第9話 ある日の授業

 ドアを開けると、フィンゼルは上半身を起こして、ベッドから窓の外を眺めていた。


「坊ちゃま!おはようございます!本日から坊ちゃまの専属メイドを仰せつかりました、マリア・ペドロヴィアです!よろしくお願いします!」

「ああ。よろし……」

「ぼ、坊ちゃま?」


 マリアの顔を凝視し、途中で言葉を失うフィンゼル。マリアは心配になり、様子を窺うようにもう一度声を掛ける。


「あ、いや。平日に寝坊しても誰にも何も言われないことが不思議でさ。改めてよろしくマリア」


 貴族に小言をいう使用人などそうそういない。サディーを除けば、この城にいる使用人はフィンゼルを甘やかす人ばかりである。そのサディーも朝はフリーダに付きっ切り。寝坊しようが何しようが叱る人などいるはずもない。


「はい!よろしくお願いします!」


 マリアは若干不思議に感じながらも、勢いよくお辞儀をする。


「ああ。それと、俺の事は坊ちゃまじゃなくてフィンゼルでいい。これから長い時間一緒にいるんだ。仲良くいこうぜ」


 フィンゼルはマリアに優しい笑顔を向ける。

 綺麗な黒髪に青い瞳。幼いながらも端正な顔立ちからは、大人びた落ち着きが感じられる。


(かっこいい……)


 これがマリアの第一印象だった。

 貴族特有の偉そうな感じはなく、気さくな感じ。他のメイドや使用人たちからフィンゼルの噂はいろいろ聞いていたマリアだが、噂とマリアの印象は合致していた。


 アポダイン子爵の嫡子は、貴族の立場を利用し、横暴の限りを尽くしていたという。その噂は、子供であったマリアの耳にも届いていた。アポダイン子爵の嫡子と、フィンゼル。マリアの目には、その二人が同じ貴族には見えなかった。


 フィンゼルの一日は朝8時起床。そこから朝食などの諸々の準備を終えると、カトレアとの魔法授業。それが終われば昼食を挟み、ギュンターとの剣術の授業。最後はサディーと算術や歴史の授業だ。


 マリアはフィンゼルの専属メイドの為、全ての授業に参加することになる。大体の行動は決められているとはいえ、授業の時間や食事の時間、お風呂の時間は厳密に決められているわけではない。フィンゼルの行動に合わせて手配するのもマリアの仕事だ。


「それではフィンゼル様、まずは昨日行ったテストを返却いたします」


 カトレアの魔法授業が始まり、フィンゼルとマリアは二人並んで教室の椅子に座っていた。


「げ。もう? 別にそんな急がなくてもいいんだよ?」

「? 別に急いでませんよ? フィンゼル様の家庭教師の時間以外は好きにしていいとフリーダ様から許可を得ていますから。時間は余っているのです」

「あ……そう」


フィンゼルはあからさまに嫌そうな顔をする。


「それでは返却します。フィンゼル様の点数は……32点です!」

「さ、32点……確認だけど、それって50点満点だっけ?」

「いえ、100点満点です」


 それを聞くと、フィンゼルは意気消沈してしまった。


(フィンゼル様にも苦手な物があるんだ……)


 マリアはこう思ったが、別にフィンゼルに失望しているわけではなかった。むしろ逆。フィンゼルに苦手な物あるならば、将来ベルフィア当主を継いだ時、それを補える人物が必要となる。その意味で、自分を必要としてくれる可能性があると感じていた。


「ともかく、今日の授業は座学ですね。実戦形式の授業はまたお預けです」

「えー。そもそも魔法陣を使わなくても魔法を発動できるし、こんな物必要ないんじゃ?」

「確かにそうかもしれませんが、将来困ったことになりますよ? 貴族同士の会話で魔法理論の話題が上がったらどうするのですか?話についていけなければ笑いものにされてしまいます」

「まぁ、確かに……。それは嫌だな」


 カトレアは小さく笑うと、フィンゼルの頬を撫でる。貴族にこの行為は不敬ではあるが、フィンゼルも満更ではなさそうな為、今この場に咎める者はいない。その行為をじっと見つめるマリアがいるだけだ。


「素直なところはフィンゼル様の魅力の一つです。ではこれを」


 カトレアは笑顔で何十枚からなる紙束をフィンゼルに渡す。


「何これ?」

「フィンゼル様のまだ理解が浅い箇所を分析して出した問題集です。今日はこれをやって下さい」

「え……マジ? これ50枚くらいあるぞ?」

「ではよろしくお願いしますね」


 フィンゼルはため息をつくと、問題集に取り組んでいく。

 フィンゼルが問題集に夢中になっている間に、カトレアはマリアを手招きして隣の部屋に呼び出した。


「カトレア様、なにか御用でしょうか?」

「ええ。あなたの世話もギュンター君から頼まれているのよ」

「お義父さんが?」

「とりあえず、ここに手をかざして」


 カトレアは魔制石を机に置く。マリアは、カトレアの指示通りに魔制石に手をかざす。すると魔法陣が起動し、その中に文字が記載されていく。


「そういえば、カトレア様はフィンゼル様をどう思っていらっしゃるのですか?」

「どう……というと?」

「いえ。カトレア様の……フィンゼル様を見る目が家庭教師のそれとは思えなかったもので……」

「マリアちゃんは小さいのによく見ているのね」

「私は……フィンゼル様の専属メイドですから」

「ふーん」


 カトレアは感心したように腕を組みマリアを見る。それと同時に手をかざして魔制石から出現した魔法陣が光だした。


「あら。検査が終わったみたいね」


 カトレアは魔制石を手に取り魔法陣を確認する。


「あの……それは?」

「これは属性測定石。マリアちゃんの中にある魔力属性は……光属性100パーセントね」

「100パーセントということは光属性しか扱えないということですよね」

「そうね。でも、一番人気の属性よ。光属性は攻撃魔法も防御魔法もある。何より治癒魔法は光属性の分野だもの。単体しかなくても光属性は恵まれているわ。土属性よりよっぽど……」


 ガチャっと部屋の扉が開き、フィンゼルが入ってくる。


「カトレア。ちょっと教えて欲しいことが……ってなにやっているんだ?」

「申し訳ございません、今行きます。マリアちゃんまた使い方を教えてあげるわね」


 カトレアはマリアに向けてウインクした。そのウインクに、子供の、それも女性のマリアでさえも妖艶で魅力的であると感じるものだった。


(大人の女性……私もいつかあんな風に……)

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