#2 とりあえず抜いてくれ


 かなり無茶な角度で首を曲げていたせいで、俺の喉からは唸り声と掠れ声の中間みたいな奇声……怪音しか出なかった。

 しかし少女は賢明にもそれが人間の声だと察したようだ。

 呼吸は荒く、かなりの距離を走ってきたのだろう。それでも一目散に俺が絞り出した音の方へ向かってくる。


 そして地面に磔られた俺の姿を見て、再び悲鳴を上げるのだった。


「だ、大丈夫ですか!?」

「見た目よりはマシ……」


 首を戻してなんとか声らしきものを絞り出す。畜生。首がもげるかと思った。

 少女は健気にも近寄って傷の具合を調べ始めた。

「大丈夫、そ、そんなにひどくありません!きっと助かります!」

 真っ青な顔で説得力は皆無だが、気丈にも励ましてきた。俺が自分でつけた傷だとも明かすわけにはいかないので黙っておき、本命の要件を促す。


「手当てはいいから、剣を抜いてくれないだろうか」

「えっ、いや、でも、そんなことしたら血が……!」

 少女は露骨にうろたえる。

「大丈夫、血はもう散々流した」

 彼女のいぶかしげな視線が剣から、服を染めるどす黒い赤へと移っていく。

 

「剣を抜くだけでいいんだ、そしたら絶対に君が逃げるのを手伝うから」

 ……あまり自信はない。たぶん、彼女を追っているのは山賊か何かの集団だろう。

 片やこっちは剣道も触れたことがない素人。死なないから足止めはできるかもしれないけど……どのくらい時間を稼げるかな。


 少女は俺の顔と胸に刺さった剣とを、困惑の表情を浮かべながら交互に見た。

 服にこびりついた血の痕は、すでに死んでいてもおかしくない量だ。客観的に見て俺はどれだけ怪しい奴に見えるかということにいまさら気が付いた。

 もしかして、アンデッドとかそういう類だと思われている?


 黙りこくった彼女を急かすために口を開いたのと、彼女が俺の傍らに跪いたのは同時だった。何をしようとしているのか分かりかねて、とりあえず口をつぐむ。

 彼女はおもむろに左手の甲を覆う黒布を外した。

 そこには金色の光を放つアザのようなものが浮かんでいる。

「……わかりました。その前にせめて傷を塞がせてください」

「え……、ッ」

 俺が散々広げた傷口に左手をかざすと、眩くて熱い光が辺りに満ち始める。それを受けて、なぜか俺の胸が掻き毟られるかのような違和感を覚えた。

 唐突な刺激に呻きが漏れるが、少女はそれを意に介さず続ける。


「『あなたを苛む』『この傷が』『塞がりますように』」

 先ほどまでの気弱そうな口調とは一転して、誰かが彼女の口を借りて喋っているかのような、厳粛な口調でそう告げた。

 すぐに傷口がふさがっていくのを感じる。

 これって……その、つまり、魔法ってやつ?


