ブラックコーヒー

二晩占二

ブラックコーヒー

 注文を終えると、彼はキザったらしく足を組んでから言った。


「コーヒーはブラックが一番だね」


 すかさず彼女はその顔面へ一撃をくらわせた。


「なんで?」


 と彼は殴られた理由を尋ねた。

 彼女は答えなかった。仕方なく彼は続けた。


「ブラックはコーヒー豆本来の味わいが楽しめるからね」


 そう言ったとたん、再び彼女が彼の顔面へ一発おみまいした。

 彼は気にせず、続ける。


「飲み口もすっきりしているし」


 彼女が殴る。

 彼は一瞬怯んだが、気にせず続けた。


「ミルクや砂糖なんて、雑味にすぎないよ」


 彼女が殴る。

 彼は両手で頭を抱えたが、気にせず続けた。


「それに、ブラックで飲んだほうがカフェインも効きやすい感じがしないかい?」


 彼女が殴る。


「痛いよ! なんで殴るんだよ!」


 彼は怒った。

 殴られた頬を抑えながら猛烈に抗議した。唇が切れて、下あごの先まで血がしたたっていた。

 しかし返ってくるのは沈黙だけだった。

 仕方なく、彼は続けた。


「ブラックコーヒーはカロリーだって少ないしね」


 彼女は殴らない。

 彼は続けた。


「ミルクも入れないから、余計な脂肪も取らなくて済む」


 彼女は殴らない。

 彼は続けた。


「とまあ、健康にも良いわけさ」


 ここで再び彼女の一撃が降り注いだ。

 あまりに強烈な一撃だったので、彼は椅子から転げ落ちてしまった。

 その拍子に膝を床に打ち付けて、大げさにあえいだ。


「もうこの話はやめたほうがいいのかい?」


 彼はなんとか落ち着いて顔をあげた。


 そこに彼女はいなかった。

 座っていた椅子もなかったし、テーブルもなくなっていた。

 店員も見当たらなかった。店自体が姿を消していた。

 駐車場に停めていた自動車も、その先の国道も、街も、人も、土も風も水も空気も何もかも全部がくなっていた。


 無だった。


 そこには無だけが広がっていた。

 限りなく、果てしなく、無だけが広がっていた。


「ブラックコーヒーの話をしたから?」


 彼は尋ねた。

 すかさず無はその顔面へ痛恨の一撃をくらわせた。


 それで、彼は、ぐちゃぐちゃになってしまった。

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ブラックコーヒー 二晩占二 @niban_senji

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