其の音

藤堂 有

1

──ぐちゃ。


──ぐちゃぐちゃ。


 ASMRって知ってる?

 Autonomous Sensory Meridian Responseの略なんだけど。ごめん、それ以上詳しく説明できないや。ウィキペディアを見てよ。

 私は色んな投稿者が言うのに倣って、えーえすえむあーると呼んでいるだけなんだよね…ようは、いい音、ってことかな。


 私も寝つけなくて、夜中適当に動画を観てたらおすすめに出てきたのを再生してみたのがきっかけだったかな。

 耳かき動画だったと思う。木や金属でマイクを掻くカリカリという音に、私はうっとりしたんだ。人に耳かきされると気持ちいいじゃない?

 とても寝つきもよくなったんだよ。


 それから、動画投稿サイトに投稿された作品を片っ端から聴くようになったの。囁き声とか、料理やお菓子の咀嚼音、様々な素材の物を指でタッピングする音、食べ物やを切る音、炭酸が抜けていく音。

 とにかく色んな作品を聴いたんだよね。


 動画投稿サイトに上げられてるから、綺麗な映像で楽しませる作品も沢山あるんだけど、その点に関して私はあまり興味ないんだよね。

 音をひたすらに楽しみたいから、すぐに目を閉じて耳に集中するし、……最後まで聴けずに寝ちゃうんだよね。


 ASMRを漁ってるうちに、自身が水分のある音が好みである事に気づいたんだ。色々あるんだけど、その……あまり大きい声じゃ言えないけど……ローション使うようなちょっとえっちな、性的快感を意識したようなのとか……あとは咀嚼音とか、ああいうのは、私が求める水っぽい音とは違ってね……。

 粘度が高いスライムを弄る音は割と近いなと思ったんだけど、もう一押しが欲しかった。

 探せばもっと理想の音があるんじゃないかと思ってね。でもなかなか見つからない。


 それで、思ったの。

 私が理想の音を作ればいいって。


 * * * * *


 昼下がり、たまたま入ったカフェで、私は大学時代の友人と再会した。

 学科は違っていたが、取る授業がよく被るので話す機会が多かったというだけの関係ではあったが、お互いすぐに気づく程度には顔と名前をはっきり覚えていた。


 友人は二人がけのテーブル席でホットカフェラテを飲んでいた。

 野暮用前の時間調整のために店に入ったので、おひとりさまだという。私も似たようなものなので、折角だからと相席させてもらった。


 再会を喜び、他愛もない当たり障りのない会話をした。

 友人は仕事のこと、私は職業柄仕事の事は話せないので、でっち上げた適当な職業の話を。


 そのうち、私が最近寝つきが悪いこと話すと、「私もそうだったよ」と強く共感して貰えた。

 ……のは良かったのだが、そこからASMRとやらについて一方的に語られることになった。


 結局のところよく分からなかったが、つまり一種のヒーリングミュージックみたいなものなのだろう。

 集中する音楽として、川のせせらぎや焚き火の音、雨の音なんかを織り交ぜた音楽なら私も聴いたことがある。

 確かに、寝る前に聴くなら良さそうだと思った。


 とはいえ、理想の音を追い求めて、聴き手から作り手になったのは素直にすごいと感心した。何かに大きな熱量を持って打ち込めるのは、とても羨ましく思った。


 友人は、ひとしきり語り終えると「人によって好みの音は違うから、耳に合わないかもしれないけど。よかったら」と前置きしつつ、私のスマホ宛に自身の動画チャンネルのリンクを送った。


 チャンネル名は『卯月』。

 投稿を始めたのは4ヶ月前にも関わらず、チャンネルの登録者数は100万人を超えていた。

 チャンネル登録のボタンをタップしつつ、画面を下にスクロールする。

 投稿された動画は、全部で3つ。

 いずれもサムネイルが全面黒で、動画タイトルもナンバリングされているが、『A study of tingle《うずきの研究》』と統一されていた。

 驚いたのは再生回数だ。3つ目に投稿されたものでも500万回以上再生されていた。

 友人は謙遜したが、私も流石に友人がかなりやり手の投稿者なのが分かった。


「音に集中してほしくて、最初と最後にチャンネル登録の案内を入れる以外は、真っ黒映像にしてるの。タイトルはなんというか、思いつかなくて。元はといえば、私が聴きたいと思う音を追究するために作った感じがあるから……と言うと大袈裟だけど」


 立派な研究ではないか、と私はここでも感心した。

 それにこの再生回数だ。視聴者も納得するような、こだわりの音が流れるのだろう。


 別れ際、友人は近く新作を上げる予定であることを教えてくれた。これぞ、という音を見つけたらしく、自信に満ち溢れた目をしていた。

 私は労いと動画への期待の言葉をかけると、友人はほのかに紅く染めながら笑った。


──ぐちゃぐちゃ。


──ぐちゃぐちゃぐちゃ。


 帰宅し、諸々の家事を終えベッドに潜り込むと、私はスマホで動画アプリを立ち上げた。

 ワイヤレスイヤホンを装着しつつ、友人のチャンネルを開く。

 日中の話の雰囲気からして、投稿順の新しい方が、より友人が求める音に近しいのではと思った。直近に公開された『A study of tingle-3』の真っ黒なサムネイルをタップする。チャンネルのロゴが一瞬映し出されると、すぐに音が流れてきた。


ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ。


 そう両耳から聞こえてくる。

 確かに、文字に起こすと同じ表現になりそうな性的興奮を煽るものとも、咀嚼音とも違う気がした。

 が、特別良い音とも私には思えなかった。

 それどころか、一種の気持ち悪さに吐き気すら感じ、私は動画を一時停止した。

 友人が好む水気のある音は、私には向いてなかったのかも。それで不快に感じたのかも。そう考えたが、適当に検索して観たスライムを使ったASMR動画は結構良い音だったし、カラフルな映像も楽しめた。

 不快さの理由を上手く言語化できぬまま、結局友人の好みが私の好みと合わなかったと結論づけ、私は焚き火の音を聴きながら寝た。

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