 光を放つ左手をそのまま下ろして、塞がったばかりの部分をなぞりながら、胸の中心からやや右側にある剣を撫でるように昇っていき、その柄を掴んだ。

 そのときなぜか、今ならこの剣が抜けるんじゃないかと感じた。

 少女は両手で柄を握りしめながら続ける。


「『あなたを苛む』『この剣が――――」


「追いつめたぞ!!」


 しかしその言葉は罵声にかき消された。

 左手から光が消え、そのアザを隠すようにさっと右手で覆う。

 相変わらず首を不自由な角度にしか動かせないので姿はわからないが、どうにも彼女を追っていた連中らしい。俺のつむじの方から声がする。


「ま、待ってくださいぃ!」

 途端に少女も、元の気弱な声色に戻ってしまった。怯えを孕んだ様子で、カタカタと震えながら懇願する。

「せめて、この人だけでも助けさせて……」


 彼らはそんな少女に向かって下品な言葉と共に嘲笑する。

「おお、いいぜ!売る前に俺らと遊んでくれるならなぁ!」

「出来がよかったら売るのはやめて世話してやらあ」

「死に損ないに媚び売ってる暇あったら、俺らのこと救ってくれや神官さんよぉ!」


 うわー、聞くに堪えない。ムカついてきた。


 かといって、どうするかは決めかねていた。正直、俺のことはほっといて逃げてほしくすらあったが、彼女が逃げ切れる可能性は限りなく低いだろう。

 だったら剣を抜いてもらって自由の身になってから、少しでも時間を稼いだ方が、まだ彼女にとって生きる芽はあるように思った。


 恐怖が少女の顔で踊っていた。目は潤み、唇は震え、きっと目覚めたての俺もあんな表情を浮かべてたんだろうなってくらい絶望している。

「ごめん、俺のせいで……」

 思わず謝罪の言葉が口をついて出たが、彼女はそれを制して、震える手で俺の胸に触れた。そしてまた左手から光が溢れだし――、


「『あなたを苛む』『この剣が』『もう誰も傷つけませんよう』」


 その声までは震えていなかった。

 凛とした態度で告げ、両手で柄を握り、そして引き抜く。

 俺が渾身の力でどうにかしようとした剣は、それだけであっさりと胸から消えてくれた。風穴も暖かな光がすぐ埋めてしまう。


 俺は自由になった。

 すぐさま身を起こし、少女を守るべく山賊どもに向き直――――ろうとした瞬間、目に入ったのは、男が振り上げたメイス!

 振り下ろされる瞬間から俺の顔面にめり込むまでがスローモーションに見えた。男の方はニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべている。

 やっぱり、こいつらがまともな取引に応じるはずはなかったんだ。後ろに控えていた連中が少女の方へ駆け出していくのが見える。

 もうすぐ俺は死ぬだろう。


 それは別に怖くないが、名前も知らない少女への罪悪感でいっぱいだった。

 もう一度謝罪の言葉をつぶやく暇もなく、冷たい鉄塊が俺の顔にめり込む。



 少女の声が聞こえる。

 

 それは遠くから、だんだん近づいてきたような―――。


「嘘つき! なんでっ……なんでこんな残酷なことを!」


 山賊たちに少女が取り押さえられている。服は……無事か。ってことは死んですぐのお目覚めかな。

 彼らは少女に気をとられていて、死んだばかりのには目もくれない。好都合。


「ちゃんと『助ける』まで待ってやっただろうが」

「田舎の神官様は教えしか頭にねーのかよ、バカだなあ」


 罵倒された少女は震えながらさめざめと泣くことしかできない。可哀想に。

 悟られないように眼球だけを動かして辺りを確認する。俺の血で濡れた……んん?なんだあの髪の毛は、いや気にしてる場合じゃないか。

 俺の血と肉片がこびりついたメイスが転がっている。バカはお前らの方だ。


 少女が甲高い悲鳴を上げる、山賊の一人が彼女を押し倒したのだ。

 数は三人。不意打ちで一人、二対一で一人、残りは泥仕合でなんとか。

 いくら死なないとはいえ、他の人の命がかかっている状況では流石に不安になってきた。メイスに伸ばした手が震えている。抑えようとすればするほど、震えは増していくようだった。

 思えば喧嘩らしい喧嘩をしたことがない。

 殴られるのは、死ぬのとは別の怖さがあった。


 けど。

 山賊に嘲られながら、この後自分を待ち受ける運命を悟りながら、それでもあの子は俺を助けてくれたじゃないか。

 それに、もともと助けたら逃げるのを手伝う約束だったはずだ。

 裏切るわけにはいかない、よな。


 震える手はそのままに、メイスをひっつかむと三つ足飛びに一番近い山賊――奇しくも俺をぶっ殺してくれた奴だ――に駆け寄って、身体の後ろで振りかぶる。

 物音に振り向いたその瞬間に、間抜け面にフルスイングを叩き込んだ。こめかみ辺りに食い込んだ鉄塊から、皮膚の向こうで骨と眼球が弾ける感触が伝わってきて鳥肌が立った。

 それでも勢いを殺さないまま振り抜き、死んだはずの男が突っ立っている状況を飲み込めないでいる山賊二人の鼻先に、血まみれのメイスを突き付ける。


「俺も混ぜてくれよ」



『あの転生者急にイキりだしたぞ!』

『ニンゲンってヤバいときはあどれなりん?がでてハイになるんだってー』

『もっとのうみそみたーい!』

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