お掃除をしていたら幸せになった、片付け下手なOLさんのおはなし

石河 翠

第1話

「ない、ない、見つからない」


 佳苗かなえさんは、散らかり放題の部屋を見て頭を抱えてしまいました。お部屋の鍵が見つからないのです。せっかくお出かけするつもりで準備していたのに、戸締りができなければ外出なんてできません。


「確かに昨日テーブルの上に置いたはずなのに」


 テーブルの上をひっくり返してみても、どこにもありません。


 コートのポケットを探しました。

 見つかりません。


 カバンをひっくり返しました。

 見つかりません。


 アクセサリーケースも確認しました。

 見つかりません。


 玄関の下駄箱の上も、洗面所も、ベッドの下も、洗濯機や冷蔵庫の中だってのぞいてみました。

 やっぱり見つかりません。


 まったくもっておかしいのです。

 いくら佳苗さんの部屋が散らかっているとはいえ、普段使うものくらいは決まった場所に置いています。忽然と、神隠しのように姿を消すはずがないのです。そうたとえば、いたずら好きの妖精さんがこっそり隠してしまったりしない限りは。


「お掃除妖精さんめ。家が散らかっていても別に死にはしないじゃないの」


 文句を言いつつ、佳苗さんは腹をくくりました。可愛らしいワンピースを脱いで、汚れても良い格好に着替えます。長い髪もひとつにまとめて、ピンでとめました。ついでとばかりに窓も開けて、換気もばっちりです。


「さあて、やりますか」


 誰に聞かせるでもなく宣言すると、佳苗さんは腕まくりをして大掃除を始めることにしました。



 ********



 佳苗さんは片付けます。慌ててはいけません。ひとつひとつ、着実にこなすことが肝心なのです。


 まずはものが溢れていたダイニングテーブルです。出しっぱなしにしていた本や書類、積み重ねられた資料は、ファイルに分けて本棚の中にしまっていきます。あっという間にテーブルの上が広くなりました。


「電子ファイルも便利だけれど、チェックするときは印刷した方がやりやすいのよね」


 次は、ソファの上に置きっぱなしになっている洗濯物です。ここ数日残業続きで、洗濯はしたものの、乾燥機から取り出した後はそのままになっていたのです。


「全自動って名乗るなら畳んで引き出しにしまうまでやってほしいわ」


 タオルに靴下、カットソー。広げて畳んで引き出しにしまって。みるみるうちに洗濯物の山は消えてなくなりました。


 さて、今度はお風呂場です。


「鍵探しにお風呂場とか関係ない気もするのよねえ」


 佳苗さんはマスクにゴム手袋をつけて、お風呂場の壁に塩素系スプレーを吹き掛けていきます。黒くなってしまったタイルの目地も白く輝くことでしょう。普段は手が届かない天井も、脚立を使って磨きあげました。


 濡れた手足を拭いて佳苗さんは、台所に戻ってきました。そのままストック棚をチェックします。ありがたいことに、賞味期限切れの食品はないようです。換気扇のシートや、油はねを防止するために壁に貼っていたフィルムを取り替え、水切りかごに漂白剤を入れて消毒しました。


