占い

神在月ユウ

占い

「あなたに、危険が迫っています」

 なんとなくだった。

 同級生との飲み会に向かう途中の高架下で、老婆に呼び止められ、視線を向けると占い師だった。

 いや、占い師でいいのだろうか。

 紫のローブを身に纏い、紫のクロスをかけた小さなテーブルの前に座る姿は、古典的な占い師に見えるが、テーブルの上には何もない。水晶玉も、筮竹ぜいちくもない。


「死が、迫っています。本日、あなたに」


 そう言われ、しかし少しホッとした。

 占い師というのは、どうとでもとれる言葉で関心を引き、相談に乗ることで対価を得る仕事だ。

 だが、この老婆が口にしたのは、よりによって死だ。

 はっきり言って、胡散臭い。


「ここから先は、有料です。あなたの命、その値段を考えて、お支払いください」


 ほら、やっぱり金だ。

 でも、こんな胡散臭いものに金なんて払えるわけがない。

「婆ちゃんさ、こんなんじゃお金取れないよ?もっとそれっぽい占いしないと」

 だが、そんなことを言いながらも小銭入れを取り出し、硬貨を一枚テーブルに置いた。500円玉だ。

「ほら、これでなんか食べなよ。すぐそこのコンビニでおにぎり2、3個買えるでしょ?」

 正直、金を恵んでやった、くらいの気持ちだった。

「それが、あなたの値段ですか?」

 素直に感謝してろよ。

 そう思ったが、老婆の言葉は続く。

「ならば、あなたの死に際を、教えてあげましょう」

 まだ続けるのかよ。いいから500円仕舞えよ。


「ぐちゃぐちゃ、ですよ」


「うぇ~」

 ちょっと想像しちゃったじゃん。

 気味悪いな。

 時計を見る。

「お、やべ」

 そんなこと気にしている暇はなかった。約束の時間まで、あと少しだ。

 老婆の言葉など追いやり、早足に歩き出す。

 ふと気になり、後ろを振り返る。

「あれ?」

 老婆どころか、テーブルすら消えていた。




 百貨店の屋上にあるビアガーデンに着いて、友人五人と飲み始めてそろそろ1時間になる。

 酒が進み、皆テンション高く騒いでいた。

 普段の鬱憤を晴らし、腹の底に溜まっている不満を吐き出しながら、代わりに酒を流し込む。

「ちょっとトイレ~」

 尿意を覚えて立ち上がる。

 酒のせいか、足がふらつく。

 そこに、タイミングを見計らったように突風が吹いた。

 体が、ふらつきと風のせいで後ろに流され、たたらを踏む。

 屋上には当然、人が落ちないように柵がある。

 その柵にぶつかった。

「え―――?」


 柵が、歪む。

 外に向かって、ぐらッと傾いた。


 頭ががくん、と振れ、真下の道路が視界に入った。

(お、落ち—――)

 脳裏を、老婆の言葉が過る。


『ぐちゃぐちゃ、ですよ』


 頭から落下してスイカのように割れる様を想像する。

 自力では、戻れない。


「た、たすけ—――」


 だが、体はそれ以上傾くことはなかった。

 友人の一人が、腕を取って引き留めてくれた。

 ほんの数度、柵が傾いただけで、体が外に投げ出されることもなかった。

「何やってんだよ、酔っ払い」

 友人が笑い飛ばす。

「う、うるせーよ」

 なんとか笑顔を作り、友人のヤジと、強くイメージした自身の死を笑い飛ばす。

 そう、そんなことありえない。

 あの婆さんに乗せられすぎだ。

 自分の妄想を頭から追い出すために、飲酒のペースは上がっていった。


 

 2時間の飲み放題を経て、帰ることにする。

 エレベーターを待つ。

 ポーン、と到着を知らせる音が鳴り、扉が開く。

 だが、騒いでいるせいで、誰も乗り込もうとしない。

 扉が閉まる。

「おい、乗るぞ」

 慌てて右手を突き出して、閉まる扉の間に手首を差し込んだ。

 エレベーターは異物が挟まると扉が再び開くようになっている。


 そのはずなのに。


「え?—――あれ?」

 扉は開かない。

 それどころか、ゆっくりと下降を始めた。

「ちょ、待て待て!」

 腕が抜けないまま、エレベーターが下がっていく。

 つられて体を屈める。

 右手が床まで着いた。

 ずるずると手首が扉の間を、今度は摩擦されながら扉の上部へと徐々に滑り昇っていく。

 このままだと、右手が持っていかれる!


「なにやってんだよ!」


 隣の友人たちが腕を引っ張ってくれる。

 強い痛みが走ったが、お陰で扉から腕が解放され、友人もろとも後ろに倒れた。

 心臓が、早鐘を打つ。

 もしあのタイミングで腕を引いてくれなければ、間違いなく手首を持っていかれた。凄惨な、ズタズタになった手首の断面を想像し、血の気が引いた。


 友人たちが周りで騒いでいるが、構わずに非常階段へと向かう。

 このままエレベーターに乗るなんて、できなかった。



 非常階段を、外壁の手すりを両手でしっかりと握りながら、慎重に降りていく。

 想像が膨らむ。

 エレベーターに乗っていたら、もしかしたら途中でワイヤーが切れて、非常ブレーキも作動せず、1階まで叩きつけられて死ぬ。

 階段を下りていたら、足を滑らせて何階分も転げ落ちて死ぬ。

 そんな妄想をしてしまい、ゆっくりと、一段一段、手すりを握りしめながら、降りていく。

 1階に着いた頃には、40分以上が経っていた。



 駅が見えた。

『ぐちゃぐちゃ』で死ぬといえば、鉄道事故が真っ先に思い浮かんだ。

 そんなのは御免だ。

 信号の先のロータリーに、タクシーが何台も停まっている。

 あれに乗って帰ろう。

 金はかかるが、しょうがない。

 信号が青になり、一歩踏み出す。

 すると―――


 ブォォーーン!!

