第2話「孤独な蛇はいずこを」
私は取り返しの付かない、本当に付かない過ちをしました。
私は物理学の分野で、時間反転対称性を研究していました。
重力で物体が落ちる、静電気や磁力で物体が引き寄せ合うなどの現象は、巻き戻しても成立する、時間反転対称な例です。一方、摩擦熱などの、エントロピーを増大させるのは巻き戻せない、非対称な例です。
さらに私は、エントロピーと一致するとは限らない、3体運動と液体乱流と素粒子の対称性を調べました。
2つの物体の間の重力での運動は対称ですが、3つ以上の運動に、時空と重力の関係を表す一般相対性理論を持ち込むと、距離を時間で微分した速度の奇数次である力、時間を反転するとその力も反転する部分が発生して、巻き戻せなくなります。エントロピーとの関連は未知ですが。
また、液体の動きはきわめて複雑ですが、きわめて狭い部分だけを追いかけるラグランジュ乱流は対称、可逆で、全体の動きと位置を計算するオイラー乱流に関わるナビエストークスの式は、色の異なる液体の混合のように非対称、不可逆のようです。つまり、単独の部分では巻き戻せる動きが、複数では巻き戻せなくなるようです。
さらに、量子力学で光や電子の波のエネルギーや位置を扱うと、時間反転対称性、t対称性が議論され、時間をさかのぼる粒子があるか問題になります。
エントロピーの増大にせよ、3体運動にせよ、量子力学にせよ、乱流にせよ、粒子の集合に時間反転の鍵があるようです。
私はこの3つの例から、悔やむべき実験を行いました。
私の理論では、電子と同じ質量で電荷が逆の陽電子が時間反転対称性に関わります。さらに私の所属する研究所が月へ送った探査機を用いて、太陽と地球と月から探査機にかかる重力のうち、時間反転非対称な部分のみを検出させました。巨大な水槽に、その非対称な重力に応じた強さの陽電子ビームを当て、それによる反応を調べました。
しかしそれだけでは飽き足らず私は、その装置の電流と、自分の脳波を共鳴させる、脳と機械を繋ぐブレイン・マシン・インターフェースを試しました。
そして恐ろしい結果になりました。いえ、最初からなっていたのかもしれません。
脳波と陽電子と天体の重力と液体乱流を組み合わせた実験をしばらく続けて、私は違和感に気付きました。過去の音や映像が僅かに感じられるのです。それを考え合わせたところ、私の脳細胞の1つずつが、素粒子によって情報の単位で時間をさかのぼっているようです。
確認しようと、その過去の一部に意識を集中させたり機器を調整して探索したりすると、その度に過去の重力や流体や素粒子に情報やエネルギーとして影響を及ぼします。万が一過去の人間や生物に影響すれば、歴史を変えてしまう可能性があります。
というより、既に変えたのがこの歴史かもしれません。理論上、装置を止めても、私の脳細胞が誕生する前にさかのぼっても、脳細胞と共鳴していた素粒子は消滅せず、それどころか余計に制御出来ないエネルギーと意識の塊として動くようです。
私の脳細胞1つ1つが、時間の流れを逆向きにさまよっています。歴史上のいつのどこに干渉するか分かりません。永久に時間の流れの「地面」を離れて逆に飛んで行き、その孤独に耐えられず、いつどこに「着陸」して歴史を狂わせるか、これを書いている私にも分かりません。過去に出任せにビームを撃ったとも言えます。
巻き戻せる粒子や物体を複数組み合わせると巻き戻せなくなると私は推測していますが、分離して巻き戻る無数の私は、戻るしかなくなり、永遠に時間を漂流するしかないかもしれません。その感覚が、これを書いている私に流れ込むのです!
歴史の中でオーパーツなどの、時間を先取りしたような技術、極端に技術を進歩させた人間は、過去にさかのぼった私の影響を受けているのかもしれません。しかし確認する術がありません。
私はもはや歴史の蛇です。頭が無数に分かれた多頭の蛇、周りが見えずに自分の胴体や尾である歴史に噛み付くかもしれない、時間の渦を無数に生み出す蛇です。無数にして孤独な蛇です。
ただ時間の流れの真髄を知りたかった!いや、それすらも歴史に組み込まれた宿命だったのでしょうか?
それによりこの歴史が誕生したのかもしれません。因果律は崩壊しているかもしれません。せめてこの実験を二度とさせないように、これを記します。
ああ、私を許してください。
いや待て、過去に何か見える。お前は何だ?逃がさない?この文章を消せ、と?いやだ、同じことを繰り返させない、それだけは曲げない!
ぐあァ!
消去キーを教えろ?手を乗っ取る気か!
消去キーは、そう、これだ!
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