赤い泡

河童敬抱

笑顔

「痛い」と言ってはいけない。

それが約束…

「痛い」と発すると今日の喜びは終えてしまう。


「痛ッ…」

目の前にいた女神が古い校舎のトイレから外へと出て行く。

僕はその後ろ姿を痛むお腹を抑えながら見つめていた。


僕は父親譲りの醜い容姿を馬鹿にされ、小さな頃からいじめられ続けた。

環境は変わっても次から次へ僕へのイジメは終わることはなかった。


父を恨むとか怒りとか言う前に父はとっくに死んでいる。

僕が産まれて物心がつく前にに自殺をしている。

理由は知らない。知りたくもない、ただ写真に写る父親は醜く、僕に瓜二つだった。

そして母親の顔すらも知らない。父が自殺をする前に家を別の男と出て行ってしまっているからだ。

僕は父方の祖父母の元育てられた。

母親に関するものはすべて処分されていて何もなかった。

聞かされたのは母親の悪口ばかりだった。


そんな僕は高校生になり、恋をした。

同じクラスの子で、僕は運良く隣の席になれた。

長くて綺麗な黒色の髪と雪の冷たさを宿した肌に僕は見惚れてしまい、授業どころではなかった。

毎日が夢のようで、いじめられていたって心は幸せだった。


そんなある日、突然彼女から話しかけられた。

「いじめられるってどんな気持ちなの?」

いきなりの出来事に処理ができずにいると、

「私とお付き合いしてくれない?あなたの気持ちを知りたいの。」

と、告白をされた。


僕は、

「はい、わかりました。」と不思議な返答をしてしまった。


付き合いはじめたというには、

あまりにもドライな関係が続いた。


僕は女性と付き合うことはもちろん、話すことすらなかったわけだから、

どうしたらいいのかわからなかった。


「あ、あの、」

僕は勇気をだして話しかけた。

付き合っているのに話しかけるのに勇気がいるってどうなんだろうか…


「なに?」と黒髪を揺らして僕を見つめた。

その瞳は黒目が大きく、吸い込まれそうだった。

そして表現は難しいが

生きている光が全くなかった。



「えっと、僕たちってお付き合いしてるんですよね?」と、情けない質問をした。


彼女はしばらく考えたあと、僕にこう告げた。

「ちょっとついてきてくれる?」


僕は彼女に

誰も寄り付かない古い校舎のトイレに連れて行かれた。


こんなところになんで…と疑問に思いながら

僕は淡い期待を感じていた。


話しかけようと彼女の方を向いた瞬間、

ガンッ


僕の足に痛みが走る

トイレに置いてあった古いデッキブラシで彼女が僕の脛を叩いたのだった。


まさかのことで声も出せず、その場に脛を抑えながら尻餅をついた。

彼女の目は今までで一番輝いているように見えた。

なによりも世界で一番美しい笑顔をみせてくれたのだ。

そしてそのまま

脛をおさえている手をまた叩いた。


僕は「うぅ、」と声をだした。

それをしっかりと聞いてから

彼女は再び叩いた。

3回目に叩かれた時に思わず、

「痛い!」と口にしてしまった。


すると、その瞬間彼女から笑顔が消え

デッキブラシを置いて出て行ってしまった。


衝撃的な放課後だった。


次の日も何事もなかったかのようにトイレに連れて行かれた。デッキブラシで同じように叩かれた。

そしてまた僕が「痛い」と言うと

彼女は去ってしまう。


その次の日もそうだった。



これは彼女からの愛情表現なのだ。醜い僕に痛みを与えて存在意義を教えてくれる。そして彼女は笑顔になる。

だけど僕が「痛い」と言うと、この愛情表現は終わってしまうんだと僕は理解した。


次の日から僕は「痛い」と口には出さないように我慢した。

どんなに痛くても痛いと言わなければいい。

簡単なことだ。

ただ声が漏れてしまう。

そしてその都度

彼女の目は爛々と輝き笑顔になった。

僕は悶絶して唸りながらも、それを確認して幸せな気持ちになった。


これはイジメではない。愛情表現なんだ。

彼女は僕に愛情を注いでいる。そんな時に「痛い」なんて言ってしまったら彼女は辛い気持ちになるだろう。


それでも不意な痛みに反射的に口に出してしまう。

彼女の笑顔は失われて、僕がまるでそこにいなかったかのように部屋を出て行ってしまう。


学校でどんなに暴力をうけたとしても、彼女といるトイレでの行為はセックスにも近い。

僕達は愛情表現を楽しんだ。

彼女の愛は日に日に激しさを増した。

