二
「ミズキ! 風で払え!」
クレハは地に足を付けるや否やそう叫んだ。ヒナノの母ミズキは、すぐさまそれに応えた。僅かな時間目を閉じたかと思うと腕を振り上げる。ヒナノとゴウ、一族の者もその腕に引かれるかのように見上げた。そこには矢の雨が迫っていた。危機を察知した馬達は嗎き、それに吊られるようにヒナノや女児達から短い悲鳴が上がる。
「
ミズキが叫ぶとの頭上を一陣の風が走り抜けた。それは風と呼ぶより、巨大な見えない鉄槌だった。矢の雨はその鉄鎚に薙ぎ払われ、折れてひしゃげたであろうそれがどこかへぱらぱらと落下する音だけが聴こえた。
「……すごい」
ヒナノの口から感嘆の言葉が漏れた。ミズキの魔術はいつ見てもすごい。これだけ短時間で、且つこれだけ強力な魔術を行使出来る者は、一族では彼女以外にいない。
「もう一つ! 風鎚!」
吹いた風を呼び戻すかの様に、ミズキは再び風の魔術を放った。今度のそれは、矢の飛んで来た周囲の木々の上へ向けてだ。
風に打たれて木々が激しく揺れる。周りからくぐもった声や甲高い悲鳴など、いくつもの人が発したと思われる声が上がった。それは木々の上から聴こえて、地に落ちた。やはり人だ。数は百かそこらか。皆頭巾から靴まで黒い装束だった。地面に叩きつけられて動かない者も少数いたが、大半は上手く着地してこちらに向けて殺気を放っていた。この者達が矢を放ったであろうことは、つまり、一族を害を与えようとする者達であることは瞭然だろう。
「全員ウメガイを抜け!」
クレハに従い、一族皆腰に納めた刃を抜いた。それの分厚い刀身が数百と一斉に木製の鞘を擦り鳴らす様は、まるで巨大な生物の唸りだった。
センエの一族は男女大人子供も皆ウメガイを携帯している。両刃の尖った切先を持つ刀身で、長さは五寸から一尺と、持つ者の筋力、好みにより変わる。ウメガイは手足の一部として扱えるように幼い頃から肌身離さず持つように教育される。
その目的は大きく分けて二つある。一つは生活に密接したものだ。草木を薙ぎ道を切り拓くと言う力任せのものから、狩りで仕留めた獣の皮を剥ぐと言う繊細さを要するものまで、日常様々な使い方をする。
そして、もう一つ。それは自分達を害する獣や人や魔物から身を守る為だ。
今クレハが指示したのは明らかに後者の理由だ。
白刃の煌きの中にあって、ゴウだけは何も持たず拳を固めて身構えた。ふざけているのでも、他との違いを誇示して目立とうとしているのでもない。彼にはそれがウメガイより強く守る為の選択なのだ。
「術士、障壁を張れ!」
再びクレハの指示が飛ぶ。今度はミズキも含めた数十名の腕が上がり、各々術名を叫んだ。たちまち一族の隊列の足元から透明な膜の様なものようなものがせり上がり覆い尽くした。障壁は外敵と自分とを隔てて身を守る術だ。これで矢の類は通らない。
「
クレハの号令で一列だった一族の隊は、いくつかの楕円を成した鎖状の塊になった。楕円の外を主に男が固め、内の女と子供を守る形の陣だ。
その連環の陣を敷いている間に、黒装束の男達は腰元の剣を抜き放ち一族へ向けて振り下した。だが、障壁に隔てられてその刃は届かなかった。
「あいつら、一体なんなの?」
ヒナノが隣に立つ自分の母へ訊いた。
「野盗の類にしては身綺麗だわ。どっちにしても大した奴らじゃないよ。大丈夫」
大丈夫。それは単なる気休めの言葉ではない。一族には母のミズキ以外にも魔術の達人は何人もいる。大人の男達だって、女達だって武術の心得がある。
賊の刃が何度も振り下ろされ、魔術の障壁が見る間に破れていった。破れ始めるとそれはもう意味を為さない。賊が次々と障壁の内へと侵入する。
「来る!」
ヒナノがそう叫ぶ間に黒装束達の刃は振り下ろされていた。
「任せろ!」
一族の男の誰かが叫んだ。センエの一族の男達も屈強だ。あちこちで擦れ合う金属音が上がる。賊の刃を分厚いウメガイで向かい入れたかと思うと、間髪を容れず刃を滑らす様に受け流し、ある者は体軸を回転させながら肘を叩き入れ、ある者は膝を突き上げた。
「サンキ、水の型、
ゴウは呟いた。目の前でいくつもその技が繰り出されるのは壮観であった。
サンキ。センエの一族が独自に編み出した武術とされている。ウメガイの刃と、自らの手足も武器とする。一族の生活環境である山の自然の力を模しているとされている。山間を吹き抜ける風の如く素早い動きで放つ「風の型」、全てを支える地の如く力強く技を放つ「地の型」、そして全てに染み入り流れる水の如くしなやかに放つ「水の型」。その三つの型から成る武術である。
一族の強さはこの磨かれたサンキにあった。その技の前に黒装束の賊達は圧倒されていた。
「
一族でも指折りの猛者の男が深く息をする。ゴウの眼にはその者の纏う空気が揺らいで見えた。そして、男が一つ踏み出したかと思うと、風の如き疾さで黒装束の間を駆け抜けた。刃の残影が閃いたかと思うと、黒の賊達は遅れて崩れ落ちていった。
「……氣法」
それは魔術と対を為す、風火地水氣の五元素を操る法だという。だが、センエの一族では子供や鍛錬の足りない大人にもそれは教示されない。もちろんゴウも、一族の猛者が使うのを見るばかりで、氣法とは何なのか知らさせていない。ただ、それを振るえば身体の力が大きく跳ね上がるとは分かる。
ゴウは一族の長へ目を向けた。クレハはセンエの一族でも最強の氣法の使い手らしい。何か掴めるかもしれない好機だ。ゴウは、婆の指先の動きから呼吸の一つに至るまで逃すまいとした。
老いたはずの使い手の強さは別格だった。
「水の型、
賊が攻撃を加える刹那に懐へ飛び込み、軽く刃を当てる。ただそれだけで、賊の体を葉っぱのように吹き飛ばしている。ゴウは訊いたことがある。水鏡は相手の力をそのまま返すと。クレハがそれを軽く為しているように見えるが、そんな芸当はこの長にしか出来ない。
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