 

 信号無視した大型トラックが、鼻先数十センチを通り過ぎた。


 そのまま立ちすくむ。

 周囲の人々は「あぶねぇな」「ながらスマホか」と口々にぼやき、悪態をつくが、そんなものは耳に入らない。


『ぐちゃぐちゃ、ですよ』


 老婆の言葉が、何度も何度も頭の中で反響した。

 あの突風も、頑丈なはずの屋上の柵が傾いたのも、安全装置が働かなかったエレベーターも、全部偶然か?たまたま、命の危機が短時間に迫ってきただけか?

 今のトラックも?

 更に考える。

 タクシーに乗って、トラックが突っ込んできたらどうする?

 ぐちゃぐちゃの死体ができあがる。

(だめだ、自分じゃどうしようもなくなる…)

 でも、歩いて帰れる距離でもない。

 電車に乗って帰ることにした。


『ぐちゃぐちゃ、ですよ』


 呪いのように、頭に残る声。

 気が狂いそうだ。



 改札を通って階段を上り、ホームに到着する。

 次の電車まで3分。乗ってしまえば15分で自宅の最寄駅に着く。

 見ると、この駅には転落防止のホームドアがない。

 黄色い線から大きく下がる。

 階段から騒がしい声が近づいてくる。三人組の、恐らく大学生。横に広がって、身振り手振り大げさな動きで騒ぎ、飲み会帰りだとわかる。

 あれに突き飛ばされて、ホームに落ちて電車に轢かれる。

 弾かれたように後ろに下がる。周囲の人から奇異の目で見られたが、気にする余裕はない。

 手近なベンチに座る。これで突き飛ばされてホームに落ちることはない。

 電車が来た。

 ドアが開いたのを確認してから立ち上がり、電車に乗り込む。

 ドアに挟まれてそのまま発車して引き摺られる、と怯えたが、そうはならなかった。

 電車に乗った後、電車がどこかに突っ込んだり、停車中に追突される、なども想像した。

 今いるのは10両編成の6両目だ。

 電車が脱線して突っ込んだとしても、『ぐちゃぐちゃ』になるのは前の方の車両だろうし、追突されるなら後ろの方の車両のはずだ。乗車位置は悪くない。

 ドアが壊れて走行中に外に投げ出されるのでは、と考え、普段はドア横に背を預けているところ、座席中央の吊革につかまった。



 何事もなく、最寄り駅に着いた。

 降りるとき、電車とホームの間に足が挟まる、とも想像したが、それを振り切るように飛び出した。

 手すりに摑まって階段を上り、改札を出る。

 駅を出れば、家までほんの3分ほど。

 だが、この3分がかなり長い。

 道路を横断するときは、右左右左、更に右左と確認し、車が一切通っていないことを確認してから歩き出す。

 普段ならなんでもない距離が、果てしなく長く感じた。

 


 やっとの思いで自宅に辿り着く。

 2階建てアパートの1階、101号室だ。

 時刻は23時50分。

 今日はそろそろ終わる。

「逃げ切った……」

 大きく安堵の息を吐く。

 いや、まだ安心できない。

 玄関の鍵を開錠、そっとドアを開ける。

 一人暮らしの部屋の中は、当然誰もいない。

 中に猟奇殺人鬼がいるわけでも、巨大人食い生物がいるわけでもない。

「はは、考えすぎだよな」

 ベッドに倒れ込む。

 安堵の息が漏れる。

「何が死が迫ってるだ。何がぐちゃぐちゃだ。今日はもう終わるぞー」

 想像の中の占い師の老婆に悪態をつくと、今度こそ安心したのか、猛烈な睡魔に襲われる。

(襲ってきたのは、死じゃなくて、睡魔、だった、な……)

 そこで意識を失った。



   *   *   *


 

 午前6時のニュース番組にて。

『昨夜0時前、夜間飛行訓練を行っていた自衛隊のF-2戦闘機が住宅地に墜落しました。死傷者の確認は取れていませんが、直撃した2階建てアパートは全損しており、墜落の衝撃と爆発から、生存は絶望的と思われます』






「ま、こんなもんかねぇ」

 老婆はコンビニのおにぎりを咀嚼しながら呟いた。

「せめて紙幣を出していただければ、『今日は家に帰るな』ってお伝えできたんですがねぇ」

 一つ目を食べ終え、二つ目のビニールを破る。

「ぐちゃぐちゃになりましたが、苦しまずに逝けでしょう?」

 二つ目のおにぎりを口にして、咀嚼する。


「500円分の、サービスですよ」

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