彼女は徹底して僕の醜い顔ではなく、身体に痕をつけてくれた。

はじめはデッキブラシだったが蹴られたり傘の先で突かれたり、縄跳びで叩かれたり、カッターで浅く切り付けられたりと激しくなっていった。


「痛い」と言わなければずっとこの時間が続くのに僕はどこかでいつも口に出してしまう。

そして部屋に置いてかれてしまう。

はじめて人からの愛情を感じて、一人になるのが怖かった。


家に帰って自分の体を見る。

無数についたアザと薄い切り傷。

彼女からのキスマークのように見えて誇らしかった。


彼女も僕のことを愛していて、今なにを想ってくれているんだろう、、


次の日、学校は休みだった。僕と彼女は休みの日に会ったことはない。


僕は次会う時にプレゼントをしたくて買い物にでた。文房具屋で彼女にボールペンを買った。

隣の席で僕が買ったこのボールペンを使っているところが見たかったからだ。


少し高かったけど、きっと喜んでくれるだろう。

僕はトイレ以外でもあの笑顔が見たい一心だった。


ふと、前をみると

彼女が黒くて美しい髪を靡かせて、歩いていた。

隣には身長の高い美しい顔立ちをした男の人がいた。


そして彼女はその男の腕に抱きついて歩いて行った。

僕は見た。彼女は僕達のトイレでも見せたことのない幸せそうな笑顔を…


きっと今僕の顔はいつにも増して醜いだろう……


次の日彼女は何も変わらない様子で、僕をトイレに連れて行った。

彼女は僕を裸にした。

今日は機嫌が悪かったらしくデッキブラシで何度も何度も力いっぱいキスをするように殴った。

背中をカッターでゆっくりと愛撫するように切った


最高の愛情表現を受けながら、僕は話しかけた。

「僕達付き合っているんだよね?だからコレをきみにプレゼントしたいんだ。」そういって昨日買ったボールペンを彼女に渡した。


彼女は箱から綺麗なボールペンを取り出し

「ありがとう。」と呟いた。

そして僕が話だそうとした瞬間、彼女は

「ここに手を置いて」とお願いしてきた。

聞きたいことがたくさんあったが、断ることはできないので

僕は、その場に膝をついて床に手を置いた。

ゆっくりと彼女もしゃがみ

僕の顔をみて

「醜い顔」


と言って彼女はその手に向かって

ボールペンを突き刺した。


とてつもない激痛が走り僕は声にならない声をあげ彼女のほうを見上げた。

彼女は恍惚の表情を浮かべながら僕を見ていた。


「…よ…,いたいよ……痛いよ!ひどいじゃないか!僕は君にとってなんなんだよぉあああ」と僕はその場で泣いた。

昨日のこともあり僕の頭の中は『ぐちゃぐちゃ』だった。

泣くことで少しは彼女から情けを受けられるとも思っていた。


泣き喚く僕を彼女は見つめながら、

冷たい表情でゆっくりと話し始めた。


「私はあなたを愛しているわ。あなたが私の愛を痛いと言って拒絶をするのなら、私はあなたなんていらない。私はあなたでは満足できなかったわ。さようなら。」と立ち去ろうとした。


僕はまた一人になってしまう。二度と愛を感じることはできないと絶望した。

その時、僕は閃いた。

カバンの中に忍ばせていたハサミをボールペンの刺し傷がある右手で取り出して出ていこうとする彼女の目の前に立ちはだかった。


彼女はハサミに気づいた様子だったが、怖気つく様子もなく

いつも通り怖いほど美しかった。


僕はそのハサミを持ち上げて彼女に一言

「愛しているよ僕は君のものだ」と伝え


自分の舌を切り落とした。


こうすれば僕は二度と「痛い」とは言えなくなるだろうと考えたからだ。


激痛が走り、口の中には鉄の味が広がり足元には血溜まりがすぐにできた。息もできなくなってきてその場にひざまづいた。

そして彼女の顔を見上げると

幸せを絵に描いたような表情で微笑んでいた。


再びしゃがんで僕の顔を見つめて

「醜い顔」と呟き僕の唇にキスをした。

僕の血が彼女の唇についた。


そしてすぐに立ち上がり僕の頭を地面に向かって踏みつけた。

僕は血で赤く泡立つ愛の池に顔を押し付けられ心の中で射精した。


これが僕が知っている愛だ。

『ぐちゃぐちゃ』に醜い顔であっても愛を得ることはできる。


何回でも傷つけてください。あなたで『ぐちゃぐちゃ』にしてください。僕は幸せだ。

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