 気がつけばお昼ご飯の時間はとっくに過ぎています。


「何か食べるもの、あったかなあ」


 佳苗さんは冷蔵庫の掃除を兼ねて、余り物チャーハンを食べることにしました。



 ********



 佳苗さんがチャーハンを食べていると、インターホンが鳴りました。そこにいたのは、会社の後輩くんです。子犬のようで可愛らしいと、に人気があります。


 画面越しに「お土産を持ってきました!」とアピールする姿を見て、佳苗さんは仕方なく彼を家の中に入れてやりました。


「ちょっと、急に来られても困るんだけれど」

「先輩、いつも散らかってるから家に来るなって言ってますけど、家の中めっちゃきれいじゃないっすか」

「たまたま、大掃除しただけ」

「俺とのデートすっぽかして?」

「デートじゃなくって、忘年会の買い出しね。ごめんなさい、お掃除妖精さんに鍵をとられたの」


 佳苗さんは、肩をすくめました。後輩くんは、目を丸くしています。


「お掃除妖精さん? それって『小人の靴屋』みたいに、夜寝ている間に掃除してくれてる的な?」

「そうじゃなくって、夜寝ている間に大事なものを隠されて、仕方なく家中の掃除をしながら捜索する感じね。最終的に家は片付くし、探し物も見つかるんだけれど」

「なにそれ、めっちゃ厳しいじゃないですか」

「そうなの、うちのお掃除妖精さんって、わりとスパルタなの」


 佳苗さんは、今までのことを思い出して口角を上げました。


 もともと佳苗さんはお掃除が苦手なのです。


 佳苗さんのお父さんとお母さんは、佳苗さんが高校生の時に離婚してしまいました。そして少しばかりのお金を残して、ふたりともいなくなってしまいました。


 それ以来佳苗さんはずっとひとりで暮らしてきました。家の中が散らかっていたところで、誰も困らなかったのです。


 気がつくと部屋中にものがあふれ出しています。そしていよいよもって家の中に空きスペースがなくなると、佳苗さんの大事なものが見つからなくなるのです。


 なくなるものは毎回違います。


 お財布のときもありました。

 携帯電話のときもありました。

 会社の社員証のときもありました。


 家中の片付けを終わらせると、散々探した場所からその失くしものは見つかりました。最初からここにありましたよと言わんばかりの素知らぬ顔で。


 お財布は、カバンの中で見つかりました。

 携帯電話は、玄関の下駄箱に立てかけられていました。

 社員証は、スーツを掛けたハンガーに一緒にかけられていました。


 どうやらお掃除妖精は、家が散らかっていることが許せないらしいのです。日頃の鬱憤がたまっているのでしょうか。一箇所きれいにしたところで、探し物は見つかりません。食器棚の中、衣替え用の洋服タンスの中まで全部ひっくり返し、整理してしまうまで許してもらえません。


 佳苗さんは何かがなくなるたびに、お掃除妖精さんに、いい加減にお掃除をしなさいと叱られているのだと思っています。お掃除妖精さんは、佳苗さんにとって家族のような存在なのでした。



 ********



「お掃除妖精さん、めっちゃすごいっすね。一家に一台、お掃除妖精!」

「いや、探し物させられるより、自動で掃除してくれる家電の方がいいわ。まあいつもの我が家じゃ、お掃除ロボットが動くための通路が確保できないんだけれどね」


 久しぶりに可視面積の上がった床を見て、佳苗さんはため息をつきました。


 すると後輩くんは、目をキラキラさせながら、佳苗さんの手をとりました。


「じゃあ先輩、俺とかどうっすか? 家事全般は仕込まれてますんで、俺と結婚してくれたら、全部まとめて俺がやりますよ! もうお掃除妖精さんに、大事なものを隠されなくてもいいっすよ!」

「!」


 真っ赤になった佳苗さんの後ろで、ちりんと何かが音をたてました。さんざん探していた鍵が、澄ました顔でテーブルの角に引っかかっています。


 テーブルが揺れたせいでしょうか、佳苗さんの鍵についていた鈴のチャームが鳴ったのです。それはまるでお掃除妖精さんが、佳苗さんにおめでとうと言っているようでもありました。



 ********



「ない、ない、見つからない」


 困り果てたような声が聞こえています。

 そこには、やっぱり腕まくりする佳苗さんの姿がありました。けれど、頭を抱えているのは佳苗さんではありません。佳苗さんによく似た女の子が、涙目で引き出しに頭を突っ込んでいます。


「きらきらシール、ちゃんと引き出しにしまっておいたのに」

「あらあら、お掃除妖精さんが持って行っちゃったみたいね。仕方がないから、お片付けしながら一緒に探しましょうか」

「うん」


 佳苗さんが後輩くんと結婚したあと、お掃除妖精さんはターゲットを佳苗さんから、佳苗さんの娘さんに変えたようです。佳苗さんの娘さんはおもちゃや文房具を、しょっちゅう部屋の中でなくしてしまいます。


「もう、妖精さんったら!」

「頑張ってみつけようね。これが終わったら、パパの特製オムライスが食べられるよ」


 頬をふくらませて怒っている女の子を見ながら、佳苗さんはごみ袋を手に取りました。


 佳苗さんのおうちは今でもちょっぴり散らかっています。けれど、かつて佳苗さんが暮らしていた部屋とはどこか雰囲気が違うのです。誰かと一緒にするお片付けは、佳苗さんが思っていたよりもずっとずっと楽しいものでした。


 雪が降る冬の日、家族の声があふれる家の中は不思議なほど暖かくて気持ちがよいのでした。

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お掃除をしていたら幸せになった、片付け下手なOLさんのおはなし 石河 翠 @ishikawamidori

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