第10話
シュトゥルの微笑みが凍りついていて、ただただ恐怖を植えつける。リヴは背後で手をぎゅっと握りしめてシュトゥルの顔を見つめる。
「渦が暴走してしまって。知らない場所に飛ばされてびっくりしましたが、無事戻ってこれたみたいです」
「その割には時間がかかるんだな」
「……初めて、ニホン以外の国をこの目で見たのでしばらく呆然としてしまったんです。すみません」
リヴは丁寧に頭を下げる。シュトゥルからは何も聞こえてこない。ロウやコーラウからあんな話を聞いた後じゃ、シュトゥルから発せられる一つ一つの言葉が楔のようにリヴに突き刺さっていくのを感じる。
「……そうか。そんな調子では仕事もまともにできぬぞ。早く慣れるのだ」
シュトゥルはリヴの肩にその大きな手のひらを乗せるとその先にある椅子に腰かけた。その闇のように黒い瞳の中に映る自分が、何より暗闇に囲まれていてリヴは視線を迷わせる。
「ワシらは家族同然。永遠に一緒なのだから、仲良くしていたいだろう?」
肘をつきながら伺うように言うシュトゥル。マインドコントロールされているかのように、リヴはそれにうなずくことしかできなかった。
「明日はロウと共にE世界での仕事を与えた。頑張りたまえよ」
シュトゥルの言葉にまた頷いたリヴはそのまま扉を開けて自分の部屋に戻った。
リヴはふと自分の手のひらを見つめる。本当に自分は死んだのだろうか。おかしな疑問を抱く。確かに死んだ。だからここにいる。あのとき、殺されたから。
部屋に花が飾ってあるが匂いがしない。でも、死者に近づくと色んな匂いがする。臭かったり甘かったり苦かったり酸っぱかったり。それが死者の死んだときの感情だと言っていた。
生きているようで死んでいる。でも明らかに死者たちとは異なっていて。
今、自分は何者なんだろうか。
翌日。スマホのスケジュールを確認すると今日の仕事の振り分けにリヴ、アシャ、ガレイと書かれていた。リヴは自分の詳細を確認する。E世界 ディーック 宵月八分目一刻 ノルマ五十人と書かれていた。時計の画面を開いてE世界のディーックの時刻を設定する。
現在ディーックでは宵月七分目八刻であるらしい。時計の形がリヴがよく目にしていたものとは全く違っていて読みにくい。目盛りが二十四個あったことから、仕事開始まで推測しながら生活することにした。
お風呂に入っても何か物を体に入れても目を閉じてみても、このわだかまりみたいなものは消えてくれない。気持ち悪いほどに渦巻いていて、でもそれを感じ取る心がないからそれらが全部闇に吸い込まれて。それの繰り返し。それが何とも不快。
リヴは結局だらだらとした時間を過ごし、仕事開始の時間が近づいていたのでシュトゥルの部屋に向かう。
だが、そこにはシュトゥルだけでロウの姿が見えなかった。
「あれ、ロウさんは」
「ロウならもう先に向かっている。あちらで合流すると良い」
リヴは微笑んで言うシュトゥルに頷くと扉を開けてE世界に向かった。
E世界はA世界ともB世界ともまた違った世界だった。浮いた提灯があちらこちらにあって石の道がずっと続いている。洋というより和を感じさせる世界だ。上には茜色の空が広がっている。
「リヴさん、よかった」
辺りを見回していたリヴの背後から声をかけて現れたのはロウだった。リヴはそのロウのその姿を見て目を見開いた。
右腕がなくなっている。
「腕は、どうしたんですか……?」
「あ、ああ。シュトゥルからの罰です。初めて罰というものを受けました。腕を奪われるんですね」
ロウは微笑みながら言う。それが何とも気味悪い。
「罰……どうしてですか。だって、ロウさんは昨日仕事をしていたはずなのに」
「シュトゥルは、あの世界の王と思っておいた方が良いですよ。逆らったら、命はないと。腕だけで済んだのが幸いでした」
「命って、私たち死んでるんですよね。……ごめんなさい、分からないことだらけで。質問ばかりしてしまいました」
リヴはその探究心を殺すように俯くとそのまま歩き出した。ロウと一緒にいると、なんだか変なのだ。しばらく感じていなかったものを、自分を動かす心があるように感じて。それが、とてつもなく不愉快で。
