『月島零士の空暦』
福岡辰弥
『黒澤温泉街の蛇』
迷子の少女に両目を隠されてしまった。『
あまりに突然の出来事で、視覚と聴覚に
露店と露天風呂が一緒くたになっているのはきっと
鈴の音が止まると共に、「ここだよ」と声がした。声がしたところまで向かうと、「私の家だよ」と少女が言った。「迷子だったんじゃないのかい」「そうだよ」「一人で帰れたじゃないか」「お兄さんのおかげだよ」お兄さんは私である。どういう意味か訊ねる前に、それが私の両目による
どうにも音を察するに、この辺りは民家の集まりであるようだった。温泉街はとうに終わっていたらしい。「ごめんください」と言うが「誰もいないよ」と少女は言った。しかしすぐに「返事の出来る人は誰もいないよ」と言い直した。少女の小さな手に引かれるままに屋内を歩いて急な階段を上がっていく。「階段を一段上ったら、もう底は
二階は畳の感触があった。「お母さん」と少女が言った。声はしなかったが気配と気が感じられた。どうやら母親がそこにいるようだ。「寝たきりなの」と少女は言った。
万年床の上に裸の女性が横たわっていた。とても若い。私とあまり歳は変わらないだろう。肩に
鱗から察するに蛇の呪いであることは明白だ。私は蛇の対峙は過去に二度経験がある。一度目は
「蛇はどこだい」私は訊ねた。「屋根裏にいるよ」それは当然と言えば当然の
屋根裏へは二階へ上がるよりもさらに急な階段があった。人一人分の幅しかない階段である。蛇はここを通じているようだ。蛇という生き物は
「随分と好き勝手しているようだ」
私の声で目を覚ましたようで、今まで眠っていた蛇はごろりとこちらを向いた。大蛇と呼ぶほどの大きさはない。しかし力が強そうだった。目つきが悪い。
血の気の多い蛇はさっと起き上がったかと思うと、私の周囲をぐるりと取り囲んだ。蛇に締め付けられたら最後、人生は絶える。私はハッと飛び上がり、蛇の収縮を上に回避した。そのまま部屋の隅に逃げ込む。蛇と対峙する場合においては、一見追い詰められるように見えても、部屋の隅に逃げ込んでしまった方が良い。蛇の攻撃は主に締め付けるのと睨み付けるのと噛みつくのしかない。このうち一つは私には効果がなかったし、もう一つを封じてしまうことが出来るのだ。しかし必然、私は蛇に追い詰められる形になった。丸腰なのだから仕方がない。無鉄砲も良いところだろう。もし次回があれば、このようなことがないように反省したい。「
一階に降りると、万年床で、まるで死んでいるようにしていた母親が、私に向かって土下座の姿勢を取っていた。「どうぞお顔を上げてください」そう言って、体液を母親の肩口や首元に塗り込んでやる。蛇の鱗はみるみるうちに溶けてなくなってしまった。「ありがとうございますありがとうございます」母親は緊張でもしているように、繰り返しお礼の言葉を口にした。少女の方はと言えば、「お兄さんありがとう」と鈴を鳴らしただけだった。しかし私には心地良い響きだった。「ずっと蛇に取り
「
足湯の辺りまでやってくると、温泉街の活気が戻って来た。「お兄さんはどこに泊まっているの」「
行きに会った二人の女はまだ水気を拭いていた。美人が二人だった。「もし」女が口を利いた。「お兄さん、どちらへ?」「
「さようなら鈴子」
私が部屋に戻ろうとすると、女将がやってきて、「お散歩はいかがでしたか」と訊ねた。緊張した面持ちだった。
「狐の面屋に勉強させられまして」
「そう。お面はどちら」
「こいつです」
持っていた面を見せると、女将はほっと胸をなで下ろした。
「どうもね、坂を下ったところにある民家で、殺人があったみたいで。ろくでもない亭主だったもんですから、殺人自体は別に大したことじゃないんですけれど、問題なのは誰が殺したかってことですよ。ここは旅の人が多いですからね、あたしゃ心配していたんです。どうも犯人はお面をしていたって。それがねえ、黒い狐のお面だったと言うんです。でも、お客様のは白いですもんね。ええ、もちろん、疑っているというわけではないんですよ」
私がふんふんと話を聞いていると、女将の元に従業員の一人がやってきて、新情報だと騒ぎ立てている。私も一緒になってその話を聞いた。
「大変ですよ女将さん。なんでも、『
「まあ。ねえお客様、どうかこれからはお外に出ないようにしてくださいましね。お外になんか出なくたって、温泉でゆっくりしていれば良いんですから」
「そうですな。そうさせてもらいます」
部屋に戻らずそのまま温泉に向かって、裸になった。私の体は、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます