第9話「厳つきヒュドラの慈しみ」

「化学の元素の周期表において、左端はアルカリ金属に分類されますが、例外があります」

「何ですか?」

「上端の水素です。左端のうち、水素だけは金属でないのです」

「言われてみれば、そうですね」

「しかし人工的にも難しい高温高圧により、水素の原子核と電子が分離し、金属になる理論があります。完成すればリニアモーターカーなどのための、電気抵抗ゼロの超伝導状態を低温でなくても実現出来る、ロケットのための、通常の水素より効率の良い燃料になる、軽量の金属や燃料に出来る可能性があります。しかしその達成がきわめて難しく、一瞬発生したかの確認も困難です。けれども木星と土星の内部では、液体水素が金属となり、異常な磁場を形成しているとも推測されている、いえ、されていました」

「過去形なのですか?」

「我々の研究チームは、その磁場を分析することで、驚くべき信号を発見しました」

「信号、ですか?」

「木星と土星のそれらの金属水素は、我々の知らなかった流体力学や量子力学、熱力学、電磁気学の現象で独自の構造を形成し、磁場の発生だけでなく、生命に匹敵する自己組織化を行い、知能まで得ていたのです。生命の特徴の1つとして、熱力学ではエントロピーという数値を低く保つものがありますが、彼らはそれを続けて、情報を形成します。彼らは水素のみで構成された、液体金属生命であり、既に交信済みです」

「そんな、信じられません!彼らは宇宙人なのですか?」

「これまで宇宙生命や知的生命の存在を推測するアストロバイオロジーでは、あくまで炭素をもととした有機生命を想定していたので、その環境や条件はきわめて限定されていました。しかし超高温高圧条件により液体金属が生命になると発見された今、生命の定義も、それが見つかる条件も、飛躍的に広がったのです!」


 これが招く被害を、誰も、金属水素生命ですら予測していなかった。


 彼らの一部は3匹の蛇のような姿になり、三次元の木星と土星の内部をうごめいていた。人間の三半規管のように、立体的な構造で振動を感じ取り思考するとされた。

 水素の英語「hydrogen」の頭に通じるギリシャ神話の水の神、多頭の蛇「ヒュドラ」から名付けられた液体金属水素生命、木星人及び土星人、「メタルヒュドラ」は、人間からの交信を警戒こそしたが、あまり利害が対立しないために、積極的に情報を送り込んだ。金属水素生成のための方程式などだ。


 しかし、その方程式は、量子力学、電磁気学、熱力学によるきわめて複雑なものであり、彼らにとって常識でも、人間には多くの頭脳でもコンピューターでも難しかった。彼らは誠意をもって伝えたが、巨大な体と未知の組織、そして大量の電流の能力を持つ彼らにたやすく出来る計算が、人間にはどうしても追い付かず、未開の種族であるかのように人間達は焦った。

 人間から試しに送られた高度な暗号まで読み解くメタルヒュドラに恐怖した一部の人間が、あるとき送った。「我々は理解してほしくない」と。

 その表現にメタルヒュドラは混乱した。「理解してほしくない感情を理解してほしいのか、それは矛盾していないか」と。

 その「拒絶」や「矛盾」を模倣して、「秘密」を学んだメタルヒュドラは、元々の研究所に隠れて、一部の人間にだけ信号を送り込み、社会や環境を混乱させ始めた。それが人間にとって有害だと理解し切れずにだ。

 地球で、ギリシャ神話のヒュドラのように複数の頭を持つところから名付けられた刺胞動物門の、クラゲに近い水棲生物のヒドラは、切り刻まれても再生する生命力を持つ。

 また、ヒドラと同じ刺胞動物のサンゴは、海の流れに任せて浮遊することもあるが、クローンが集まり海底に固定されたポリプの状態になる。

 また、この時代には人間による地球温暖化などにより、海のクラゲが大発生していた。

 地球生命のヒドラに興味を持ったメタルヒュドラは、その再生能力と、同じ門のクラゲやサンゴのふるまいを利用した。

 人間の一部の研究所や国家機関のシステムをハッキングし、ヒドラを遺伝子組み替えし、膨大な分裂を繰り返し、クラゲのように海で大発生するようにした。さらに一部をサンゴのようなポリプにして、改良したヒドラ達の集まりが、コンピューターのように情報を交換し合うようにした。ヒドラから始まる刺胞動物ネットワークにより、巨大な自分達の分身を、メタルヒュドラは作り出したのだ。そこから人間の研究機関を通じて情報を受け取り、ただ地球を理解するために。

 生態系への影響も大きかったが、メタルヒュドラに破壊するつもりはなかった。そもそも液体金属生命の彼らには、有機生命の人間などの恐怖や痛みを理解出来なかった。動物のほとんどは再生能力が低く、植物は運動能力が低い。自在に動き、再生出来る動物のヒドラなど、ごく一部の生命の方に馴染みを感じた。

 その状況把握の難しい中、ただ「人間や地球を理解したい」、「理解してほしくない拒絶の感情を模倣する」2つのせめぎ合いが、コンピューターのバグとも言える行動になったのだ。

 化学や生物学への理解は乏しいものの、熱力学や流体力学を人間より深く理解するメタルヒュドラは、温暖化や海流の変化をある程度予測して、刺胞動物の大発生を調整出来る。

 6本の触手を持つ六放サンゴの構造を利用した、3本の触手を持つ改造刺胞動物が現れ、メタルヒュドラの3つの頭を模した姿になった。

 「いかづち」の語源は「いか」だとされ、「磁石」の語源は、引き寄せ合うことから、「慈しむ石」だとされる。

 電磁気を司る彼らは、厳つい雷の精霊のようなメタルヒュドラは、ただ人間や地球生命に近付きたかった。それが彼らにとっての「慈しみ」であり、ただ理解したい、模倣したい感情が、果てしない混乱を招き始めた。




 

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