たぶんありふれたもの
牧瀬実那
父のこと
父が死んだ。
喜寿を目前にした年の始めのことだった。
死因は心臓発作。
製造の自営業だったため、高齢にも関わらず長時間働くなど不規則な生活を送っていたのが祟ったのだろう。疲労の蓄積された体は、十分に温められた脱衣所や浴室を介しても入浴による急激な温度差に耐えられなかったようだ。
酒はあまり飲まない方だし、脂ものが受け付けなくなって久しくても、睡眠や運動量などの基本が崩れていれば仕方ないとも思った。
むしろガンなどで長期入院の果てに、ではないが意外にすら思えた。若い頃は煙草も吸っていたのに肺も含めて内臓は綺麗だったと後から母に聞いた。
父の生前の希望により、葬儀はごく小規模で執り行われた。祖父のように数人の僧侶がバンドのごとく合奏することもない。また見たいとどことなく期待していた私は、不謹慎ながら少しだけ残念に思った。
葬儀中、私は涙のひとつも溢れなかった。
母を支えなければならないと気を張っていた面もあるけれど、父の死をどこか他人事のように感じていたのも大きい。
私は父とあまり相性が良くなかった。
嫌いというほどではないが、好きとも言い難い。
父が厳しかったわけではなく、本はもちろんゲームなども頼めば買ってもらえたし(ゲームに関しては父が意外とハードに興味があったからでもあるが)、けっこう頻繁に旅行や遊園地にも連れて行ってもらった記憶もある。むしろどちらかといえば甘やかされて育った方だ。
父自身、性格も悪くなく、ごく普通の人だった。
だから、本当にただただ相性が悪かったとしか言いようがない。
例えば煙草。
かつて父は、ドライヤーのある部屋で煙草を吸っていたので、せっかく綺麗に洗った髪に煙草の臭いがついてしまうのが嫌で仕方なかったし、文句を言っても聞いてくれなかった。
例えば外食。
自ら配達もしていたのもあり、父はかなりの早食いだった。子供だった私は父に比べて圧倒的に食べるのが遅く、よく父を苛つかせていた。
それに特に悪くない店員さんの粗を探して愚痴るので、恥ずかしくて仕方がなく、あまり一緒に外食に行きたくなかった。
その他、色々。
歳を取るごとに、お互い少しずつ丸くなっていったとはいえ、父に対する不満は根強く細かく積み重なって、私の上京を期に、次第に疎遠となっていった。
不満と疎遠は態度にも表れた。特に意図したわけじゃなかったけれど、思い返せば、連絡もプレゼントも、母へより父への方が圧倒的に少なかった。
存外、自分は薄情なのかもしれないな。
と、父が荼毘に付されている間、ぼんやりと思った。
葬儀や手続きが一通り終われば、あとは遺品整理が待っている。
従業員や店、工場の今後を話し合わなければならない母と、継ぐ気はないが一応顔を出す弟に先んじて、父の私物を検める係となった。
といっても父の私物はあまり多くない。
仕事が趣味のようなものだった父の私物は、ほとんどが仕事に関連するものばかりだ。大体が処分か、よくて工場の片隅にでも置いておけばいい。
昔はあったはずのビートルズのCDやらゴルフ道具やらなんやらは、とうの昔に処分してしまったらしい。
ただ死が先に来てしまっただけで、もしかしたら終活も始めていたのかもしれない。
知らないけど。
あらかた仕分けた後、アルバムの整理に取り掛かる。
処分するわけじゃないけれど、母ひとりになった今、いつなにがどうなるかもわからない。
今のうちに古い写真はデータ化してバックアップを取っておくのもアリかもなぁ、と考えながらアルバムを取り出していると、ふと違和感に気が付いた。
アルバムが、最後に見たときよりもひとつ増えている。
携帯電話やデジカメが充実し始めた頃から写真はもっぱらデジタルで撮影し、プリントアウトすることなんてなかったはずなのに。
実は父が写真を趣味にしていた……なんてことはなく、増えたアルバムにはこれまでデジタル撮影した写真が、きちんと写真としてプリントアウトされて納められていた。
最新のパソコンやスマホにはどういうわけか疎かった父だ。
きっとどこかでデータが無くなってしまわないように、もしくは眺めるのに手間取らないように、知り合いの写真屋に依頼して作成したのだろう。
写真にほとんどが、近年の家族旅行のものだった。楽しそうな父と母、それに弟がよく映っている。
私が映っているものは少なかったけれど、これは歳を取るごとに写真に映るのが嫌になった私が、撮影者になることで意図的に映るのを避けていたからだ。
だからまるっきり自業自得なわけだけど、まるで私と家族の仲が悪いような写真ばかりになっていて、なんとなく居心地が悪かった。
母が寂しがるので、これからはもう少し撮っておくか……と考えながらページを捲っていると、一枚の写真が目に付いた。
父と私が桜を背景に並んだ写真。
桜は東京の祖母の家にあったものなので、おそらく大学を卒業した直後くらいの写真だろう。
写真の中の私はあまり晴れやかな顔をしていなかった。
――そういえば、このときに父に頭を撫でてもらったような
ひとつ思い出すと、連鎖的に記憶が蘇る。
新卒の就活に失敗した私は、ひとまず祖母の家に身を寄せることになったので、父と母が挨拶やら引っ越しやらで何日か上京していた。
父と母が帰る前の日、就職できなかったことで精神的にかなり不安定になっていた私は、心配するふたりに対してヒステリックに叫んで布団に閉じこもってしまった。
翌朝、少し落ち着いて気まずそうにしている私の頭を、父が不器用に撫でて慰めてくれた。
ほとんど頭を撫でられたことのなかったので、居心地の悪さや父の優しさや、様々な感情がごちゃごちゃになってしまい、思わず大泣きしてしまった。
泣くのを我慢するクセがあった私は、声を抑えようと必死で、ぐちゃぐちゃの、とてもひどい顔になっていたと思う。
それでも父は何も言わなかった。
写真はその後、両親が帰る前に撮った。
明るい顔をしていなかったのは、泣いた後だったせいだろう。
ただそれだけの話である。
その後、父に対して連絡の頻度が増したとかは無かったし、そもそも出来事自体、今まで忘れていたくらいだ。
けれど不思議と、「私は思うほど父と疎遠になっていたわけじゃないんだな」と思わされたのは、桜の写真だけだった。
「……はは」
なんだか拍子抜けしてしまい、小さな笑いが口から溢れた。更に追いかけるように、胸にこみ上げてくるものがあって、私は父が死んでから初めて涙を流した。
相変わらず声を抑えようと顔をぐちゃぐちゃにして、しばらく泣くことになった。
これをきっかけに私の心境に劇的な変化があったなら、もしかしたら感動的な話だったかもしれない。
けれど、現実はさほど変わらなかった。
父の印象は相変わらずややマイナスの割合が多めだし、一念発起して父の事業を継ぐ!ということもない。
私は特に変わらずに生きている。
ただ、父の墓参りに帰省する頻度は少し上げようかな、と思うようになった。
それもどちらかといえば、母の顔を見るのが主目的で、墓参りはついでのような気がするのだけど。
きっとこの先も、私はそんな感じで生きていくだろう。
人生とは案外、そのようなものなのだから。
たぶんありふれたもの 牧瀬実那 @sorazono
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