21.少年の視線
「……っ!!」
勢い良く飛び起きて、016はバクバク言う心臓をなだめる。
(ゆめ……夢、か……)
荒い息を繰り返しながら、016がやっとの事で理解すると、すぐ横から声がした。
「ん……起きたか」
その声の主は、幸だ。
先程のような険しい表情では無く、いつもの穏やかな表情で、幸はただそこに座っていた。
「君にはちょっと急すぎたかもね。……ごめん」
幸から見えた016は、幼くて非力な子供のようだった。
『本当に正常ってやつにさ、なれたのか……?』
幸は先の自分の言葉を思い出す。
(あの後急に倒れるもんだから、びっくりしたけど……)
そして、優しい口調で言う。
「まだわかんないかもしれないけどさ、」
幸は小さい子にやるように016の頬を撫でる。
「異常の君が受け入れられなかった事は、今の君がゆっくり、少しずつ受け入れてやればいいだろ?」
016は汗だくのまま、「な…?」と、ちょっと困ったように笑う幸を見上げる。
そしてしばらくの沈黙の後、「でも……」と話し始める。
「キミは……僕が正常じゃなくてもいいの?」
困るでしょ…と言うように言いながらも、目を合わせようとしない016に、幸は少し突き放したように言う。
「……『正常』なんてものは、はじめっからありゃしないさ」
そして、016の手を取って向き合わせて、幸は続ける。
「君の言う『異常』だって、君自身の本心かもしれないだろ?無下にするのもなんだか……ダメな気がするよ」
016が幸の言葉に黙って聞き入っていると、
『……そうだよ』
……声が聞こえた。
『僕は……まだあんたの中に居る』
その声に016だけがバッと振り返る。
……どうやら先の声と同じく、幸には何も聞こえていない様だった。
そして016の視線の先には、悲しげな表情をして泣くチョーカーにピアスの少年……昔の彼が居た。
『僕を……僕を捨てないで……』
そう言って、その少年は016に近づく。
距離が近づくにつれ、その少年は隠し切れないと言った風に口角を吊り上げていく。
『これ以上、あんたにまで……僕自身にまで捨てられるのは……嫌だ……』
慣れていないのか歪な表情を続ける少年に、016はしばらく呆然としていたが、やがて思い出したかのように頭の中で答えた。
(あんたが……もうそれ無しで生きていけるなら)
(あの人が居なくても、不自由無く生きていけるなら……考えてやるよ)
016に見える目の前の少年は、片手に男を引きずり、もう片手を自分のチョーカーに繋がるリードを持つ人物の服のすそに、しっかりとにぎりしめていた。
それはまるで、どうやったって親元から離れられない子供のように。
そして、016の言葉を聞くと、その少年はふわっと笑顔で上を向き、そして告げた。
『それはムリ』
……その言葉を残して、少年はすっかり姿を消してしまった。
016はそれを睨み付けながら幸の方を向き、口を開く。
「──そうだね。無下にはしないよ」
「うん。……それが良いよ」
が、口ではそう言いつつも、016の脳内では先の少年……異常な頃の自分を拒絶していた。
(……受け入れてなんかやるもんか)
(僕はせっかく普通になれたんだ。……今更心を明け渡してたまるか)
016は異常な頃の自分を振り払う様にスっと横を向く。
……そして、
(そう……あの人にも)
と考えながら、ぼんやりとある人物を思い起こした。
黒くて乱雑に伸ばされた長い髪、読めない表情、黒いピアス……。
(……うそつき)
016は無意識に、泣きそうな、子供のような表情で、頬を少し染めていた。
「……」
その見た事無い表情に、幸は思わず考えてしまう。
(なぁ……君は……)
016は嫌悪しているつもりでも、幸から見える016の口角は確かに上がっている。
(君は一体……誰に飼われているんだ?)
幸は016の事を睨むように見つめる。
胸元で主張するように結ばれたネクタイよりも、幸に見えるのは……
(……首輪。私には……君の首元に、そんなものよりもっと強い、首輪が見えるよ)
……だった。
そして、016は016で、思い込ませるように考えを張り巡らせていた。
(そう……もうあの人に振り回されて、引っ掻き回される事も無い……)
(それが君の……望んだ姿なのか?)
(これが僕の、望んだ姿だ……)
望まず、二人の間に……否、幸からの016への思いに、不信感という大きな亀裂が入った。
***
「──結局日記は無かったな。あるのはこの手帳だけ…」
「あぁ。……しょうがないから、これを持ってく事にするよ」
目線を合わせずに言う幸の言葉に、016は特に何も思う事無く、あるものを見せた。
「……それは?」
「んー……まぁ、日記の代わりみたいなものだよ」
幸の質問にそう言って答えた016は、手に持ったそれを見せた。
それは黒いカセットテープのような見た目をしている。
「日記の代わりって……あっ、」
幸が不思議そうにそれに近づこうとすると、手に持った手帳が傾き、挟まっていたものがパラパラと落ちて行ってしまう。
「手紙……?」
幸がそう呟いて見ると、『005のお姉ちゃんへ』や、『025ちゃんへ』と言った宛名の書かれた可愛らしい手紙があった。
「……?」
そして、その中には『016へ』と、一つだけ適当な字で書かれたものがあった。
(015が……僕への手紙を?)
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