少し振り返って後ろにいるロウを見ると困ったように眉を下げて微笑んでいた。どうして、そんな顔をするんだろうか。
リヴが立ち止まってそのままロウを見つめているとロウはだんだんと近づいてなぜかその場で立ち止まる。いつもはこの近さになったら頭を撫でるのに。
リヴははっとして上を見上げる。
「……どうして。どうして泣いてるんですか?」
リヴの淡々とした問いかけにロウは恐る恐る自分の頬に触れる。冷たい涙が自分の頬を伝っていて、それに驚いたように動きを止めた。ロウの目から流れる涙は止まらない。
リヴはそのままロウの零れる涙を拭う。ロウの頬はリヴの冷たい指が温かさを取り戻すくらい、温かみを含んでいた。
「はは、シュトゥルも趣味が悪い」
ロウは笑いながら吐き捨てるように言うとリヴに微笑みかける。先程の涙はもう消え去っている。リヴは手を引っ込めてロウの顔を見る。
「仕事しましょうか。今日は五十人ですから骨が折れますよ。頑張りましょう」
ロウはそう言い、リヴと共に歩き出した。
リヴは思っていた。一体ロウは何者なんだろうか。誰よりも長く一緒にいるのに何も知らない。どの世界から来て、どんな人生を歩んで。どうしてここにいるのか。何も。なぜ、コーラウがロウと関わるなと言ったのか、理由が分からないからまだ誰も何も信じられない。
生きていたときにあった心があったら、今頃自分は何を思って誰を信じて、どう行動していたのだろうか。今の自分は、かつての自分と体が一緒なだけで全くの別人のようだ。
リヴとロウは手際よく死者を外に案内する。ノルマ五十人が多く感じたが実際そんなことなかった。これでは前回と同じくすぐ終わってしまいそうだ。
「私は、特殊な人間なんです」
茜色の空の下、今まで特に何も言わなかったロウはぽつりと呟く。
「シュトゥルさえ知らなかった世界の人間なんです。シュトゥルは、いや王は私を飼い慣らすことができなかった」
「シュトゥルさんが知らない、世界?」
皆が実際何と呼んでいるのか分からないがリヴの知ってる言語で世界はアルファベットで表されている。恐らく世界はAからZまであるのだろう。あの幻想世界がZ世界なのだとしたら、ロウの世界は何と言う世界なのだろうかと思う。
「シュトゥルは力を使ってたくさんのA世界のコピー世界を作りました。絶望して死ぬ人間を見つけてはその魂をZ世界に持ち運ぶ。その人間には自分の力を分け与えて、死神の誕生です」
ロウは自分の腕を広げて自虐するように嘲笑う。
「私はシュトゥルによって出迎えられた人間ではない。Z世界にいた人間なんです」
「は?」
リヴは足を止めてロウを見つめる。Z世界は、シュトゥルが作り出したものではないのだろうか。
「Z世界は幻想世界だと説明しましたね。シュトゥルはずっとこの世にはA世界しか存在しないと思ってたんです。だからコピー世界を作り出し、自分こそが絶対的な力を持つ王になると。ですが、実は世界は一つではなかった。Z世界というものがA世界のウラに存在していたのです」
突然の多大な情報にリヴの頭はパンクしてしまいそうだ。つまり、どういうことなのだろう。ロウは、何者なのだろう。
「Z世界は唯一シュトゥルの力が行き届いていません。この世に陰と陽があるように。Aが陽でZが陰の役目を果たしていました。シュトゥルがこの世で希望を与える人間なら、私はこの世に絶望を与える人間」
そう説明するロウの瞳は暗闇に包まれている。それは確かに絶望した人間の特徴。リヴは何も分からない。目までもグルグルとしてきて、視界がぼやける。
「おや、すみません。一気に話しすぎましたね。シュトゥルにもう一つの腕も持っていかれそうなのでここまでです。闇はどこまでも果てしない。人も同じ」
ロウはそう言うと今まで流れていた重い空気が流れていくように冷たい風が辺りを強く吹き上げる。
茜色の空が冷たく見えたのは、この世界が偽りだからだろうか。
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