。古ぼけたトモダチコレクションを、ちゃんと攻略サイトを見て、毎日毎日欠かさずにプレイして、一つ一つアイテムやイベントを集めていけば、嘘みたいに消えるんだと思う。だけど、あんなに心が弾んで、あんなに精神が摩耗することはない。自分でも話しながら引くくらいないコミュ力。発する言葉の端々に宿る後悔と自己嫌悪。それを乗り越えたさきにあるのは、今まで考えてたことが、全部間違いみたいに消え失せる瞬間。バカにしてたはずのことをして笑ってる自分。軽薄に交わした「好き!」が時間に埋もれて見えなくなる日。そして、そういうものを軽々と吹き飛ばす友達の声。その欠落になじられる毎日は、ブックオフで10円の価値もつくのかわからない。

 早く老いたいと思う。浮き沈みのない、ぬるい湯につかりながら、塩の薄いお粥を食むだけの日常に、欠落を感じさえしない歳に。だけど同時に若返りたいとも思う。それは多分、どっちも本当の願望じゃないから。ほんとうはただ、病気になりたい。精神の方は飽き飽きだから、もっと癌みたいな、パパっと死ねるやつに。だけど癌は闘病が大変だから、その余地もないくらいの、現代医学でどうしようもない、死ぬしかないけど苦痛もない病に罹りたい。そうなったら、もうしょうがない。誰がどう見ても叩きようがない。自殺と違って、馬鹿なことを、とか言われない。勇気もいらない。失敗もしない。ただ、縁側で日に当てている布団にもぐりこんだ猫が、いつしか寝息を立てているように……。あの世への贈答用ラッピングにくるまれるように……。

 だけど、そんな病はない。あったとして、私に罹ってくれる確率はどれくらいだろう。結局私は、現実を必死に価値があるものだと思い込ませて、揮発性の高い快楽を目の前に吊るし続けて、その外側から目を背け続けるしかない。豚はにんじんを追いかけるしかないし、それを吊るしていないと止まって周りを見渡してしまう。だけど、幸か不幸か、私はにんじんさえ自分の目の前に吊るせないくらい頭がおかしいらしい。大学が始まってまた留年や休学の必要が出てきたら、その時点でいろいろと人生が詰みルートに入るので、さっさと死のうと去年から決めてる。多分そうなっても、私は大見得切るだけ切って死ねない確率のほうが高いし、詰みルートの人生でもなんやかんや死にてーーーーって言いながら生きてるだろうけど、去年も同じようなことになって、結局ここまで生きて、本当に、本当に、後悔してる。だから、今度こそは、一時の気の迷いとかいうやつが、私の四肢の先まで満ちて、動けることを、ただ祈るだけでち!


 っていうフィクションを今日ずっと考えてました!実在の現実とは何の関係もございませんーー!

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